2002年8月   4泊 にっぽん丸 横浜→済州島→横浜


初の海外クルーズ。出入国はいったいどうなるのか?

第1章

缶コーヒー150円、ポカリ150円、ウーロン茶150円・・・・・まあこんな物か。場所を考えると高くも無いか」
「これなら温泉宿や遊園地の販売機よりも良心的じゃねえか?」

「ビールは?」
「え~と スーパードライ・・・・160円? 360円の間違いじゃないの?」

隣りのジュースと比べてえらく安い。
「係の人が気付く前に買占めてしまおうか」
横浜港から「にっぽん丸」に乗船して出航前に船内探検を行い、早速立ち寄った自販機コーナーでの話です。


今回の船旅は横浜から45時間かけて韓国の済州島に行き、復路は48時間かけて帰って来ます。
韓国での滞在時間はたったの9時間。
出入国審査を考えると実際の上陸時間はもっと短くなるでしょう。

9時間とはいえ海外に行くため当然パスポートが必要になります。
横浜港から乗船するときには一応出国審査がありパスポートにはスタンプが押されたし、金属探知機もくぐった。

「と言う事は・・・ このビールは免税なんだ」
船はまだ出航前、横浜港の岸壁にいながらここは既に国外となるようです。


船の構造は2階がフロントとメインダイニング。3・4階が一般客室。
5階がデラックスルームとスイートルーム。
6・7階にサロン、図書館、バー。

ほとんどの客室が3階以上にある中で 1階の一部に忘れられたような客室が数室あります。

「この部屋って元は倉庫だったんじゃないか? 他の部屋と離れているし丸窓だぞ」
出発前 パンフレットの平面図を見てこう思っていました。

「建造途中で部屋数を増やそうと思って 慌てて設計変更したんじゃないか?」
建築の設計ではよくある話です。

その不思議な1階に我家の部屋もあります。最下階なので当然一番安い。
大きさは約10帖のツインルーム。
船齢10年。しかし昨年室内を改装したため綺麗にまとまっています。



「そろそろ甲板に出るか?」
出航2時間前に乗船したため、停泊中に船内探検が終わってしまいました。
出航の時にはセールアウェイパーティーがあるので4階の甲板までEVで上がります。

「さあ 何人乗っているかな?」
出航時は ほとんどの乗客が甲板に出るため 大体の乗船率がわかります。

甲板でシャンペンのグラスを貰い 岸壁に紙テープを投げます。
「意外に少ないな」
乗客が多いとシャンペンにありつけず悔しい思いをする事になりますが、今回はおかわりができます。
行程がマニアックなため人気が無いのかもしれません。

「夕食が2回制になってるから 半分以下って事はないな」

船の定員は600名。ダイニングは300名なので 乗船率5割以上なら2回制となります。
この夕食の順番。特に希望がないと乗船前に勝手に決められますが、今回我家は2回目を希望していました。

「半分チョイかな」の予想は当たっていました。
後で聞いた話では乗客310名。
それに対してスタッフは200名なので 余計なお世話であるが採算が合うのか心配してしまいます。


横浜出航の場合はターミナルを離れると すぐにベイブリッジをくぐります。
若い乗客が多いと甲板は大混雑になるのですが 今回はなんとなく雰囲気が違います。
「甲板の人出が少ないねえ」
理由がわかったのはこの後、ダイニングでの昼食の時でした。


第2章

11時に出航し、12時から昼食なので少しあわただしいです。
この間に自宅から宅急便で送った荷物を整理します。
送ったのは特大ダンボール箱1個。スーツケース1個。
ダンボールを開け中身をクローゼットに移す。これで自宅のタンスと変わりはありません。


「船旅も5回目なんだから もうベテランよ」
と荷造りを担当した妻は少し自慢します。


しかし次にスーツケースを開けたところで驚きました。
「ああ~ 俺のスーツ クシャクシャ!」
たかが4泊に大げさな箱を送ったので, スーツケースの中身はスカスカです。
スーツケースは立てて運ぶので、スカスカの中身は一方にかたより一帳羅の麻のスーツはシワクチャになってます。

