アルゼンチンタンゴと私



音楽を聴くたのしみ



私が特にアルゼンチンタンゴに興味を持ったわけ

 私のタンゴ鑑賞趣味はいわゆるマニアとして公表するほど打ち込んでいた訳でもないし、 レコードのコレクションにしてもその道の大家の足元にも及ばぬささやかなものであるが、 戦後間もない時代の一人の軽音楽ファンの足跡を紹介する意味でこのページを作った次第である。
 私がアルゼンチンタンゴに興味を持ったのは高校生のときであった。
同級生にタンゴが好きな男が居て、その影響もあったと思う。
 ときは昭和27〜28年ころ、まだ民間放送が始まって間がない時代であったが、 ラジオ東京(現在のTBS)、文化放送ではオルケスタティピカ東京、オルケスタティピカ ポルテニャなどの日本のアルゼンチンタンゴバンドの番組を放送していた。
この番組では高山正彦さんが解説を担当され、作曲家や演奏家にまつわる豊富な知識を 披露してくれていました。
 両局ははがきで応募するとスタジオに招待してくれるので、当時、有楽町にあった ラジオ東京のホールや、四谷の文化放送に出掛け、生演奏を聞きに行ったこともありました。
 またNHKでは高橋忠雄さん、高山正彦さんのディスクジョッキー番組があって、 日本では手に入らない貴重なレコードを聞かせてもらえるのが楽しみでした。
 高山さんの番組では演奏家を当てるクイズなどもあったので、私も度々応募しました。
特に賞品が出る訳ではないのですが、翌週の放送で正解者が発表され、その中に自分の 名前があるだけでわくわくしたものです。
 現在アルゼンチンタンゴの生演奏番組はおろか、レコード演奏によるラジオ番組も なくなってしまい寂しい限りである。

 レコードと私

 昭和20年代の後半、レコードといえばまだSP盤のみで、LPは登場しておらず、手に入るレコードと いえばティピカ東京と専属歌手藤沢嵐子のレコードや、戦前録音のアルゼンチンのバンドの レコードくらいで、値段もいまの物価からみれば高価で高校生の小遣いで買うには大変でした。
 それでもなけなしの小遣いをはたいて集めたレコードは、いまだに手放さず保管しています。
 その後、輸入物のクラシックやジャズのLPレコードがぼつぼつ店頭に出回るようになったが アルゼンチンタンゴのものはまず見当たらなかった。
 ある日、秋葉原の電子部品店が集まっているラジオデパートのジャンク屋に 米国DECCAから発売されたオスワルド プグリエーセ演奏のLP盤が並んでいるのを発見。
しめたと思いLP再生装置を持っていないにも拘らず、EP盤のほうを早速手に入れました。
 その後、アルゼンチンタンゴの国産LP盤もぼつぼつ発売されるようになり、最初に買ったのが、 ビクターのホァン ダリエンソ楽団のフェリシアなど8曲が入った10インチ盤でした。
 今まで国産レコード会社といえばビクター、コロンビア、テイチクなどでしたが、東芝が 新たにエンジェルというラベルを発売し、その頃アルゼンチンの有力なレコード会社 オデオンが擁する楽団のものを次々と発売し、今まで入手できなかったオルケスタの レコードが手に入るようになりファンを喜ばせてくれた。

 次に私の数少ないコレクションのうち、昔手に入れた私にとっては貴重と思える もの数枚を紹介します。



 ホアン ダリエンソ(JUAN D'ARIEZO)楽団のデレーチョヴィエホ (DELECHO VIEJO)ビクターSP盤です。 ラベルはDEVECHO VIEJOとミスプリントになっているところがご愛嬌。
戦前の録音でSP盤としても 音質は悪いが、すすり泣くような独特の バイオリンの音色はこの時代のダリエンソを堪能できる演奏である。


 秋葉原で買った前記のプグリエーセ(OSVALDO PUGULIESE)EP盤です。
NN, PARA DOSなど8曲が入っています。 同時に売っていたLPは10インチ盤 1枚の両面に8曲入っていましたが、EPは両面4曲で2枚組みとなっています。


