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1987年10月から1989年9月までドイツのKarlsruheのすぐ北にある小さな 町に住んでいた。ドイツへ移り住んだ当時、ショウコは小学校1年生、 ヒロコは幼稚園年中組、タイクンは1歳10ヶ月だった。ママはタイくんを おんぶしてショウコとヒロコの手を引き、パパは5人分の荷物を抱え、 ふらふらになりながらもなんとかKarlsruheの新居に辿り着いた。

ドイツには多くの外国人がいるため、ドイツ語をしゃべれない子供たち にドイツ語を教えてくれるクラスが幾つかの小学校に作られていた。 そんな小学校が隣町にあったので、ショウコはその小学校へ入学した。 ヒロコは町の教会が運営している幼稚園に入り、タイクンはいつもママに くっついて、時々大家さんの赤ちゃん(1年年下)と遊んでいた。

ドイツでは小学校から大学まで教育費はすべて無料だった。ショウコが 隣町の小学校へ行くことになったら、バス代まで学校が出してくれた。 ショウコは準備クラス(Vorbereitungsklasse)、別名外国人クラス(Auslaenderklasse)に 入った。授業はぜんぶドイツ語だったけど、先生は外国人クラス専任の ベテラン教師で長い経験があり、絵やジェスチャーを使って上手にドイツ語 を教えてくれた。おかげでショウコはドイツ語をどんどん覚えていき、1年後 にはほぼ普通に話せるようになった。そして、ママが子供たちを連れて 買物に行くと、いつのまにかショウコが通訳をするようになっていた。

ショウコのクラスは外国人ばかり。アメリカ人、ブラジル人、ポーランド人、 ユーゴスラビア人、エジプト人等、様々だった。ある程度ドイツ語を話したり 読んだりできるようになると、少しずつ普通のクラスの授業を受けるように なる。そして、ドイツ語が上達するにつれて普通のクラスでの授業が増えて いき、最後には全部の授業を普通のクラスで受けるようになるんだ。 こんな事情もあって、ショウコの一番の友達はドイツ人ではなくて、 ポーランド人だったよ。

一方、ヒロコが通い始めた幼稚園は、ただ子供を預かるだけで、ヒロコに ドイツ語を教えてくれることはなかった。幼稚園に通い始めてまもなく幾つか の言葉を覚えたけど、そこでストップしたままで、半年以上たってもほとんど 上達しなかった。これではヒロコがかわいそうと思い、2年目にはショウコの クラスの先生に頼んで、ヒロコも小学校に入れさせてもらった。ただ、ヒロコ はまだ5才半で小さかったし、ショウコがいつも一緒で、なんでもショウコに 頼ってしまったため、ヒロコのドイツ語はショウコの様には上達しなかった。

タイクンは当時まだ幼すぎて、ドイツのことはほとんど覚えていないようだ。

このようなわけで、ドイツでの生活は子供を中心にした生活になってしまった。 幼稚園や小学校のお祭り、町のお祭り、子供合唱団の発表会、バイオリンの お稽古、遊園地や動物園でのエピソード等、色々なことがあった。また、夏には おじいちゃんとおばあちゃんが来たり、家内の姉一家が来たりして、あちこちへ 旅行に行った。また、子供が病気になって病院に入院したこともあり、けっこう 苦労も多かった。それでも、今となってはどれも楽しい思い出になっている。

帰国してから10年以上経過し、当時の写真の色が褪せ始めた。このままでは せっかくの写真が台無しになってしまうので、暇を見てスキャナで読み込み、 デジタル化して写真を保存することにした。でも、まだ整理を始めたばかりで、 ほとんどは手付かずのままです。

このアルバムはそのころに撮った写真の一部です。写真の整理とともに、 このアルバムも少しずつ増やしていきます。


おじいちゃんとおばあちゃんが来た!

ヒロコの幼稚園祭

復活祭と誕生日

小学校

お買い物とサイクリング

再びドイツへ






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