「どおする?」
今晩の夕食は「インフォーマル指定」
スーツがないとダイニングに行けず夕食抜きになります。


「アイロンかけに行かなきゃ」
先ほどの船内探検で洗濯室を見つけ 自由にアイロンも使えることを発見していました。
「こんな時 上の階の金持ちは ルームサービスで頼むんだろうな」

とりあえず荷物が落ち着くと昼食。
夕食まではカジュアルの服装でもかまいません。
出航のときから気になっていましたが 厨房の排気からウナギの蒲焼の匂いがしていました。

「今日は鰻重かなあ
ダイニングに行くと予想通り 「鰻重」と「稲庭うどん」。しかし量が少ない・・・。
うどんは半人前。鰻重は四分の一。

「あとの1/4はどこに行ったんだ?」
優雅な船旅でこんな計算をする客は他にいないでしょうね。


乗客の平均年齢は60才以上。アンケートでは「食事が多すぎる」と書く人が多いらしく 意識的に減らしているのでしょうか。

「あたしには ちょうどいいよ」
「じゃあ よこせ」
ちょうどいいと言っている妻からご飯を奪い取る。
「これじゃあ痩せちゃうよ」と思ったのですが 5日後に帰宅したら意外にも2キロ肥っていました。


テーブルは大方8人がけ。

「他のクルーズのご経験は?」「目的地では何されますか?」「どちらから?」
初日のテーブルは だいたいこんな会話で始まります。

向いに座っているご婦人。どう見ても秩父のお百姓さんのオバサンです。
「にっぽん丸は初めてですか?」
「いいえ 昨年この船でワールドクルーズに行きましたのよ」
「・・・・・・・」
なんとこのオバサン 2年連続世界一周の経験者でありました。

「にっぽん丸」での世界一周は 一番安い部屋でも100日で一人400万。
当然夫婦なので800万!。それを2回!。
バブル時代に稼いだとかで 会話の中に世田谷とか葉山とか言った地名がポンポン出て来きます。

「今回の船旅は 結構経験者が乗ってるわよ」との秩父のオバサン、いや世田谷のオバサマの話。

あとでパーサーに聞いたら310名のうち30名位は経験者との事。
「どうりで出航時にシャンパン目当てに甲板に出る人が少なかったんだ」と納得します。

「よし ウチも30年後に世界一周行くぞ。これから1日800円の貯金だ。1人400円な」
「やだ~ あたし200円にして」

どうも今回は計算問題が多い。



第3章

「そちらのお二人は韓国語できるのかしら?」世界一周のオバサマが聞いてきました。
「いや~ 韓国語はキムチくらしか知りませんよ」

実はこの旅に備え4月から教育テレビの韓国語講座をビデオに録っていたのですが、テープだけが溜まっただけで、結局1回も見ていません。
買物をするのに 1~10までの数字。「いくら?」「高い。まけろ。」「あれ見せて。」程度はおぼえておきたい。

「でも大丈夫ですよ 船内のイベントで明日あたりきっと韓国語講座をやりますよ」
毎日船内ではイベントが数多く行われます。
寄港地にちなんだクイズ大会。船内探検クイズラリー。アロマの講座。ロープワークの講座。ビンゴ大会や、デッキゴルフ。
夜は星座観測。海外に行く場合は民族衣装の着方や外国語講座。

小笠原に行くときは なぜかフィリピン語講座まであったので 今回も韓国語講座はきっとあると予想していたのですが・・・・



航海日は、食後の休憩が終わってイベントに出て、海を眺めていたらもう次の食事になります。
1日が本当に早い。航海1日目も気が付いたらもう夕食。

「その前に船長主催のウエルカムパーティーだよ」
どの航海でも初日はウエルカムパーティーが行われます。この時間以降はインフォーマルでネクタイ・ジャケット着用となります。
「ああ~ アイロンかけなきゃ」麻のスーツは まだシワクチャのままです。



出発前の案内では夕食は1回目の指定となっていました。

「1回目って17:30よ、早過ぎる。」と、妻が2回目に変更希望の連絡をしたのですが、結果的にはこれが正解でした。
夕食前に展望風呂に行く時間がたっぷりあるし、1回目の客が食事中なので浴室もすいています。

