立正安国論
(正法を立てて国家を安んじる)
                             (日蓮聖人・波木井の御影)

「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然らばすなわち三界は皆佛国土なり。佛国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊んや。国に衰微なく、土に破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく、崇むべし。」

(平安末期より末法期に入るが、人々は皆、正法をないがしろにした為、善神捨国となり、種々の災難が起こり、それは更なる大難の前兆となっている)
(一説には、釈尊滅後、正法時1000年〈正しい教えが実践されている時期〉・像法時1000年〈正法に似た教えが実践されている時期〉・末法1万年〈正法の滅する時期〉)
正法である法華経(絶対平等=悉皆成仏、久遠本佛が諸法・諸仏・諸菩薩を統一、菩薩行道)に帰依しなければ、『薬師経』に予言された七難(人衆疾疫・他国侵逼・自界叛逆・星宿変怪・日月薄蝕・非時風雨・過時不雨)のうち二難が残っており、必ず起こるであろうと予言され、その後、自界叛逆・他国侵逼の二難が、現実に起こりました。

自界叛逆  二月騒動
(文永9年・京都六波羅の北条時輔と鎌倉の北条教時の謀叛)
他国侵逼  蒙古襲来
(文永の役=文永11年・弘安の役=弘安4年)


        立正安国論であり、立正安人論ではありません。

 宗教は一般的に、神仏と個人の信仰関係であるとも考えられます。
日本国憲法でも、個人の信仰の自由は保障されています。
仮に個人の成仏を最優先にするのであれば、日蓮聖人は『立正安人論』と顕されたのではないでしょうか。

 しかし、日蓮聖人は『立正安国論』と顕され、皆で一緒に成仏しようとされたのです。

「一切の大事の中に國の亡びるが第一の大事にて候(蒙古使御書)。」
「夫、國は法に依って昌へ、法は人に因て貴し。國亡び人滅せば、佛を誰か崇むべき、法を誰か信ずべけんや。先ず國家を祈り須らく佛法を立つべし。國を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん、汝須らく一身の安堵を思ば、先ず四表の静謐を祈る者か。先ず生前を安じ更に没後を扶けん(立正安国論)。」
「我日本國の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓し願破るべからず(開目鈔)。」
(四恩〈本P.の最下段頁を参照〉により自分が存在)自分だけが覚ればよいのではなく、世界中の皆が仏に成るように祈り・覚り・実践し、世界中の皆が成仏して、始めて、自分の真の成仏が顕われます。

※日蓮聖人の御遺文は、『昭和定本日蓮聖人遺文』第1巻・第2巻に、約434編収録。
※日蓮聖人は四箇格言で「念仏無間(地獄)、禅天魔、真言亡国、律国賊(諫暁八幡抄・等)」と述べられ、一見、排他的ではないかと言われることがあります。
 しかし、そもそもは、『諸経を軽んじ僧侶を誹謗する責を法然一人に帰するのは無理だが、法然が大乗経典六百三十七部二千八百八十三巻および一切の諸仏・菩薩・諸神を「捨て、閉じ、さしおき、投げ打った(選択本願念仏集)」ことは疑いの余地がなく、法然自身の文章で明らかである(立正安国論・和英対照P.85)』という事に対しての、反論であったのではないでしょうか。


南無妙法蓮華経
(釈尊の魂・日蓮聖人の魂)
                              (大曼荼羅御本尊)
    
法華経(六九三八四文字)=お題目(五字又は七字)=釈尊の魂
=日蓮聖人の魂

「妙法蓮華経の五字は経文に非ず唯一部の意のみ(四信五品鈔)。」
『一遍も南無妙法蓮華経と申せば法華経を覚て如法一部を読み奉るにて有る也、十遍は十部・百遍は百部・千遍は千部を如法に読み奉るにてあるべき也(十如是事)。」
『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給ふ(観心本尊鈔)。」
「日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(経王殿御返事)。」
「是等の趣を能能心得て仏になる道は我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経を唱へるべき者也(法華初心成仏鈔)。」
※お題目のなかに宇宙の統一真理(絶対平等・久遠本佛・菩薩行道)である法華経(六九三八四文字)が凝縮している。

        立正安国論であり、立仏安国論ではない。

 吉田兼好は「八になりし歳、父に問云」「仏とはいかなるものにか候らん(方丈記・徒然草等)」又「人はどうやって仏になる?」「仏には誰が教えたのか?」「仏の仏は?」「最初の仏とは?」と矢次早に質問し、父を悩ませたと伝えられます。

 仏が先なのか?、法が先なのか?、永遠の論議なのかもしれません。

法本尊   法→仏→法→僧  
    (宇宙統一の真理の法を聞法して覚った仏が法を僧に説く。)
仏本尊      仏→法→僧           (仏が法を僧に説く。)

※古来より、法本尊と仏本尊の二論等々が、又法仏一体論等々が論議されるところです。

※しかし、仏教は天地創造説等の絶対者の存在を認めません。因縁生起説をとるので、宇宙の統一真理である法華経を最優先させる事が自然ではないでしょうか。
※なぜなら、日蓮聖人は『南無(久遠実成本師)釈迦牟尼佛』と唱えるのではなく、『南無妙法蓮華経』と唱えよとされたからです。

