「我が家の太陽」志奈ちゃんの思い出
(1977年〜2004年3月7日)


  1. 生まれてから 幼稚園入学まで


  2. 1977年3月愛媛県松山市にて誕生
    • 姉のピアノの発表会の日の昼、ちょうど姉の演奏が終わった後に生まれました。
    • 兄姉にとって7/6歳も年の離れた妹。毎日どちらが小学校から急いで帰って志奈と遊ぶか競争したものでした。
    • 1歳、姉が実家の庭で一緒に遊んでいる時に初めて、つかまり立ちができました。
    • 志奈が行く所、人が「可愛い子がいる」と言って集まってくるため、祖父母、両親の自慢。
      可愛くて秋祭りに着物を着せてつれているとアマチュアの カメラマンたちから写真を取らせて欲しいと頼まれ、さらに撮影した写真を
      送ってくださいました。
    • 夜、眠る前に本を読んでもらうのが大好きでした。
    • また日曜学校で教わったお祈りをベッドでしてから、きちんと服をたたんで寝ていました。


    幼稚園時代
    • 姉が大好きで、いつも姉の真似をするようになりました。
    • 母には、毎日のように「志奈ちゃんがいなくて寂しかったでしょう」と、摘んできた花をプレゼントする 優しい子に成長してくれました。
    • ジグゾウパズルが大好きで、いつも時間を忘れてやっていて、なんと1メートルを超える大きな作品を 数多く作っていました。

  3. 小学校時代


  4. 兄姉と同じ小学校に入学
    • 校長先生はじめ、先生方からも可愛がられ、友達もすぐにできました。
    • 母の真似をしてお茶を習ったり、また手芸が好きでトールペインテング等でテーブルセンター等作ってくれました。
    • 国語などの音読が好きで母に毎日のように読んで聞かせていました。テープは今も残っています。
    • 読書が大好きで、卒業時には学内図書室の本をほぼ読破しました。
    • 姉の影響でピアノ、水泳、書道を習い始めました。
    • 踊りや歌が大好きで、新体操を始め、高学年ではコーラス部に入りました。
    • 一年/二年と受け持ってくださった女の先生(現役)は事故後、節目ごとにお参りをしてくださり、 「心のきれいな子だった」と言ってくださいます。
      また、母の話す志奈の生き様を、現在受け持ちの児童に 道徳の時間や集会で話してくださっているそうです。またそれを文集にしてくださいました。
    • サンタクロースを5年生まで信じていました。


  5. 中学校時代


  6. 兄姉と同じ松山市立道後中学校入学
    • 姉が所属した軟式テニス部に入る。とにかく姉が大好きで自慢でした。
    • 毎年のように受け入れていた留学生の方から、いつも可愛がって頂きました。
    • 読書好きは相変わらずで学校の図書館だけでは飽き足らず、松山市の図書館へ通うようになりました。
    • 人が喜んでくれることが大好きで、家族や友達の誕生日など、事ある毎にプレゼントを作ってくれました。
    • いじめにあって苦しんでいた友人の支えになっていたようです(事故後、ご本人たちから伺ったことです)。
    • 私達兄姉は大学進学中のため、志奈に会うことが帰省する楽しみとなりました。


  7. 高校時代


  8. 兄姉と同じ愛媛県立松山東高等学校入学
    • 姉が所属した硬式テニス部に入る。テニス部の仲間は、今も折々にお参りに来てくださいます。
    • 「高校生クイズ」に友人を誘って参加するなど、積極性が萌芽してきました。
    • 市内で有名な4つのグループで争う運動会では、グループの役員に任命されました。
    • 読書量はさらに増し、県立図書館へも通う。特に宮沢賢治が好きでした。
    • 宮崎駿の作品が大好きであった。音楽ではその作品に多く用いられた久石譲さんの曲が大好きでした。
    • 福沢諭吉の思想に憧れ、慶応大学文学部への進学を決意しました。
    • 末っ子なので受験に苦しまないでほしい、という親の思いもあり、推薦で慶応大学文学部へ進学が決まったため、 自由な時間を使って、
      受験勉強をしている友人を手伝ったり、お菓子などを作って差し入れをしたりしていました。