「んじゃあ 行ってくるよ」着替えを持って船尾の展望風呂まで歩いて行きます。
展望浴場の看板を確認し 何気なくドアに手をかけたらそこは女湯。「あれっ? 男湯は?」



「船は接岸するとき男湯を岸に向けるんだよ」 と以前妻に自慢気に話したことがあります。
今回右側が岸だったので、てっきり男湯だと思っていて確認してませんでした。。
以前の航海で船長が 「のぞかれない様に男湯を岸に向けます」と言って笑いを取っていたのはギャグだったのか?
今回も機会があったら聞いてみよう。



19:30。夕食の時間となりました。
今日は洋食。この「にっぽん丸」は他社の客船と比べ食事が一番美味しいと言われています。 

鯛のカルパッチョ・アボガドとカニのカクテル。 
カニとアボガドが絶妙。一緒に口に入れるとカニのトロと言った感じになります。自宅に帰ったらカニカマで実験しなくては。


松茸のコンソメ。向かいのご婦人のスープ皿に松茸が1枚貼りついているので教えてあげたいのだが・・・。

オマール海老・ホタテ・すずきのブイヨン。ソースが美味い。ホタテの火加減が抜群。
牛フィレステーキ 網笠茸添え。網笠茸と言う物を初めて食べました。
パンをおかわりしたいのですが 夜食も食べたいので腹8分で我慢します。

 

 
第4章

「あたし犬を食べてみたいんですけど」
「ええっ? 犬ですかあ?」

妻の発した言葉に担当者は驚きました。
別に船内のダイニングでボーイさんに注文したわけではありません。
2日目の朝。済州島の観光案内を行っている船内のカウンターでの出来事です。

クルーズ客船では寄港地ごとにオプショナルツアーが組まれ 専用のカウンターで観光案内の担当者が接客します。

今回は韓国人のユンさんが乗船しており 乗客の質問に答えてくれます。
我々も翌日の計画をたてるべくここにやって来ました。
 
「犬料理は看板も出てないし・・・あまり・・・ちょっと・・・」 
ユンさんはなんとなく歯切れが悪い。
韓国ではオリンピック以来 世界の目を気にして「犬食禁止」のお達しが政府から出たようで看板も御法度であるようです。

「大丈夫 あたし達 全然気にしてないから」
「そうですかぁ まあ日本人は馬を食べますし・・・韓国人は驚きますが・・・
まあどうしてもとおっしゃるなら 日本の新宿に有りますから そこで食べて下さい」
結局ユンさんは教えてくれませんでした。



航海2日目は終日航海なのでタップリ時間が有ります。

「今日のイベントは・・・ロープワーク・マジック教室・カジノ教室・・・・・今回も避難訓練があるな」
「韓国語講座 無いジャン」期待していた韓国語講座はないようです。

知っている韓国語はキムチの他は ユンさんにもらったプリント1枚。
「アンニョンハセヨ チョヌン イルボン・・・」
甲板を歩きながら まるでお経を唱えるように憶えたのですが、この努力が実際に役立ったかどうかは翌日判明します。


午前中の大イベント避難訓練が終わると操舵室の公開があります。
この公開は日没近くまで行われ 自由に操舵室に入ることが出来るようです。


「キャプテン 一緒に写真を撮って下さい」
今回のキャプテンはずいぶん若い。なんと41歳だそうでこの航海がキャプテンとしての初航海だそうです。

操舵室公開の時間になると 乗客が集まり操舵室内はごったがえしますが、15分もすればほとんどの乗客は帰ってしまい、
残っているのは船マニアだけ。
「あたし先に帰るね」と 当然のように妻も15分で帰って行きました。



残っているのは私のほかは 一見してマニア系の夫婦のみ。
レーダー画面の前に陣取り モニターと双眼鏡とを見比べていたら 後からこのマニア夫婦の声が聞こえてきました。

「先行との距離は・・・ヤード・・・呉・・・あやなみ・・」
距離をヤードで測るのは一般人ではゴルフ位だし、呉は自衛隊の基地。
『あやなみ』にいたっては海上自衛隊の護衛艦の名前です。

「あの~ 失礼ですが海上自衛隊の方ですか?」と思わず聞いてしまいましたが、やはり予想通り現役の自衛官で、なんと潜水艦乗りででした。
この夫婦とは行動パターンが同じで この後も要所要所で会うことになります。



