2007年9月   2泊 にっぽん丸 小樽→サハリン→小樽

1. 船でロシアへ

「ロシアまで船で行く」 と言えば、随分と日数がかかりそうに聞こえます。
実際にロシアがまだ「ソ連」だった頃に、横浜からナホトカまで片道3日くらいかけて航海していたようです。

しかし、今回の目的地はロシアと言っても「サハリン」 戦前は樺太と呼ばれていた元日本領。
天気の良い日は、本土最北端の宗谷岬から見えることもあるそうで、稚内港からサハリンのコルサコフ港まで、
定期便のフェリーが就航しています。

そんな訳で今回は、小樽→コルサコフ→小樽 2泊3日のショートクルーズに乗船。
たった2泊ながら、外国航路の雰囲気と、不思議な国ロシアが一度に楽しめます。

観光で行きやすくなったロシアですが、このサハリンは、何と言ってもロシアの最前線基地。
基本的に今回のような日帰りの場合は、ビザ無しで入国できるのですが、「自由行動で街中を歩く場合はビザを取得するように」と、
事前に送られてきた案内には書かれていました。

いきなり逮捕され、強制労働はお断りです。
我家も一応念のために、8,000円も払ってビザを取得。
結局必要になるような、緊迫した事態には遭遇しませんでしたが。

出航は14時。
「じゃあ、昼飯食ってからの乗船だな」と、思っていたのですが、よくよく案内書を見ると、食事の欄に昼食のマークがあります。

受付は12時から。小樽港の貨物専用埠頭に着岸している為に、受付は近くのホテルで行い、バスで船まで移動することになります。
混む前に船内写真を撮ろうと思い、第一便のバスで乗船。 3年ぶりの「にっぽん丸」客室に荷物を置いて、早速船内を走ります。

他社のクルーズ客船より、一回り小さい 21,000トン。 全長は166m。
就航は1990年ですが、数回の大改装で船内は豪華さを保っています。

客室に帰って船内新聞を見ながら、これからの予定を考えます。

「昼食が12:45から、14:00に出航を見物し、寄港地サハリンの説明会。
 そのあとは、16:00に避難訓練。 展望風呂に行って17:30からショー。
 19:30からディナーだな」 やることは盛りだくさん。

昔ほどでは有りませんが、元を取ろうと有効に時間割を決めていきます。

「とりあえず飯だ!」 荷物の整理が終わったら、ダイニングに向かいます。 「飯ったって、どうせ軽食だろう。」 乗船前に食べてこなかったことを、少し後悔しながら向かったダイニング。しかし、出てきた料理を見てビックリ。

客室に帰って船内新聞を見ながら、これからの予定を考えます。
「昼食が12:45から、14:00に出航を見物し、寄港地サハリンの説明会。
 そのあとは、16:00に避難訓練。 展望風呂に行って17:30からショー。  
19:30からディナーだな」

やることは盛りだくさん。昔ほどでは有りませんが、元を取ろうと有効に時間割を決めていきます。 「
とりあえず飯だ!」 荷物の整理が終わったら、ダイニングに向かいます。
「飯ったって、どうせ軽食だろう。」
乗船前に食べてこなかったことを、少し後悔しながら向かったダイニング。
しかし、出てきた料理を見てビックリ。

 

味噌ラーメン    (北海道に来たら やっぱりコレ。)   
鮭の粕漬け焼き   (これも北海道らしい。)  
豚肉治部煮     (北海道は牛より豚らしい。)  
くらげ胡麻酢あえ  (これも海のもの。)
鰻重        (なぜにここで、鰻重?)  

