フェアプレーの精神

今回は私なりにフェアプレーとは何かということを考えてみたいと思います。

昨年のことです。当時の5年生の大会に審判として参加ときのこと。我がチームの対戦相手のコーチの方とその前の試合の審判を担当しました。相手チームの3級審判員の方が主審を務めてくださり、ここでは詳細は省きますが、試合前の打ち合わせの時から素晴らしい審判だなと感心し、このような方が指導しているチームはきっといいチームだろうなと思ったことを記憶しています。

ところが、我がチームとの試合が始まってびっくりしました。前の試合で審判を務めた方はベンチ入りしていなかったのですが、相手ベンチのコーチから審判に対する耳を疑うような罵声が飛ぶのです。5年生ともなれば時として少し激しい体のぶつかり合いも出てきますが、ファールではない正当なチャージである場合もあります。しかしそのコーチはそうしたプレーの一つ一つに「今のファールじゃないか、何見てるんだよ」と怒鳴るのです。我がチームがスローインをする時には、「場所が違うじゃないか」というようなことも言っていました。技術の低い審判を容認するつもりはありませんが、地域の子どもの大会に上級審判員を呼ぶことはなかなか難しいのが現実です。おそらくその時の審判も私たちと同様にお父さんボランティアコーチだったのでしょう。真っ赤な顔をして審判を続けていましたが、私が主審だったら相手チームのコーチは退席処分にしたと思います。

何がいけないか。審判や対戦相手がいなければサッカーの試合は出来ません。審判や相手選手に対しては敬意を持って接するべきです。奇麗事と言う人もいるかもしれません。しかしその時の相手チームのコーチの言動は間違いなく両チームの子供たちに悪い影響を与えたと言えます。威圧的な物言いが両チームの子供たちのプレーを萎縮させるだけでなく、自分のプレーがうまくいかないことを審判のせいにする子どもを育てることになる可能性があります。このことはきちんと考える必要があります。自分のプレーがうまくいかないことを人のせいにしてしまったらその子はそれ以上伸びなくなるのではないかということです。

これは故意に行うファールについても同じだと思います。高学年になってくると相手選手に抜かれそうなときなどに相手選手のシャツを引っ張ったり、肩をつかんだりというプレーをする子が出てきますが、相手の技術が自分より上回っている時にすぐに手が出てしまっては、正当に止められる技術を獲得する機会を逸します。また、よくサッカー解説者がポルトガル語で「ずる賢い」という意味の「マリーシア」という言葉を使って、日本のサッカーにはマリーシアが足りないと言います。相手のシャツを引っ張ったり、肘打ちを喰らわせたりすることを審判に見えないところでもっとやるべきだと言わんばかりです。しかしこうした行為は「フェア」ではありません。

「フェアプレー」のすすめは単に道徳の世界の話ではないと思うのです。勝つためにはアンフェアなプレーや行為をしてもよいという考え方は、その瞬間においては成功を収めることもあるかもしれないが、結局は選手の成長を阻害する原因となることを私たちコーチやジュニアの場合は保護者も含めて十分理解する必要があるのです。フェアプレーによって選手としての成長が得られる、これが私なりにフェアプレーを考えてみた結論です。(2005年6月 小幡記)

(参 考)
JFAサッカー行動規範

1. [最善の努力]

どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽くしてプレーする。

2. [フェアプレー]

フェアプレーの精神を理解し、あらゆる面 でフェアな行動を心がける。

3. [ルールの遵守]

ルールを守り、ルールの精神に従って行動する。

4. [相手の尊重]

対戦チームのプレーヤーや、レフェリーなどにも、友情と尊敬をもって接する。

5. [勝敗の受容]

勝利のときに慎みを忘れず、また、敗戦も誇りある態度で受け入れる。

6. [仲間の拡大]

サッカーの仲間を増やすことに努める。

7. [環境の改善]

サッカーの環境をより良いものとするために努力する。

8. [責任ある行動]

社会の一員として、責任ある態度と行動をとる。

9. [健全な経済感覚]

あらゆる面で健全な経済感覚のもとに行動する。

10. [社会悪との戦い]

薬物の乱用・差別などスポーツの健全な発展を脅かす社会悪に対し、断固として戦う。

11. [感謝と喜び]

常に感謝と喜びの気持ちをもってサッカーに関わる。



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