第5章

航海2日目の午後、船は豊後水道に入りました。
このあたりは 四国と九州の間、有名な関サバ・関アジの漁場。

この豊後水道を抜けると、今回の航海の目玉 関門海峡通過が待っています。
相変わらず操舵室公開の時はレーダーの前に陣取っている私。



海峡にさしかかり、操舵室はがぜん忙しくなりました。
「前のタンカーの速力は?」キャプテンが航海士に聞きます。
「ハイッ 10ノットで航行中です」と、レーダーの前の私は ついつい答えそうになります。

「左のタンカーが10ノット 右のコンテナ船が16ノットです」
本職の航海士はレーダーを見て素早く答えます。

「よし スタボー ファイブ」キャプテンは操舵手に変針を指示。
「にっぽん丸」は遅い船を次々に追い越して 海峡の入り口に向かいます。
海峡に入ってしまえば1列で航行しますが、海峡に入るまでは砂時計のように入り口に船が殺到。
さながら椅子取り合戦のようです。


最後まで見ていたいのですが、この先は水先案内人が乗り込む為一般の乗客は操舵室に入れなくなってしまうとのこと。。
仕方が無いので操舵室上のデッキに急いで移動します。

関門海峡は幅600mで水路はクランクに折れています。
実際は大型船の通れる深さが確保されているのは100mほどなので、全長170m、幅25mの「にっぽん丸」は
速度を落とし慎重に進んでいきます。



「もう時間よ」
もう少しで橋をくぐると言う時、例の潜水艦乗りのSさん夫婦の会話が聞こえてきました。

「だってもう橋だぜ」 「だめよ 15分遅刻したら御飯無いのよ!」
夕食は1回目が17:30から 2回目が19:30からになっています。

Sさんは1回目指定だったのでしょう。
橋を真下で見ることなく 慌ててダイニングに走っていきました。


「ほら見なさい 2回目に変更して良かったジャン」今度は後から妻の自慢げな声がしました。
出発前、1回目か2回目かでモメたのですが、 仕方が無い今回は潔く負けを認めよう。


橋をくぐると一路済州島に向けて針路を取ります。

そろそろ2回目のディナータイム。
我々も勝ち誇った顔の妻を先頭にダイニングに向かいます。

2日目の夕食は和食。
ブリの吸い物・かんぱち刺身・きんき煮付け・地鶏の串焼き・小海老の包み揚げ・イカの辛し酢味噌・おしんこ



「どうでもいいけど 御飯早く持ってきてくれないかなぁ」
「普通の人はお酒飲みながら御飯食べないのよ」
廻りを見ると どうやら最後に一口だけ御飯を持ってきてくれるようです。

きんきの煮付けが美味しく このたれを御飯にかけたいのだが・・・
「ここは定食屋じゃないんですからね」
負けを認めた以上 今日のところは我慢するしかありません。 



第6章

「いってらっしゃい」船のスタッフに送られてタラップを降り、入国審査の建物に向かいます。

横浜から45時間の航海でようやく韓国済州島に到着。
韓国と言えば 警備艇銃撃、戒厳令、KCIA と言ったイメージが強い。
入国審査は厳しいのではないだろうか。

「書類に不備があって いきなり警備兵に取り囲まれたらどうしよう」
今回はキーホルダ-のミニアーミーナイフも外してきたし、怪しげな粉や本の類は持っていない。
「大丈夫だろう・・・。」

気合いを入れ建物に入ります。ここには女性の警備員が1人立っているだけ。
建物をどんどん奥に進みます。この先が本格的な審査場であろう。広い建物をどんどん歩いていくと、

「アレっ?・・・外に出ちゃったよ」
「オプショナルツアーの方はバスに乗ってくださ~い」添乗員が手を振っています。
「何もしないうちに入国しちゃったよ・・・」



今回は初めての済州島という事もあって、半日だけのオプショナルツアーを申し込んでいました。
バスの中で円をウォンに交換。添乗員が封筒入りのウォンを持って車内を廻ります。

「じゃあ3袋下さい」3袋で9千円分を交換します。
タクシーや市場で使うのに9千円で足りるだろうかと心配でしたが、9千円で9万ウォン。
いきなり金持ちになった気分である。

