こんな本どお?

小学校から社会人までの長い年月の間に、人はそれなりに文章と接するものだろう。
そこから足跡をたどって幾つか記すだけで、十分おもろいコンテンツになるだろう。
とあさはかな私は考えたのだが、
私が一番本を読んだというか文章に接していたのは高校生の頃なのである。
最近は、多くの小説の類が長大に感じられて読む意欲がなかなか起きない。
つまり、文章を感じる感覚が鈍ってるだろうとは思うが、まあいいか。 と言うわけで、このコーナーはしおしおの読書感想文である。
とりあえず、いままで適当に書き飛ばしてきたかなり感傷的で言葉足らずな文章をを並べてみた。
いずれ、まとまってきたら整理するつもりよ。(いつ?)



「西行花伝」 辻邦生 著

西行花伝は、辻邦生の晩年に近い作品になるのかなあ。。
語り口は相変わらずストイックなのですが、文章の読ませ方は柔らかくなっているのかな・・(若かりし頃の”回廊にて”とかは直球勝負過ぎる)
テーマは一貫しているのだけどね。。

歌こそが真言。
世の全てをいとしく思い。
はかない浮世をつなぎとめるのが歌。

辻邦生の小説は、初期は、ひたすらな美(真実)への求愛によって息苦しいほど濃密だけど、変な言い方をすれば西行花伝では円くなって到達したのかな。。

2002年12月28日


「さびしい王様」 北杜夫著

最近は、北杜夫を読んでないので、偽者の北杜夫ファンですけどね。。

高校1年の頃、ドクトルまんぼう航海記に出会い、、はまっていきつつあった私は、
本屋で、さびしいシリーズを見て、
この人こそ私が待ち望んでいた小説家だ。
と、感じたのでした。
さびしいシリーズは、まさに、北杜夫にしか書けない物語ですね。

わたしはガーツガツが好きだったりして。

北杜夫の小説はすべて、ひとのこころにあるのです。
そして、人物、背景、スト−リーは、そのためにあり、
私のそばにいてくれるのでした。。

2001年11月30日


天才柳沢教授の生活 山下和美著


モーニング誌にて不定期連載。。。
読めばお分かりになる。。(て、おい)
なんでも論理的に考えようとする、
Y大経済学部教授の日常生活を描いている。
それぞれの人物の心理描写と解釈が秀逸だと思う。
細やかなかつ直裁な視点とも言うべきか。
登場人物がみんなとぼけているのがよい。。 (目がすきだなあ)

2001年10月19日


元通産官僚で、前経済企画庁長官の堺屋太一。


政治家、または行政担当者としては評価しようがないのですが、
物書きとしては、なかなかおもろいひとです。
団塊の世代とか、油断(オイルショック)とか
キャッチフレーズを作るのが上手い方。

さて、アイデア豊富の彼の歴史小説は、
他の作家と違った視点と構成がなされていて面白いのです。

堺屋はタイトルに挙げた豊臣秀長や石田光成を主人公にした小説を書いてます。
トップを狙わないNo2として、秀長を描き、その存在が組織に不可欠と言っています。
石田光成は「巨いなる企て」という小説で取り上げており、
関が原の合戦という一大プロジェクト立ち上げた(その実施は失敗したが)人物として肯定的に描いております。
他社からやってきた代表権をもつ副社長にたち向かう、プロパーの社長室長件企画部長という比喩を用いてます。

発想もおもろいのですが、なぜかこの2者に共感してしまったのですね。
きっと堺屋太一も、親近感を感じていたのでしょうね。。
まあ、二人ともエリート官僚みたいなもんだもんね(政治的ではないって意味)

2001年10月02日


昨今大活躍の塩野七生


ローマ人の物語は、文庫本がでたら読もうかな。
はじめて読んだのが、首記にある「海の都の物語」です。
ベネチア1000年のお話なのだ。
アドリア海の女王と称されるところ、今は観光地だが、
昔(ルネサンスのころだね)は大海軍国であり、貿易大国だったのだ、
その社会は貴族による共和政っだのだよ。ずっと。
英雄に頼らず、凡人の知恵を集めたのだよね、
政職につくものの汚職は死罪だったのだ。

サンマルコ寺院はとても趣ぶかかった。
オリエンタルなのだよね (後記、感想そんだけかい!)
もう一度ベネチアに行きたいなあ。。。 (この年の春に卒業旅行でドイツ・イタリアに行った)