軽食と侮っていたらボリュームタップリ。
と、思ったのですが、食べるとそうでもありません。

特に鰻重は、「隣の人から、フタの裏に恵んでもらった」と言った程度しか量が無く、物足りません。
メニューには「白ご飯もあります」 と書いてあるのですが、
これは鰻が嫌いな人用なのか それとも足りない人用の「替え玉」なのか・・・・・

船内探検も終わり、昼食も終わったのですが、「にっぽん丸」はまだ小樽港の岸壁。
今回は団体さんも多いらしく、岸壁には観光バスが止まっています。

「○○観光の30名様、バスで到着!」スタッフのトランシーバーから業務連絡が聞こえてきます。
「○○ツアーの25名様。外で昼食を済ませてから乗船です」なんと、勿体無い。

船の食事を無駄にするとは大胆不敵。 小樽名物のスシでも食べて来たのでしょうか。
遅れていた団体さんも到着したようで、14時ちょうどに出航です。

岸壁は関係者以外立ち入り禁止の為、見送りの人数は少ないですが、テープが投げられると雰囲気は充分。
さあ、これからロシアに向かって北上です。


2. 仕事を片付け夕食へ   

14時に出航した「にっぽん丸」は、北海道西側沿岸に沿って北上します。
とりあえず、船内新聞を見て決めた今日の予定に従って行動します。ノンビリはできません。
面白そうなイベントは夜まで無いのですが、ロシア入国に関しての説明会があるとのこと。これには参加しないといけません。

当然ですが、我家はまったくロシア語がわかりません。
オプショナルツアーから、はぐれてもいいようにと、一応ビザは取ったのですが、
パスポートやビザを見せなくてはならない状況には、出会いたくありません。


「皆様。初秋のサハリンクルーズにようこそ!」スタッフの説明が始まりました。
「明朝、本船はサハリンのコルサコフ港に入港します。  入国検査は一括して行うので、皆様は自室でおくつろぎください」

入国審査といっても、預けているパスポートに、勝手にハンコを押されるだけ。
面倒な審査はありません。

国によっては、パスポートは船に預けたままで、乗船証のカードのみで上陸することもありますが、
ロシアはパスポート持参でなければ、上陸できません。


「コルサコフ港は、作業上危険なエリアですので、自由行動で上陸される方は、 シャトルバスで港湾ゲートまでお送りします」
なるほど。 ロシア側には、我々に見せたくない場所があるのでしょう。

我家はオプショナルツアーに参加するので、岸壁から直接列車に乗るだけです。
「改革が進んでいると言っても、厳しい国ですので、港や駅の写真撮影には充分気をつけてください」
以前のクルーズで、駅を撮影した乗客が捕まった事例もあるそうです。

ロシア通貨のルーブルには、インフォメーションか列車の車内で交換できます」
今回は、以前ウラジオストックに行った時の残りを持ってきています。
帰りに円には交換できないので、両替は小額で良いでしょう。




たった2泊3日の航海なのですが、本格的な避難訓練も行われました。
どのような規定になっているのか解りませんが、同じ2泊でも国内航路のフェリー等では避難訓練は行われないのでは。

「にっぽん丸」は規則が厳しいのか、訓練も真面目でした。
部屋ごとに指定された救命ボートの前まで行くと、係員が全員の点呼を取ります。


避難訓練が終わってしまえば、夕食までは船内探検の続きと、メインホールでのショータイムです。
が、今のうちに、やらなければならない事がありました。

「もしもし、じゃんぷらんです。」 先ほどから仕事の電話が頻繁に入ってきます。
小樽から北海道沿岸を北上しているので、携帯電話の電波はギリギリ入るようです。

部屋が進行方向右側だったのが幸いしました。
稚内を離れ、電波の届かなくなるまでにパソコンで一仕事。メールで情報を送らなくてはなりません。

結局、5時半のショーが始まるまでに仕事は終わらず、部屋のテレビで中継画像を見ることに。
がんばって夕食までには終わらせます。





頑張って仕事を終わらせて、ようやく夕食タイム。
今日のドレスコードは「インフォーマル」 男性はネクタイ・上着着用となります。

メニューは
1・前菜   蟹のカッペリーニ仕立てトマト風味ゼリーソース 
2・スープ  オニオングラタンスープ
3・魚    アカザ海老ガーリック焼き、スズキの香草焼き  
4・肉    ステーキ赤ワインの茸ソース  
5・サラダ  フルーツトマト・グリーンアスパラ
6・デザート メロン・ケーキ・バナナアイス

「夜は久しぶりに、にっぽん丸のバーに行こう」
 と計画していたのですが、ここでとんでもない事に気がつきました。

サハリンと日本は2時間も時差があります。しかも、サハリンに向かう時は時計を2時間進めなければなりません。
「明日は6時起床だから・・・・・日本時間の4時?」
久しぶりの「にっぽん丸」で夜中まで遊びたかったのですが、夜更かしは禁物です。
軽くカジノに行くだけにとどめ、早寝することにしましょう。


3. サハリン鉄道でユジノサハリンスクへ  

  6時に目覚ましが鳴りました。
6時と言っても、夜のうちに時差調整があったので、日本時間なら4時。

「外は真っ暗だよ」 甲板に出てみると、前方にはサハリンの明かりが見えます。
もしかしてこれが有名な天然ガス採掘施設「サハリンⅡ」か?