バスは博物館を廻り最後に東門市場に到着。

「アメ横みたいだなあ」食料品から雑貨まで何でもそろっています。
「これ何だろう?」屋台には不思議な食べ物が並んでいます。
一見 焼き鳥に衣を着けたような串。
「まあ食ってみれば分るよ・・・・オバちゃん これ1つ いくら?」
「@&%$#*!!」
「えっ?」
一夜漬けの韓国語では 全く解りません。

オバちゃんは困った顔で お札を取り出してこちらに見せる。良く見ると 1,000ウォン札。
ゼロが3つで一瞬高いと思ったが 日本円で100円。
「OK!」
1,000ウォン札と交換で不思議な串をもらって1口食べます。
「何だった?」
「これ砂肝の天ぷらだ~」

その他 海苔巻き150円 餃子20円。
「俺 トッポギ食ってみたい
トッポギとは小麦粉でできたタバコくらいの餅のような物が入った超辛いスープ。この真赤なスープが大鍋でグツグツと煮えています。
「俺だったら 地獄鍋って名付けるな」カウンターで1口食べると、
「ん? 思ったほど辛くない」本当に辛くない。


あと口は甘くさえ感じる。
しかし・・・5口食べたところで 体中の汗が一気に噴出。
顔は滝のような汗で目が開けられない。バスの集合時間が迫っています。「どうしよう。」

 



第7章

「大丈夫ですよ そんなに急がなくとも」
バスの前で添乗員さんが声をかけてくれました。
集合場所まで走って帰った訳では無いのですが、トッポギの辛さで顔一面は大汗。
5キロくらい全力疾走したように見えます



オプショナルツアーのバスは船まで帰るのですが、 我々はここから分かれて自由行動をとる事にして、市場の前でタクシーを拾い市街地へ向かいます。
「ワタシ ニホンコ スコシ」
タクシーの運転手は言うのだが 彼の口から出た日本語はこの他は「コンニチハ」だけ。

それにしても韓国の車は皆運転が荒い。大阪と福岡のタクシーも相当荒かったがその比ではありません。
交差点は早い者勝ち 対向車にパッシングして譲るなんてとんでもない。
『韓国済州島でタクシー横転 邦人2名死亡』という記事が頭に浮かびます。

こちらは青い顔であるが、運転手は平気な顔で今度は英語で話し掛けてきます。
「ホエア ホテル ツナイト?」
どうやら英語の能力は我々と同じ中学生レベルらしく分かり易い。

質問に答えているうちに、次には観光案内も始まりました。
「ミュージアム。 ライブラリー」
指差して教えてくれるが そんなことより前を見て運転して欲しい。

気が付いたらタクシーのメーターは3000、4000と上がっていきます。
添乗員の話では市街地まで10分と言う事であったが もう既に30分近く走っています。

このままとんでもない所に連れて行かれるのではないだろうか。
心配になって地図を取り出すと、運転手も振り向いて地図を覗き込む。

「オイオイ あんたは前向いて運転しなさい」
結局市街地まで30分で5000ウォン。
考えたら日本円で500円でした。



当初の予定では市街地で海鮮料理を食べるはずでしたが、 先ほどの市場の屋台で満腹してしまい予定変更、免税店にいく事にします。

「パスポートも船に置いて来たし入国審査もいいかげんだったから 免税店で買えるかなあ」
心配でしたが、しかし品物を決めカウンターに行った所で驚きました。

「お客様お名前は?」
店員はこちらの名前と生年月日をパソコンに入力します。

「本日18時発の にっぽん丸ですね」
「・・・・なんで分かるの?」
いったいどんな仕掛けになっているのか、我々は密入国していた訳ではありませんでした。



シャトルバスで港に帰り船に向かいます。
ここでも相変わらずチェックは無く フリーパスで船に乗ってしまいました。

「お帰りなさ~い」
とスタッフが船内で迎えてくれますが、乗客の顔を覚えている訳でもなく、名前の確認もないので簡単に密航できそうです。



船は済州島を離れます。
これから48時間かけて横浜まで帰る事になっています。

この日の夕食は バイキングになっており 1回目2回目の区別がありません。

バイキングと言えば数日前の高尾山ビアホールでの宴会を思いだします。
「なんだコリャー 時間制限があるのに料理が無いのはどういう訳だぁー責任者出て来い!」
と怒鳴るほど高尾山には料理が無く カウンターの前は難民が押し寄せて険悪な雰囲気。