上記以外には、いままでエッセイを結構読んでたりしてます。
氏の文章にによく出てくる「善悪の彼岸」という言葉が印象的です。

2001年09月27日


ゴルゴ13 さいとうたかを著


そんで、なぜかゴルゴ13をよんでました。 (夏休み中)
しかも1、2、3巻。
この頃は冷戦まっただなか、なんですなあ。
でも、絵のタッチが今とほとんど変っていない事におどろいたなあ。
結構、しゃべってますよ、ゴルゴ。
ルパン3世も脚本家がいろいろいたそうですが、
ゴルゴも、旬の原作者の方々が競演してるそうです。
それで、100巻以上続いてるわけですけどね(こんなこと誰でも知ってるか)
なんで、こんな事書いたかと言うと、ルパンとゴルゴって雰囲気にてるんだよね。。

2001年08月14日


「北杜夫展」


今、世田谷文学館というとこで、「北杜夫展」がやってるんですね。。
先週の土曜に北さん自身の講演があったんですが、残念ながら行けず、 次の日曜日に行きました。
自筆原稿や、メモ、斎藤輝子(北さんの母、斎藤茂吉の妻)の因縁の旅行かばんなどあって感激しました。
特に、辻邦夫との手紙は大感激しました。。日本人的でない二人の大作家は、旧制高校(松本高校)以来の大親友だったのです。
文学のとこにも書いてますが、僕にとってはほんとにこころの師匠だと感じてまして、、、最近はあんまり読んでないけど・・・だって、読み始めたら止まらない怖れがありますもので・・・
うん。

2000年10月13日


ツルゲーネフの「はつ恋」


 ああ、青春よ! お前はどんなことにも、かかずらわない。お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、一人占めにしているかのようだ。(中略)……ひょっとすると、お前の魅力のつまるところ、一切を成しうることにあるのではなくて、一切を成しうると考えることができるところにあるのかもしれない。(中略)
  さて、わたしもそうだったのだ。……ほんの束の間たち現れた私の初恋のまぼろしを、溜息の一吐き、うら悲しい感触の人息吹をもって、見送るか見送らないかのあの頃は、私はなんという希望に満ちていただろう! 何を待ちもうけていただろう! なんという豊かな未来を、心に描いていたことだろう!
  しかも、私の期待したことのなかで、いったい何が実現しただろうか? 今、私に人生の夕べの影がすでに射し始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎ去ってしまった朝まだきの春の雷雨の思い出ほどに、すがすがしくも懐かしいものが、ほかに何が残っているのだろうか?

ツルゲーネフの「はつ恋」の終わりのほうの文章。
ロシアは憂愁でありますね。音楽しかり、そして文学も。ツルゲーネフはその中でも、哲人的な、つまり人間を愛する憂愁であるそうです。ゆえに、とても音楽的な気がします。淡々と事はすぎてゆくなかで、感情は表れては消えていく。叙情と悲哀の基調のなかで…。 さて、上の文に私は感じ入ってしまったわけです。同感したんです。ほんとに、あのときのトキメキ以上にすがすがしくもなつかしいものはないですね。人それぞれの大切な宝物をまもりつつ、日本的情緒で泣き笑いする、音楽的な人生を送りたいと思います。私は。
次回は、超進歩主義者のジッドを取り上げる予定。マンはドイツロマンチックなんで、いまなんとなくそんな気分でないので。

2000年8月15日

 


北杜夫「幽霊」


人はなぜ追憶を語るのだろうか。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第に薄れ、やがて時間の深みの中に姿を失うように見える。ーだが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでもつづいてゆくことだろう。それにしても、ひとはそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。

北杜夫「幽霊」の冒頭の文章です。高校時代、この文章をほぼ暗記しました。今もだいたいおぼえています。「幽霊」は個人の心の神話といわれています。長編小節としては、処女作にあたるはずです。この小説の全般は感傷的な文章です。北杜夫25歳くらいの、まだ有名になる前の小説です。わたしは、この小節を、高校から大学にかけて4回ぐらい読んだが、常に懐かしいような、それでいてベールがかぶさっているような不思議な気持ちで読み進めました。「牧神の午後」がでてきます。憧憬と物憂さ、神話。 

日付記録なし。。。

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