暗い中、コルサコフの港からタグボートに乗って、税関の係官達がやって来ました。
接岸までの間に、入港審査を済ませてしまおうと言う作戦です。
乗客が寝ている間に、船に預けておいたパスポートにスタンプが押されて、入国審査完了となります



着いた岸壁はコンテナ埠頭のようで、コンテナの裏側には、山のような自動車のスクラップ。

「岸壁で列車に乗り換えます」と、事前に聞いていたのですが、何処に列車が止まるのか?
不思議だったのですが、よくよく見ると、岸壁の縁に線路らしいもの物が。


「ピィーーーー!」コンテナの奥から、列車の汽笛が聞こえてきました。
岸壁のクレーンをくぐって、2両のディーゼル機関車が長い客車を引いて来ます。

もともと日本の領土だった為、使っている線路は日本と同じ「狭軌」
客車は一昔前の特急列車のようなシートが並びます。

シートは少々ジットリ気味。 寒い季節には、チャント暖房が効くのでしょうか。
この列車は、にっぽん丸の貸切臨時列車。 既に300人程度が乗りこんだのですが、一向に動き出す気配がありません。

「大丈夫かしらねえ? 」 乗客のご婦人たちから、心配の声が出てきますが、なにせここはロシア。
時間通りに動くとは思えません。





「ガタン!」  「おお~ 動いた動いた!」

アナウンスも無くいきなり動き出したサハリン鉄道ですが、速度はノロノロ。
「こんなんで着くのかしら」
ご婦人たちの言うとおり、この速度ではユジノサハリンスクまで半日かかりそうです。


しばらくガタゴトと走った後、今度は一旦止まっていきなりバック。
「あらあら もうこれで終わりかしら」
終わりではありませんでした。

コルサコフの港に入っている引込み線は、本線からのスイッチバックになっています。
列車は後ろ向きに進んで、これからが本番でした。
コルサコフからしばらくの間は海沿いを走ります。


9月だと言うのに、そこはもう冬の海。
ドンヨリとした空に、灰色の海。いたるところに傾いたまま放置された、サビだらけの廃船が不気味です。

「お客様にお知らせで~す」 添乗員のお姉さんが、車両を回りながら注意事項の説明に回ってきました。
「この列車のトイレは、駅に近づくと使用が出来ません」
なんとここのトイレは「垂れ流し式」 日本でも30年ほど前まで使われていましたので、驚くことはありません。

「 特に行きたくは無かったのですが、懐かしいので入ってみました。
日本で昔使っていたトイレは、下の穴から風が吹き上がり、トンネルに入って気圧が変わると一気に逆流したものですが、
サハリン鉄道はペダルの蓋付き。
少しは進歩しているようです。

1時間ほど走ったところで、車掌さんらしい係員が車両を回って、トイレに鍵をかけて行きました。
「あら~ トイレ行きたかったのに~」アナウンスも無くいきなりの事だったので、お隣のご婦人は、どうやら行きそびれたようです。

 

到着したユジノサハリンスク駅は、駅舎は寂れているものの駅前は意外に賑やか。 駅前広場には日本の「D-51」も静態保存されています。 駅前をゆっくり見物したいのですが、これからは団体でバスに乗り市内観光です。


4. ここは、あの事件の現場だった  

「あれは スホーイじゃないか!」
ユジノサハリンスクの市内を見物していたとき、おもわず唸ってしまいました。
「スホーイ」とは旧ソ連の戦闘機。  

「スホーイって 誰?」
チンプンカンプンの女房に説明しようかと思ったのですが、あまりも長くなるので止めました。

簡単に説明すると、次のとおりです。
1984年9月(ちょうど24年前) アメリカから韓国に向かって飛んでいた大韓航空のジャンボジェットが、
予定のコースを北にはずれ、ソ連の領空を侵犯。