ようやく1品出るとトングの奪い合いになり トングが使えない人は割り箸や素手で料理を奪い合う。
ウインナーは良いにしても ポテトサラダの手づかみは何とかならないものか。

そこでこの場合、トングのキープが重要だと考え、一度手にしたトングは離さず自分の席までもって帰ることにしました。
かわいそうに、後ろの人は手づかみで焼きそばを取ることになるが、我慢してもらいましょう。

ここは弱肉強食の世界です。
文句を言われたらウインナーを投げつけようかと準備していたのですが、後ろの人は気が付かなかったでした。

今回のにっぽん丸はどうであろうか?
トングのキープが失敗に終わる事を考えて、手づかみ用のビニール袋を用意しておいた方が良いのではないだろうか?



 第8章

「さて早速取って来るか」
席に案内され一旦は座ったものの、同席の方への挨拶もそこそこに料理にダッシュします。

料理の前は既に黒山の人だかり。
「しまった 出遅れたかぁ~」高尾山のバイキングを思い出します
ここは一旦引いて人の流れを観察し作戦を練り直します。

「前菜はパスしよう、寿しコーナーは満員だな 意外に肉のコーナーがすいているなあ。」
「デザートコーナーのケーキ類は手付かずだが これは最後の手段」



我が家は基本的にバイキングのときは単独行動をとります。

「しかしこの場は共同作戦のほうが・・・」
妻が前菜コーナーに行ったのを確認し、自分はビーフシチューを大盛りで確保します。
もちろんトングがあったので 今回は手づかみではありません。

席に戻って一口食べる。
「ウマイ!」 高尾山とは大違いです。

「おい これウマイぞ!」と妻に声をかけたものの箸が止まらず、結局自分で全部食べてしまいます。
バイキングの共同作戦はなかなか難しい。



今回の船旅も平均年齢は60歳程度。
日頃から優雅な暮らしをしている年配の人達が、そんなにお代わりするはずも無く、15分程度で料理のコーナーは人影が少なくなってきました。

「今日は済州島でどちらに行かれたんですか?」
3回ほどお代わりした所で、ようやく同席の方たちと話が出来る余裕が出てきました。
しかし長い会話はお代わりに立てなくなるので、今夜は挨拶だけにとどめておきます。

バイキングで食べたメニューは。
オードブル取り合わせ・スモーク三種の飾り盛・イセエビ・カニ・串揚げ盛り合わせ・マグロの一本作り(寿し、刺身)
・牛肉の煮込み・サイコロステーキ・温野菜・点心各種・茶そば・デザート各種

デザートも含め10回ほど立ち上がったため、超満腹で部屋に帰るのもしんどくなりました。
今夜の夜食も気になるのですが、残念ながら今回はパス。



4日目の朝。
目覚まし時計で5時に起きます。TVのスイッチを入れると日本の放送が入っています。

チャンネルを船内放送の「航海図」に変えると画面にはGPSの航跡が映し出され、既に関門海峡の入り口にいる事がわかります。
今日は朝一番で関門大橋をくぐり 午後は瀬戸内海の3大大橋をくぐる事になっています。寝ている場合ではありません。
慌てて支度をして最上甲板に駆け上がります。


「おはようございます」
4日目ともなれば 甲板に出ている人とは顔馴染みになってきます。

自衛隊の潜水艦乗りSさん。今朝も海図とコンパス持参で「船長の腕を見てやろう」と気合が入っています。

もう一人、川崎の医師Mさん。
奥様はいつも御主人と少し離れ日陰で休んでいます。
本当は甲板に来るよりピアノサロンにでも居たいのであろう、御主人に誘われ「渋々つきあってます」と顔に書いてあります。

その他にもパイプをくわえたマドロススタイルの紳士や、船員の帽子を被った不思議な女性。
パソコンとGPSをつないでいるマニア。客船の乗客は不思議な人が多いようです。

この後夕方まで瀬戸内海を航行する間、食事時間以外はこのメンバーで最上甲板は占領されていました。
来島海峡大橋と瀬戸大橋をくぐり、最後の明石海峡大橋は20時頃に通過予定。
夕食の時間と重なってしまいます。早めに行って窓際の席を確保しなくてはなりません。

