

| Osaka野間の大ケヤキ |
| 所在地 大阪府豊能郡能勢町野間稲地 交通機関 豊能電鉄妙見線・妙見口駅 徒歩60分 駐車場 あり Link 2013.10.17 |
| やや痛んでいるが立派な老木 仕事帰りの建築関係者がトラックを止めて見物していた。 |
| 野間の大ケヤキ |




| 国指定天然記念物 野間の大ケヤキ この大ケヤキを中心とする一角の地は、もと「蟻無宮」(ありなしのみや)という神社の境内で、この樹はその神の憑り代、すなわちご神体ともいうべき神木であったと思われる。 樹齢一千年以上と推定されるこの樹は、目通り幹周り約14m、高さ30m、枝張り南北38m、東西約42mあり、一樹にしてよく社叢をなし、ケヤキとして大阪府下で一番、 全国的にも第4番目を誇る巨樹である。古来よりこの大ケヤキにまつわる伝承を探れば、里人らは春先に出る新芽の出具合によって、この年の豊凶を占ってきたと伝えている。 また、社庭の砂を請い受けて持ち帰り、はたけもの(野菜)屋内に散布すれば、蟻が退散するといい、その効験は遠くまで知れ渡っていた。おそらく社名蟻夢によるものであろう。 さらに一説では、有無社は紀貫之を祭神としており、貫之が同じく三十六歌仙の一人である源公忠に贈った歌により社名を付したという。すなわち 『手にむすぶ水にやとれる月影の あるかなきかの世にこそありけれ』 又経房遺書(安徳天皇御潜幸の伝承)の一節に「・・・河合にいとおほしきなる沢ありて水よどめり、さハの中じまに市女が笠てふものに似たりいとうはわしき木の紅葉せしあり・・」 (原文)奥書は「建保五丑年」とあり、なにか大ケヤキを連想させるものがある。 当社の創祀は?久二年三月十五日とあり、遠く鎌倉時代にさかのぼるが、明治四十五年当社祭神は野間神社に合祀された。以後、神木の保全・境内の清浄化に蟻無会(前身は 蟻無講中)をはじめ、郷民こぞって奉仕してきたところである。 とくに最近樹勢回復のため治療を施ししようやく往時の姿によみがえろうとしている。 文化庁 大阪府教育委員会 豊能町教育委員会 |