『南無(久遠実成本師)釈迦牟尼佛』と唱えるのであれば『立仏安国論』であり、
『南無妙法蓮華経』と唱えるのであるから『立正安国論』であるのではないでしょうか。

「我はこれ法王・法に於いて自在なり(譬喩品第三)。」
「あをぐところは釈迦佛、信ずる法は法華経(盂蘭盆御書)。」
「経は師なり。佛は弟子なり(乗明聖人返事)。」
「如来とは南無妙法蓮華経也(御義口傳上)。」
「法華経の題目は八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目なり(法華題目鈔)。」
「夫れ出家して道に入るは、法によりて仏を期するなり(立正安国論)。」
「法に依って、人に依らざれ(涅槃経)(守護国家論)。」

            船は題目・船人は釈迦・乗合は我等なり
 「大乗と申すは大船なり(乙御前御消息)。」
「生死の大海を渡らん事は妙法蓮華経の船にあらずんば叶ふべからず(略)釈迦如来は楫を取り、多宝如来は綱手を取給へば、上行等の四菩薩は函蓋相鷹してきりゝとこぎ給ふ所を如渡得船とは申也、是に乗べき者は日蓮が弟子檀那等也、能々信じさせ給へ(如渡得船)。」


※立正安国論であり、立正安人論でも立仏安国論でも、まして立仏安人論でもない、ということではないでしょうか。

                顕教と密教
※私達は『宇宙の統一真理である法華経』を法又佛から、直接、受持することはできません。なぜなら、直接、法や佛の姿は拝顔できないし、声を聴聞することはできないからです。そこで私達は、宇宙の真理(法華経)を覚った佛が、説いた法を経典として編纂し、法を受持することができます(顕教)。
※一方、宇宙の真理を、佛を通さず、直接、自分自身で受持しようとする宗派もあります(密教的)。
例えるなら、顕教とは・・・真理(法)を伝える為、放送局(佛)から絶えず電波(法)は流されているが、テレビ(経典)がなければ、放送は見れない(僧・俗は真理を得る事ができない)。
密教的は・・・自らがテレビとなって、直接法を受信しようとするようなものではないでしょうか。
              ↓
     法華経=お題目を大切にいたしましょう

(南無妙法蓮華経の五字又七字とは、南無は帰依するという意味の動詞なので五字、含めれば七字)

総本山・身延山・久遠寺



四恩
                 世間(師匠) の恩
                 父母(先祖) の恩
                 国主(国土) の恩
                三宝(仏法僧)の恩
                          (四恩鈔・報恩鈔・開目鈔等)
 四恩によって自分が存在しているのであるから、自分だけが覚れば良い(『立正安人論』的)のではなく、世界中の皆が仏に成るよう祈り・実践し、世界中の皆が成仏して、始めて自分の真の成仏が顕われる(『立正安国論』的)という生き方が正しいのではないでしょうか。

   立正安人論的生き方  
 自分だけが(先祖だけが)成仏すればよい。・・・ではなく。

   立正安国論的生き方   
 国家・世界・宇宙に属することを自覚し、四恩に感謝し、(日蓮聖人が如来使・地涌の菩薩の最上首である上行菩薩の再誕のご自覚に立たれて不惜身命のご布教をなされたように→菩薩行道)日々眼前の勉学・職務に努め、切磋琢磨し、自分のできうる範囲の様々な形で社会に貢献し、この娑婆世界に浄仏国土(立正安国)を顕現し、皆で仏に成る、という生き方が理想ではないでしょうか。

          四方両得的な社会で皆が利益を得る

      商人  買ってくれてありがとう。
      消費者 売ってくれてありがとう。
      国家  納税してくれてありがとう。
              ↓
      世間 税金で、社会基盤整備してくれてありがとう。
          (教育・医療・福祉・建設・警備等々)

     四恩の人であって、一恩の人ではない
 父母をはじめ、先祖は大切にしますが、はたして他の三恩に対してはどのように接しているでしょうか。社会との関わりは大変難しいとも思いますが、立正安国世界顕現のためにも、四恩の人を心がけていきたいと思います。

※以上、この頁は私論を述べさせていただきました。


             六波羅蜜
 大乗仏教の菩薩の実践すべき徳目に六種あるといわれています。

1、布施     財施
          法施 (真理を教える)
          無畏施(安心を与える)
2、持戒
             五戒
      不殺生戒(生あるものを殺さない)
      不偸盗戒(他人のものを盗まない)
      不邪淫戒(邪まな心をもたない)
      不妄語戒(嘘をつかない)
      不飲酒戒(酒を飲まない)
3、忍辱
4、精進
5、禅定
6、智慧

日蓮聖人は、お題目を唱えれば、「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前せん(撰経頂戴文)」と述べられています。
異体同心・異口同音にお題目を唱えましょう。


    
※基本的に仏教では飲酒は禁止されているるようです(イスラム教でも六信五行で禁止)。
              ↓
 しかし、古来より『薬用』としての服用は広く認められていたようです。
              ↓
 日蓮聖人は「(病床で)この十余日はすでに食も殆どとヾまりて候上、雪はかさなり、寒はせめ候。身のひゆる事石のごとし。胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこの酒は温かにさし沸かして、かつかうをはたと食い切りて、一度呑みて候へば、火を胸にたくがごとし、湯に入るににたり(上野殿母尼御前御返事)」とその効用を述べられています。
              ↓
 しかし、呑み過ぎ・酩酊に注意しましょう。
「煩悩無明の酒に酔いて、仏が自身の服の裏に縫いつけていってくだされた、宝珠の存在に気づかず(衣裏繋珠の喩・五百弟子受記品第八)」という事がなきように。
又、「無明の酒に酔いて身内の仏性の蓮を知らず。煩悩の闇に迷て我性の真如を覚らず(当体蓮華鈔)」という事がないように気をつけましょう。