 




第9章

これが最後のディナーになります。
今日はインフォーマル指定なので 例によってスーツにアイロンをかけてダイニングに繰り出します。

メニューは、
前菜    ホタテとサーモンと車海老。
スープ   ジャガイモの冷たいスープ
メイン1  甘鯛のグリエ、ロブスター添え
メイン2  牛ヒレのロースト
サラダ   豆腐と海草のサラダ
デザート  アイス、マンゴー


自宅に帰れば タマネギだけのカレーや 鰻のタレだけの「偽うな丼」卵だけの「偽親子丼」の生活が待っています。
メインの皿に残ったソースだけでも「偽親子丼」1杯分の値段がすると思うと残すわけにはいきません。

窓の外にはライトアップされた明石大橋が見えます。
「今日は寝ないぞ!」と宣言し食後の運動にカジノへ急ぎます。最終日とあってカジノも大盛況。

「お姉さん チップ交換してくれんかな」
「すいません あたしディーラーじゃないんですが・・・」
真っ赤なドレスでルーレットのテーブルに陣取っていた妻は どうやらディーラーに間違われたようで あちこちから声が掛かります。



気合の入っていた妻は36倍の大当たりが連続。ついに景品のバンダナをゲット。意気揚揚と船首にあるバーに向かいます。
「シーバスの水割り!」
国内ではとても口に出来ないセリフであるが、国際航路は非課税で半額になっています。 飲まなきゃ損です。

「こんばんは」
そこへ川崎の医師M夫妻がやってきました。行動パターンがいつも同じす。

「次の航海は決まってますか?」 M夫妻に聞いてみました。入港日が近くなると 良く聞かれる挨拶です。

「お正月のグアム サイパンです」
 グアム・サイパンと言えば にっぽん丸の定番で、毎年12月28日頃から9泊10日でグアム・サイパンを目指すロングクルーズ。

「いいですねえ~ ウチも狙ってたんですが休みが無くて・・・・」
船底部屋価格でも1人40万円。 無いのは休みではなくお金です・・・。

「ウチまだ次は決めてないんですよ」
この時点では本当に決まっていなかったのですが、帰った翌日に別の船での航海を申し込むことになります。

「グアム・サイパンは揺れますよ」悔しいのでM夫妻を脅かしてみました。実際冬の太平洋は大荒れです。
「大丈夫です 酔い止めの注射を自分で持ってきます」さすが医師です。

そろそろバーもラストオーダーの時間。最後だと思うと寝るのがもったいない。
「ダイニングの夜食はまだ開いてるよねえ」最後の夜はなかなか終わりません。

 



第10章

「むあぁ~ こりゃ暑い」熱風が顔に当たります。
目の玉が焼けどしそうに痛い。おまけに音がムチャクチャうるさい。

「ここはあ~ 今あ~ 摂氏53度で~す」案内係の船員さんが大声で怒鳴ります。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・騒音と熱風とオイルの匂い。ここは船の機関室です。
最終日のメインイベント「機関室見学」


機関室見学が許される船は少なく 今回が初めての経験です。
1万馬力のディーゼルエンジンが2基。合計2万馬力で2万トンの船を動かしています。

「皆さあ~ん コントロールルームへ 入ってくださ~い」
コントロールルームはガラス張りで機関室を見ることができる部屋で、エアコンが効き防音も完璧で快適です。

昔の船は高温の中で作業したそうですが、今ではエアコンの中での作業であり操舵室からの遠隔操作も可能です。
説明役の機関士さんに対して「何馬力ですか?」「スクリューの大きさは?」と言った質問が飛び交います。

「最高速度は?」本船の最大速力は20ノット 時速約36キロです。
 今回は時間に余裕が無いので ほとんど全速力で飛ばしております」 

「燃費はどのくらいですか?」「リッター約10メートルです」10メートル? 今回は往復で3000キロなので・・・
「約30万リットル。300トン? 乗客1人あたり1トンかぁ」
ちなみに船の燃料は重油。1リットル15円(安い!)だそうで 1人あたり1万5千円。 