ちょうどこのユジノサハリンスクの上空を、東から西に横切った後、
スホーイ戦闘機のミサイルによって撃墜され、300名近くが亡くなった事件です。

当時のソ連とアメリカは冷戦状態。
ソ連はアメリカの陰謀説を唱え、アメリカと韓国は単なるコースアウトを主張。
無線をモニターしていた航空自衛隊の情報が、なぜか外部に漏れたりと、世の中は大騒ぎ。

機体の回収をめぐって、北海道からサハリンにかけての海域で緊張が走り、このまま戦争になるのではと思った記憶があります。
その現場に置かれた「スホーイ」 機体番号を見ると、実際にミサイルを撃った機体ではありませんが、それにしても同型機。
ここに置く意味は? 私の深読みでしょうか。

 


ユジノサハリンスクは、戦時中まで日本の領土。
昔は豊原市と呼ばれていました。そんな訳で、当時の建物を、チラホラと見ることが出来ます。
写真右は旧豊原市庁舎の建物。 現在内部は資料館になっています。

今回のオプショナルツアーは昼食付き。 観光バスは、小奇麗なホテルの前に止まります。
何処に行っても愛想の悪いロシア店員ですが、ここは観光客慣れしているのか、他よりはマシ。
(あくまでも他よりはマシと言った程度) 出てきた料理は




1. ピロシキ     残念ながら冷えていましたが、思ったほど脂っこく無く、中の具も美味しいです。日本人向き。
2. ボルシチ   ビーツが美味い。これも口に合います。
3. ポテトと鮭のオーブン焼き   美味しいのですが、全体的に味が薄いです。

寒い国なのでショッパイと思っていたのですが、間違ってました。
このほか、ビール、ジュース、ウォッカは飲み放題。

ウォッカは「白樺」のマークの入ったビンで、かなり美味しいですが、アルコール40度。
ガンガン飲むと、帰り道が怖そうです。

余ったビンは、オジサンたちのグループが持って帰りました。
今晩の「にっぽん丸」は、宴会で賑やかになりそうです。

ウエイトレスのお姉さんも意外に親切です。
このオプショナルツアーの料金は、結構高額だったので、かなりの金額が払われているのでしょう。
このあたりで地元にお金を落とすことが、「にっぽん丸」入港の条件になっているのかもしれません。

ユジノサハリンスクの街並みは、道幅が広く、中層のビルやアパートが建ち並び、かなりの都会。
ただ、外部からの観光客が少ないのか、レストランやオミヤゲ屋は少ないようです。
そんな中、一番困ったのがトイレ。
公衆便所はほとんどなく、資料館や、オミヤゲ屋のトイレも少なく、毎回行列でした。 寒い時期の観光は要注意です。



観光バスは「ガガーリン公園」にも立ち寄ります。

「地球は青かった」で有名な、人類初の宇宙飛行士ですが、なぜサハリンにガガーリンの像が有るのか不思議。
ロシア人のガイドさんに聞いてみましたが、明確な答えは貰えませんでした。

プーチン大統領の看板も発見。 写真の下には何と書いてあるのでしょうか。

5. 一夜明けたらもう小樽  

 あっという間のサハリン上陸も終わってしまいました。

行きはノンビリ列車で1時間以上かかったユジノサハリンスクまでの道も、、帰りはバスで45分。
2時間の自差のせいか、昼食時のウォッカで酔ったのか、バスの中は皆さん熟睡です。


門限までは時間があるので、少しでもサハリンの地を踏んでいようと、港の探検を行います。
「港は危険ですから、ゲートまではシャトルバスを使ってください」と、入港時に言われた港です。 

フラフラ歩いていたらKGBに捕まるか、闇の組織に拉致されるかもしれません。
船が見える範囲でブラブラし、心残りはありますが、ここらで船に戻ります。

門限は6時ですが、その後出国の審査があるらしく、出航は7時。
夕食が「1回目」の乗客はこの間にディナータイムとなりますが、我家は「2回目」なので、この間にビンゴゲームに参加します。

