猿羽根楯跡の親スギ
 
県指定天然記念樹
さばねたてあと
   所在地 山形県新最上郡舟形町富田 沢口山 
 交通機関  JR・山形新幹線 舟形駅 車10分
 駐車場 なし
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2019.7.25
 「猿羽根楯跡登り口」の看板前の家の人に挨拶する。『山道はわるいから長靴を履いていけ。』
 助かった!! ホントにぐちゃぐちゃ!ムシムシ。 ありがとうございまいした
  親 杉
猿羽根城の本丸があったと伝えられるところに城主お手植えと言われ、
親杉と呼ばれて、昔から土地の人々から親しまれてきました。
幹の太さ六四一センチメートル 町の文化財として天然記念物に
指定されています。 樹齢は千年以上と言われています。  富長小学校
         猿羽根楯跡
延文五年(1360)に、
八幡太郎義家将軍の末孫、源次郎義元の二男。源次郎義高と言う人が奥州よりこの地に来て、
小国川と最上川の合流する轟というところに楯を築いた。その後、貞治元年(1362)に澤口山のこの地に、轟より楯を遷した。
この土地の名前を取って、
猿羽根播磨守源次郎義高と称し、以後、猿羽根家の居城となり、天正十七年(1588)までの
二百二十七年間、七代にわたり、六七〇貫(六七〇〇石)を領していた。
九代目
義舜公の時、山形城主最上義光に従わず攻められ、城主は天正十七年六月十七日東根市長瀞において切腹した。
これによって猿羽根家は断絶し、以後は山形の支配となった。
猿羽根村『文政七年(1824)富田村と改称』は、街路が碁盤の目のように区画されており、城下集落として開けた村である。
楯跡は、平成七年 町史跡に指定された。また 本丸に楯主お手植えと伝えられている町指定の親杉がある。
  平成十年十一月                             町立富長小学校