 和30年代に入った頃か、クリスマールというラベルのレコードが 発売され、今まで日本で手に入らなかった 楽団、クリストバル  エレーロ(CRISTOBAL HERRERO) アニバル トロイロ(ANIBAL TROILO) などがあり、 目新しかった。レコードはエレーロの[ラ メルセの鐘] (CARILLON DE LA MERCED)。 SP盤は一般に紙などのベースにシェラック という昆虫の分泌物を精製した樹脂のようなものをコーティング した 素材をプレスして作られていたが、クリスマールのSP盤にはアルミ板 にアセテートをコーティングした 新素材を使ったものがあり、これは その一例である。シェラック盤に比べスクラッチノイズは少ないようで あったが磨耗が早く、音質劣化も早かったようだ。


 その後、ミュージックホールというレコードも発売され、カルロス ディ サルリ(CARLOS DI SARLI) などはここから発売された。レコードは SP盤で[大きな人形](A LA GRAN MUNECA) ミュージックホールはジャズ> なども発売していたと思う。


 東芝がレコード業界に進出し、エンジェルのラベルでアルゼンチンタンゴも 発売した。前記プグリエーセや フランシスコ カナーロ(FRANCISCO CANARO) カルロス ガルデル(CARLOS GARDEL)などもこのラベルで 発売され、 ファンを喜ばせた。
レコードはガルデルの我が悲しみの夜(MI NOCHE TRISTE) SP盤


 最初に買った国産LP盤。
ホァン ダリエンソ(JUAN D'ARIENZO)のアルバム。10インチ盤で フェリシア(FELICIA)、このページのBGになっているエル チョクロ (EL CHOCRO)など8曲が 入っている。フェリシアほか数曲は新しい 録音で音質もいいが、中には古い録音のものをそのまま入れている ものがあって、音質にバラツキがある。


 以前は日本コロンビアから出ていたフランシスコ カナロも新しい演奏のものが エンジェルから発売された。
このアルバムも10インチ盤で、インスピラシオン*霊感(INSPIRACION) タンゴではないヴァルス(ワルツ)の曲、黄金の心 (CORAZON DE ORO) など8曲が収録されている。
カナロが新しい試みとして、オルケスタ ティピカ編成にクラビオリン などを加えたりして意欲的なところ を見せている。
 エンジェルも曲または演奏家によってLPで出したりSPで出したりで まだLPに一本化していなかった。 困るのはある曲が欲しくてSPを買うと B面がLPのアルバムに収録されていたりしてダブってしまう ことがままあることであった。




 レコードコンサートの思い出

 昭和30年前後の時期、東京には音楽喫茶というものが数多くあり、クラシックをはじめ、ジャズ、 シャンソンなどのほか、アルゼンチンタンゴ専門の喫茶店もあちこちに見られた。
 これらの喫茶店は所蔵レコード目録を置いていて、客がリクエストすればその曲を掛けてもらえる ので、 コーヒー1杯で何時間も粘るのが常だった。  いまはこれらの喫茶店も殆ど無くなってしまったが、 今もただ1軒、神田駿河台三省堂脇の小路にある 「ミロンガ」だけが残って営業を続けている。
 これとは別に当時は全国のアルゼンチンタンゴファンが各自秘蔵のレコードを持ち寄って各地で レコードコンサートを開催していた。
 体を壊し、長崎の両親の家で静養していた時代に、はっきりした記憶はないが、多分市立図書館あたり だったと思うが、定期的にアルゼンチンタンゴのコンサートが開かれていたので、しばしば顔を 出していた。
 大学入学後一年は静岡県三島に住んでいたが、沼津でも定期コンサートが行われていたので、三島から 旧東海道を走るチンチン電車(駿豆鉄道軌道線)に乗って沼津まで出掛けたこともある。
 大学4年秋病気が再発し、東京信濃町駅前の病院に2年ほど入院する羽目になったが、ある看護婦から 駅前の 小ホールで月に1回アルゼンチンタンゴのコンサートが開かれているということを教えられ こっそり病院を抜け出して聞きに行ったのも今となっては懐かしい思い出である。
その時の司会が大岩祥浩さんで、記憶違いかもしれないが、時には高山正彦さんが来られたこともあった ように思う。
コンサートは大岩さん秘蔵のレコードが聞けるのが楽しみであったが、時には川口さんギターコンフントと 歌手の前田美智子さんを呼んで生演奏を聞かせてくれたこともあった。
 いまは特にレコード、CDを集めるでもなく、コンサートに出掛けることもなく、たまに昔のレコードを 出して掛けるか、ラジオやたまにTVで取り上げるコンサート番組を楽しむ程度となってしまっている。

   

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