「1回目」の乗客は食後にビンゴが待っています。
「と言う事は・・・・ 参加者が半分! 当りの確立が2倍!」

確かにビンゴ会場は空席が目立ちます。
「これなら当るぞ!」 


くじ運の悪い私も今日は気合が入ります。
例によって、最初は一般的なビンゴ。 毎度のことでリーチはかかるもののビンゴは出ず。

テーブルの上の商品は、私がリーチの間にドンドン減っていきます。
テーブルの商品が全て無くなったところで、これまた例の「サバイバルビンゴ」
順に番号を読み上げて、最後まで当りの出なかった人が優勝です。

「当らない事なら自信がある!」
はずだったのですが、こんな時に限っていきなりの当り。
人生こんなもんです。

「もう帰ろうか・・・」と隣の女房に声をかけたのですが、なんと女房はいつまで経っても当たりが出ず、まだ生き残っています。
「今、生き残っている人は、前に出て下さい」とスタッフの声に促され、女房はステージに上がります。

10人近い生き残りの中で、更に生き残りあと4人。
「頑張れ! 生き残れば5万円のクルーズ券がもらえるぞ!」

「あと1回! あっと1回!」と気合を送ったのですが、最後の1回で敗退。
残念です。人生こんなもんです。

 


午後7時になりました。コルサコフ港を出港の時間です。

「パスポートが全員分戻らないと、にっぽん丸は出航できません。皆さん必ず時間通りに帰って下さい」
と、下船の時にスタッフから念を押されましたが、どうやら全員無事戻ったようで定刻の出航です。

「ボォーーーーーーーーーーー」 っと汽笛を鳴らしますが、岸壁で送ってくれる人は皆無。
労働者風の人が数人、遠巻きにこちらを見ていますが、まったく関心無し。

「すぱしーぼー!」(ありがとう) だれかが船の上から叫びました。
さっきまで無関心だった人が、こちらを向きました。もう一声!

「だすびだーにゃー!」(さようなら) これには無関心の岸壁の人も手を振ってくれました。
これでしばらくロシアともお別れです。次にまた来る機会はあるのでしょうか。

「ご飯の時間だよ」 感傷に浸っている時間はありませんでした。
「2回目」の乗客は7時半からディナーです。
日本時間の5時半なので、まだまだ明るいダイニングに急ぎます。

 

 

 

 

今晩のメニューは和食。
前菜   鯛の昆布〆・枝豆・パストラミ・川海老
お椀   鱧の潮汁お造り  甘エビ・ホタテ・イカ
焼き物  知床鶏ササミの山椒焼き
煮物   ハタハタ生姜煮
揚げ物  蟹のテンプラ
蒸し物  海鮮茶碗蒸し
香の物  わさびナス・ニシン漬け
ご飯   イクラ・ウニ丼
デザート 栗と小豆の錦玉羹

蟹のテンプラは立派な足。ウニ丼は抜群に美味かったです。


今晩は時計の針を時間止めます。
往路で貯金した2時間を返してもらう訳なので、今夜は夜中までイベントが続きます。

「昨日の分まで遊ぶぞー!」と、気合を入れたのですが、朝からの疲れがドット押し寄せます。
「ちょっと休憩するか」これが間違いでした。
勿体無いことに、いつの間にか眠ってしまったようです。

・・・・・・・・・・・・・・

 

 


気がついたら既に朝。
「・・・寝ちゃったよ・・・」かなりショックです。
「これじゃあ元が取れないジャン」 甲板に出ると、そこは既に北海道。
少しでも元を取ろうと、朝食は和食と洋食をダブルで食べます。

 

 


ダイニングから外を見ると既に小樽港。
ターミナルには、新潟行きの新日本海フェリーが停泊中です。

タグボートも迎えにやって来ました。
「これで終わっちゃうの?」 海外に行ったと言うものの、あまりにも短い船旅でした。

小樽・コルサコフ往復 491海里。 東京から八丈島に行くのと変わりません。
なんとも不思議な海外クルーズはあっという間に終わりです。
のこったルーブルがたくさんあるので、またロシアに行かなくてはなりません。