3000キロを車で走れば300リットル。ハイオクなら 3万円。 2人で乗れば1人1万5千円と同じ。
セスナなら500リットル使い、航空燃料は高いから 10万円。

機関室の見学が終わると 残念だがもう帰りの準備をしなくてはなりません。
今回もダンボールを宅配便で送るのですが、船から直接送れる訳ではありません。
なんと言っても一応国際線なので、税関を通り荷物検査を受けないと国内には持ち込めません。
ダンボールは封をしないで置いておきます。



船は伊豆半島を廻り東京湾へ入っていきます。
「それにしても暑いなあ~」ニュースで見るとここ数日、関東は猛暑で熊谷は38度だったそうです。
おまけに入港は17時なので 満員電車を覚悟しなければならなりません。

「降りたくねえよ~」東京湾の入り口「浦賀水道」に入りました。
クルーズの帰り道、毎回船がこの場所に来ると気分が暗くなります。

「サザエさん症候群って知ってるか?」「なにそれ」
「日曜日の夕方、サザエさんが始まる時間になると サラリーマンは次の日の仕事の事を考えて憂鬱になる病気だよ」「ふ~ん」
「よし 今の気分を浦賀水道症候群と名づけよう」

「部屋にいても 気分が暗くなるから ダイニングでお茶でも飲もうよ」
正式な食事は今日のお昼でおしまいですが 入港前に最後のお茶が出るらしい。

ダイニングには荷造りの終わった乗客から集まっているようです。
「おおっ? メシが有るじゃん」お茶だけだと思っていたら なんとサンドイッチが置いてあります。
コンサートの終わりにアンコールが2曲付いてきたようなものです。

「悔いの無いように食っとけよ 明日からしばらく一汁一菜だからな」
翌日の分までと 2人は他人目を気にせず、ガツガツと料理を食い荒らし始めました。

 



第11章

船の下船は上階から、つまりお金持ちから下船となります。

我が家は最下階なので船室の窓から下船する乗客を見物します。5日の間に知合った顔がタラップを渡って降りていきます。
「おおッ あのおじいちゃん 金持ちだったんだあ」今降りている人は デラックスルームの人たちでです。

我々が「師匠」と勝手にあだ名をつけた 落語家の「小さん師匠」に良く似たおじいちゃんが降りていく。
「あっ 世界一周のオバちゃん。マドロスのオヤジもいるぞ」
「Mさんもいた!」潜水艦乗りのSさんも降りた。

最後に我々の番がきました。ダンボールは税関の入り口まで運んでもらっているので 手ぶらでタラップを渡ります。
「お疲れ様でしたー パスポートをお返しします」ここでようやく自分のパスポートと再会します。
ページを開いてみると ちゃんと韓国のスタンプが押してあります。
「ちゃんと入国してたんだ。どこでスタンプ押されたんだろ?」

入国審査もいたって簡単。パスポートに入国スタンプをもらい次に税関へ。

「そのダンボール見せて下さい」係官に言われダンボールを開けます。
「中身は何ですか?」「靴とかバッグです」船の中での正装用の靴やバックを 型崩れしないように個別に箱に入れてしまってあります。

「お買い物ですか?」どうやら係官は、韓国で大量にブランドバックを買ってきたと勘違いしたようです。
おそらく先に下りた上級客はブランド物の嵐だったのではないだろうか。

「違います 違います 汚れ物です」箱を開けるとブランド物とは程遠い2980円の靴が出て来る。
その他にも韓国のポテトチップ、チョコ、駄菓子類・・・・・・
「ああ~ もう結構です」係官は苦笑い。


入国審査が終わると宅急便で荷物を送り 満員電車で自宅に帰ります。

「しばらくは乗れないよなあ~」電車の中ではそう言っていたのですが・・・

自宅に着くと いきなり、
「パンフレットもってこいよ」
「えっ? しばらく乗らないんじゃないの? お金は?」
「しばらくカレーに肉入れないからな」
「休みは?」
「風邪ひく事にする」。

数日後。潜水艦乗りのSさんから手紙がきました。
「船内ではお世話になりました 我が家はどうしても我慢できず お正月のグアム・サイパンに申し込んでしまいました・・・・・」
下船のときは しばらく客船には乗らないと言っていたSさんであったが、我が家と同じ葛藤があったのでしょう。

おそらくグアムまでの間、SさんとMさんはまた操舵室を占領するんでしょうね。