2011. 3. 20.(日)

未曾有の地震から1週間経ち。
余震が毎日続き、原発の被害が広がらないように、
自衛隊、消防隊、警察官の方々が尽力しておられる。

たくさんの人が亡くなり。
たくさんの人がこれからの生活をどうすればいいのか、
心を痛めておられる。

私たちにできることは何か。
いろいろ考えたけど。
何を言ったところで今は本当に微々たるもので
説得力なんてまるでないけど。

日々の節電&節制と。
きちんとした場所へ少しなりとも募金をして。
たくさんたくさんお祈りして。
生かされている感謝の気持ちを忘れずにこれから過ごして行くことと。

でも、一番しなきゃいけないのは、たぶん。
普通に過ごして一生懸命働いて日本に貢献すること。

消費するものはちゃんと買って、少し余裕があれば外食もして。
日本経済を停滞させてはいけない。
働ける環境がある幸せに感謝しつつ、被災された方のことをぜったいに忘れず
一生懸命与えられた仕事をする。
これも社会貢献になるんだと、自分に言い聞かせて。
だから、連休明けからも、いつも通り渋谷へ通って一生懸命仕事します。

4月から勤務地が変わる旦那サマ。
今まではノーネクタイでオッケーだった職場だったけど、
次のところは夏以外ネクタイ着用の場所らしいので。

今日はネクタイを買いに、久しぶりに二子玉へ行って来ました。
二子玉は新しい商業施設がオープンしたばかりとあって、
駅周辺は本当に賑わってました。

こんな時に不謹慎かもしれないけど。
だけど、これも日本の経済を支える意味では、とってもとっても重要なことなのだと思います。
元気な私たちが社会貢献しなければ。

そして。

下の日記でもお知らせしたとおり。
1月末に、我が家では本当に辛い出来事が起きました。
その結果、パニック症候群にかかりました。 本当に辛かったです。

自分の気持ち的に、詳しく書ける時がきたら書こうと思います。

だけど、そんなことに負けていられない。
昨日はそのことで一歩前進できました。

時間が進むにつれ。
乗り越えないといけないことがたくさんあるけど。

私たちは前に進まないといけないんだ。
2011. 3. 13.(日)

本当に本当に久しぶりの更新です。
いろいろご心配おかけして本当にすみませんでした。

地震による被災にあわれた皆さま、心からお見舞い申し上げます。
テレビに映し出される映像を見ていて、本当に本当に心が痛みます。涙が出ます。

そして、地震のことで心配してメールや電話をくれたお友達たち、
本当にありがとうございました。
おかげさまで、我が家はみんな元気でおります。

地震の起きた金曜日は、いつも通り渋谷の職場におりました。
午後突然きた揺れ。 全くおさまることなく、本当に長い間揺れ続けました。 もう怖くて怖くて。
すぐ近くにある、東急文化会館跡地に建設中の高層ビルのてっぺんにある2基のクレーン。
右へ左へぐらんぐらん揺れ続け、私たちのいるビルに倒れてくるんじゃないかと、心の底から恐怖を感じました。

そして、職場のあるビル内部には亀裂が多数。
その後も余震が何度も何度も襲ってきて。 ずーっと恐怖の時間でした。

仕事終わりの時間になるも、電車は全てストップ。
道に出てタクシーに乗りたくても、全くひろえず。 どのタクシーにも先客あり。
高速道路、首都高が全て通行止め。 そのため、一般道は大大大渋滞で全く動かず。
都市部の交通麻痺の惨状を目の当たりにしました。

もたもたしてても仕方ないので、自宅方面へ歩き始めました。
一刻も早くレオとアンジのところへ帰りたい。
途中で電車が動いたら地下へ下りればいいや、途中でタクシーがひろえればいいや、なんて
甘い考えのまま、早足で帰路を急ぎました。
携帯電話は全く繋がらず。 自分が今いる位置を確認できたりしたのは助かったけど、本当に全然繋がりません。
途中の公衆電話は長蛇の列。 そこからかろうじて連絡がとれる状態。
両親と連絡がとれて、心配して家に来てくれてると知って安堵。
レオとアンジがどれだけ怖い思いをしてるか。。。と思うと、本当に生きた心地がしなかったので。

