
| 所在地 山形県東村山郡東村山郡山辺町杉下 八幡神社 交通機関 フルーツライン左沢線・羽前山辺駅 徒歩60分 駐車場 なし 道路が太くなっている |



| 杉下大スギ 山辺町指定天然記念樹 この大杉は、杉下地区の氏神八幡神社背後の広場の斜面にあり、根廻り9.5m、目通り樹囲7.5m、高さ約28mである。下の枝が地上約3m上で真横に約2m伸び、 すぐ2本の大樹になって直立している。正に、龍が蟠居し、天に向かって飛翔しようという姿をしのばせるものがある。主幹は地上約6m上から双樹状になり、 天を突いてそびえている。所々からかなり太い枝が伸びていて、全容を見られないほどである。杉樹としては近クでも珍しい大木で、神社をおおい、その歩みを守ってきた 約千年の歴史を持っていると推定される。 この大杉には、杉下地区の発生に関する伝説が残されている。 八幡太郎義家の曽祖父満仲は、貞元二年(977)八月、出家して満慶と称した。彼は諸国行脚の旅の途中、長徳元年(995)八月、大谷大沼を目指したが、山中に 迷い込んでしまった。峰に登ってながめると、遙かな谷底に燈火が見えたのでたどり着くと、山小屋の中に老翁と若い娘がいたので一夜の宿を願った。老翁は 陸奥の豪族・阿部頼時の家臣であったが、主人の一族からむりに娘を所望されたので、この地に逃れ住んでいたのであった。 いつしか満慶と結ばれた娘は懐妊したが、満慶には出発の日がやってきた。彼は都に帰ったら招き寄せるにのでこの手紙を携えて来るようにと、手紙を置いて去って行った。 同年五月、二人が山で作業中、小屋が手紙もろともに焼失してしまった。そこで、二人はこの大杉の下に仮屋を建てて生活した。やがて娘は男子を出産し、満山と名付けた。 長徳三年八月、満慶は四十四歳で死去したとの話が聞こえてきたので、二人は都に上ることをあきらめ、田畑を開いて生活を立てていった。満山には五人の子供が生まれ、 それぞれ成長し、分家したが、これが杉下村の起源であるという。 尚、中世に於いて、杉下武士団は山形最上氏の配下として日月旗の下に団結して出陣し、各地で活躍した。 その日月旗は長年他地区に出ていたが、昭和四十八年、約百年ぶりに帰ってきた。山辺町ではこの日月旗を町文化財(第五号)に指定している。 山辺町教育委員会 |