  9. 大学時代


  10. 慶應義塾大学文学部入学
    • 知識欲が旺盛で、物理的に可能な限り授業を選択していました。
    • 「新聞研究所」(現メディア・コミュニケーション研究所。学内併設のマスコミ志望者向け研究所。)に入り、 通常の学部の授業と平行して
      学んでいました
      (この頃からマスコミの世界への関心が強まっていったようです)。
    • 英語への興味が強く英語研究会(ESS)に入部、その後多くの弁論大会などに参加し、多くの賞を頂きました。
      またロンドンへの語学留学も実行しました。
    • 幼い頃からの踊りと歌への興味は続き、ミュージカルサークルにも参加していました。
    • 日本の伝統文化に興味を持ち、鑑賞や読書を通して歌舞伎、能楽、和太鼓などの幅広い知識を得ていました。
    • 新潟で現地体験の夏休みなどを過ごし町長に可愛がって頂きました。
    • 能代工業高校のバスケを応援し、同校の校長先生と一緒に各地へ応援に行っていました。
    • 家族思いで、兄の結婚式には手作りの時計を1ヶ月以上かけて製作し、プレゼントをしてくれました。
    • 引きこもりの精神的に苦しい状況にいた先輩や友人を助けようと、全力で努力していたようです。 一人の方は「志奈のおかげで立ち直ることができた」
      とお参りしてくださいました。 (いずれも志奈から聞いたことはなく事故後、当事者の方から伺ったことです)

    ジャーナリストを目指し同大学法学部へ学士入学
    • 文学部では日本の民族文化の研究に力を入れたが、これに加え、今度は日本の文化をより大きな、 国際的な枠組みから捉えることにより、
      日本文化に対する自らの分析を深めんとして、 国際政治経済のゼミに所属しました。
    • また、マスコミ志望の学生が集まるゼミにも所属し、積極的に活動していました。


  11. 信越放送株式会社入社


    • 日本の素晴らしい地方文化や地方で活躍する魅力的な人々を、地方から広く全国に情報発信するような ドキュメンタリー番組を制作したい、
      との夢を持って、地方局の中でも優れた番組制作実績を誇る、 信越放送株式会社に入社しました。
    • 火事で家が全焼し父親が亡くなった先輩の記者のために入社二年の志奈が皆に呼びかけ「励ます会」を 開いたそうです。
      (お参りに来てくださったご本人から初めて伺いました)
    • 長野の文化や自然、そしてそれらを守って生活している人々、また、身体障害者等の社会的弱者といわれる人々に 焦点を当て、
      取材される側の立場に立った、非常に心のこもった取材活動を積極的に展開。企画書を次々と上司に 提出していたそうです。
    • 「長野を活性化する会」や
      NPO法人に所属し、長野のために尽力する。
      「三好さんほど、マスコミという媒体を 通して長野のために尽くしてくれた記者はいなかった」と事故後、会の方からの手紙を頂きました。
    • 取材先の方々との関係を取材後も、取材のお礼状を必ず自筆で便箋に書いて 出すなど、丁寧にフォローしていたようです。
      事故後皆様から、原紙やコピーしたものを頂きました。
      これら真摯な取材姿勢のため、取材先の方々に、とても新鮮な好印象を持っていただき 非常に可愛がって頂きました。
    • 取材姿勢がいつも謙虚で「取材される側の気持ちを大切にしてくれた。あんな記者さんだったら、 是非取材して頂きたい」と
      その後も交流してくださる方々が多かったそうです。
    • 職場でも気配りが良く利き、「打算のないさわやかな心温かい人だった」と多くの方が言ってくださいました。


  12. 事故で亡くなってから


    • 「おひさまバンド」の皆様(HP)が、 事故後志奈のために歌「Never Say Good-bye」を作ってくださいました。
      「おひさまバンド」の皆様と志奈とは、毎年開催されている 「わたぼうしコンサート」で のバンドの取材をさせていただいたことがきっかけで、
      知り合ったそうです。 仕事から始まったお付き合いでしたが、その後もイベントに参加させていただいたり 忘年会に参加していただいたりと、
      仲良くさせて頂いていたそうです。

    • 一年祭のときNHK松山放送局が、志奈の番組を作ってくださいました。
      その取材をして下さった記者の方は、現在も実家に両親をお訪ねいただく等、 お気遣いをいただき、感謝しております。

    • 母が「志奈の庭」をつくりはじめた。それをお知りになった長野の苗木業者の方が、無料で長野からりんごの苗木 を送って下さったり、
      櫻(志奈が取材した)の苗木を送って下さった。
      この苗木業者の方は、志奈が生前りんごの品評会を取材をさせて頂いた方です。

    • 6月に大学時代の同級生の方々が母校慶応大学キャンパス内で、志奈の遺作となったドキュメンタリ番組の 上映会を開いてくださり、
      現役の学生からOBまで50名以上の方々がご参加くださいました。
      このときのアンケートに書いて頂いた思いを、会の主催をして下さった方々が、
      一冊の本にして送ってくださるとの事で、皆様には本当に感謝しています。

    • ありがたいことに、今でも東京や長野から、生前の志奈とお付き合い頂いた方々のお参りが絶えません。


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