
| 所在地 山形県西置賜郡白鷹町山口4006−2 交通機関 フラワー長井線・鮎貝駅 徒歩40分 駐車場 あり Link |
| つぼみ エドヒガン 古木 雨。 2014.04.21 |


| 十二の桜の由来について T,なぜ『十二』の桜なのか 「十二の桜」とは、一口に言えば山際薬師堂建立との関連で十二神堂が建てられ、そこに植えられた桜なので呼称されたものであろう。 然らば、十二神堂とはそも何なのであろうか。それは、薬師如来の護法善神であり、薬師如来を信ずるものを守護する神であり、本尊は十二体の木像である。 その神堂がこの地にあったと思われる。安政六年(1859年)山口村水帳(土地台帳)に、小字十二神とこの地を定めている。少なくともその頃までは十二神堂が現存したものと思われる。 下って、明治九年(1876年)山口村地籍には神の字が消えて、十二とのみ字名が記されている。いつの日からか十二神堂が廃堂となったものであろう。 今、十二神像は山際薬師如来堂内の一隅に安置されている。 U、いつ誰が植えたものだろうか この桜を植えられた年代等について記載された文献など定かなものはない。ただ、伝説等を詳細整理してみると、現存する桜樹は三代目の根生え樹と言われている。 蚕桑村の郷土誌(昭和44年発刊)を参考に検討すると、次のような姿が浮かんでくる。 すなわち、平安後期(1120年頃)今から約八百七十年前、藤原安親(横越太郎鮎貝氏の祖)が下長井の庄司として当地を支配した時代彼は政治の基本を仏教におき、各地に薬師堂などを さかんに建立し、同じ樹種のエドヒガン桜を植えられたものであろう。(高玉薬師桜、鮎貝西口の桜、伊佐沢久保桜、など数多い。) なお、山際薬師如来堂境内の老巨杉、薬師大杉もこの桜と同年代のものと思われる。 V、平安の時代から平成の時代へ 平安の時代から平成まで八百七十年、幾多の風雪を経て、しかも三代にわたり確実に成長をくり返してきたその生命力に、我々は深く教えられるものがある。昭和九年(1934年)冬の 大豪雪被害をうけ、かって全国桜名木番付東前頭筆頭(雑誌「家の光」)にあった名木十二の桜(二代目)も老衰し、その根生えの三代目が後を継ぎ現在に至った。 平成の時代に入り、地域の人々が郷土愛に燃え、十二の桜保存会(昭和22年結成)に活を入れ、関係各位の力強いご賛同ご協力を得て、十二の桜公園の整備をはかった。 使命を終えた初代、かすかに古姿を残す二代目もさぞ満足であろう。そして、この三代目は力強く往事の全盛期をしのぐ大桜樹となって、後世の人々の目と心を和ましたくれることでしょう。 W 結び 十二の桜は、薬師信仰と一体のものと思われる。平安時代末期の乱れた京の姿を見た藤原安親は、一族が礎いた奥州平泉文化にあこがれたのも当然であろう。 また、そこには病苦災厄なく百花乱れ咲き、霊鳥法音を発する浄土世界を建設されたとされる。薬師瑠璃光如来を信仰されたのも理解できる。 百花乱れ咲く文化の里の願いを込めて植えられた十二の桜と思えてならない。公園整備にかける村人の姿を見るとき、その昔植えられた人の心と同じ心に思えるのは筆者だけであろうか。 平成3年8月吉日 十二の桜保存会 |