ヒールのあるブーツでとにかく急ぎました。
「レオ、アンジ、レオ、アンジ、」と念じながら一心不乱に歩き続け。
結局、電車は復旧することなく、タクシーも全くひろえず、時間だけが過ぎて。
歩く距離だけがどんどん伸び。 しかし徒歩で帰宅する方の本当に多いこと!
同士がたくさんいて心強かったけどね。
でも、だんだん足が痛くて痛くてどうしようもなくなり。。。 こんな時なんでヒールなんだと自分を恨みました。
渋谷から4時間半歩いたところで(帰宅後距離を調べたら15キロ歩いてました)歩ける状態ではなくなり。
それでも、職場から自宅までの距離の半分以上を自力で歩きました。
辿り着いたコンビニまで、父に車で迎えに来てもらいました。
いつもなら車で30分ぐらいのところなのに、大渋滞で1時間半以上かかったみたいで。
本当に感謝感謝でした。。。。

渋谷から歩き始めたのが17時ごろ。 結局家に着いたのは23時過ぎでした。
旦那サマは交通機関が復旧するのを職場で待機していて、1時半に帰って来ることができました。

今回のことで改めて防災について考えさせられました。。。
一番心配してたキッチンの食器棚は、天井との間に耐震用の突っ張り棒を挟んでたおかげで全くの無傷。
それでも、キッチンの引き出しが飛び出ていたり、本やCDは散乱してたし、いろんな物が倒れてました。

ライフラインが止まった時のために、慌てて備蓄品のチェック。
2008年に取り寄せた備蓄用のお水の消費期限もまだ大丈夫。
固めるタイプのおトイレもある。 ティッシュ関係の備蓄もオッケー。
ガスバーナー、ランタンもオッケー。 マントルの在庫もオッケー。
電池もオッケー。 ラジオもオッケー。

モンベルへ行き、ガス缶の数がちょっと不安だったから買い足しました。
あと、お湯を入れるだけでオッケーな、山用のアルファ米ご飯も何種類か買って来たり。
スーパーで、レトルト食品、缶詰め、パスタなども買って来ました。
恐らく2週間ぐらいは問題なく過ごせるでしょう。
レオたちのフードも多めに備蓄完了。 これが一番大事だったりする。

びっくりしたのが、カップラーメン、お水、パンは、どのスーパーでも売り切れ。
棚が空っぽだよ。。。 あと、防災用品の売り場も品薄状態。
ガソリンスタンドは長蛇の列。 レギュラーガソリン売り切れましたなんてスタンドも。

備えあれば憂いなし。
この言葉を改めて肝に銘じようと思った今回の地震です。。。
大事な荷物もとりあえずまとめておきました。 いつでも飛び出せるように。

余震が続いてます。
常に身体が揺れてる感じです。
落ち着くのはいつになるのでしょう。。。 本当に不安です。


この日記を書かない間。
写真のように、妹と姪っ子ちゃんとマナちんと海へ遊びに行ったりしてたんですが。。。

本当に本当に。
みなさま、ご心配おかけしました。

これだけお休みしてたら。。。 いつも見てくださってる方は「??」って思いますよね。。。
電話とメールをたくさんたくさん頂戴してしまいました。 本当にごめんなさい。

実は、1月末から本当に本当にいろいろありまして。
あまりの出来事に、実は心の病にかかったりしておりました。
旦那サマ、レオとアンジ、両親、妹、お友達たちに支えられ、ありがたいことに短い時間で乗り越えられました。
これからも更新ペースが遅くなりそうですが、どうか暖かく見守ってくださいね。

Kimagure-Diary