『望月(もちづき)夜行(やこう)

絵…社 文…そーま

 目を覚ましたとき、そこは薄闇の中であった。普段であれば灯されている行灯が、月明かりの中で白く浮かび上がっている。夜目(よめ)が利く妖怪にとって、暗闇はむしろ慣れ親しんだ空間ではあるのだが。

(らん)

 式の名を呼ぶ――が、返事はない。私が起きる時間には、戻っているのが常だというのに。床から()い出し、障子を開け月を見た。――ああ、そうか。私の目覚める時間が早かっただけか。あちらの世界で酒か何か盛られたような、そんな記憶がある。それが何故だったかまでは、さすがに覚えていない。人の体は脆弱(ぜいじゃく)で困ったものだ。あの体の場合、人の中でも特に弱い気もするが。

 早く目覚めてしまった分、時間が出来てしまった。藍が戻るまで、まだ小一時間はあるだろう。遊惰(ゆうだ)が身上の私である。縁側で月を眺めながら月見酒でも愉しむか。寝衣(しんい)を脱ぎ捨て、洋服に袖を通す。御阿礼(みあれ)の子には、いささか派手であると言われたこの服だが、私は気に入っている。名は体を表すと言うが、つまりそういうことだ。

 半分開けられていた障子を全て開け放つ。今宵は満月、快晴。月見酒に此れほどの(さかな)はそうそう望めまい。私は縁側に腰を下ろすと、境界の彼方から酒と猪口(ちょこ)を取り出した。

 天に穿(うが)たれた金色(こんじき)(うろ)

 そういえば、あの時もこんな月夜の深更(しんこう)だったろうか。漆黒の中、金色に光る双眸(そうぼう)。それはさながら、地上に降りた対の満月であった。

 猪口の水面に映された幻の月。

 それを私は一息に飲み干した。

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 妖怪と人間の平衡(へいこう)。妖怪が人間を食い、人間が妖怪を退治する。神代(かみよ)の時代より連綿(れんめん)と続いてきたこの関係が、近年崩れ始めていた。

 文明の発達により、人間はその数を増やし、闇を開拓する(すべ)を編み出した。やがてその拠り所も精神を離れ、物質へと帰順(きじゅん)して行くこととなる。

 もはや、妖怪と人間の争いに意味など存在しない。

 その成れの果てとしての、結界。妖怪と退魔師の末裔(まつえい)達を閉じ込める為の、(おり)

 

 だが――

 それは、どちらにとっての檻か。

 

 誰も知らない。

 幻想郷という名の壷で生成された蠢毒(こどく)が如何程のモノ、か。

 幻想を取り込むには、外界との関係を途絶せねばなるまい。外結界にこちらから結界を重ねる。「常識」と「非常識」の境界。これにより、外の世界の失われた力が幻想郷に流入することとなる。そうすれば、私の計画の進捗(しんちょく)も飛躍的に加速する。

 結界を構築するのは、博麗(はくれい)を使えばよい。幻想郷の法と秩序。元来、あれはそういった役割であるものだから。私はそれをコントロールするだけで事足りる。

 だが、結界を維持するのは容易いことではない。結界は絶対的なものであるが、永続的なものではない。結界の修復に手間取られていては、本末転倒でしかない。

 代行者が必要だ。私の手となり足となる影が。

 どこかその辺に、都合よく落ちていないかしら。

 

「はいよ、おまちどうさま」

 意気の良い声が暖簾(のれん)をくぐる。

「あら、ありがとう」

 皿に盛られた串団子を前に、思わず自分の顔が(ほころ)ぶのがわかる。親友が生前に、よくこの手のものを薦めてきたものだ。……もとい、今でもそれはあまり変わっていない。おかげで、私自身も随分な甘党になった節がある。

「お客さん、珍しい召物(めしもの)だね。舶来物(はくらいもの)かい?」

「ええ、そうですわ」

 洋服はまだ珍しい。金持ちが道楽で集めているのが一般的な時代だ。ましてや、こんな片田舎では目立つのも道理であった。

「お姉さんの美しさに、負けず劣らずってところだねぇ」

「まあ、お上手だこと。お団子もう一本頼んでしまおうかしら」

「そうこなくっちゃ!」

 売り子の娘が再び店の奥へ消えた。

 身なりを見て、懐の具合を計ったのだろうか。その推測は概ね正しい。ただ、その御銭(おあし)が真っ当な物とは、とても言い難いのだが。

「そういえば、お客さん。この先の村を通るのかい?」

「ええ、そのつもりですけれど」

 串の山を横目に茶を(すす)りながら、私は笑みを浮かべる。

「なら、気をつけた方がいいよ。ここのところ、妖怪が出て悪さしてるって噂だからさ」

「あら……妖怪ですか」

「お姉さんみたいな人が供も連れずに歩いてたら、取って食われちまうかもよ?」

 諸手(もろて)を上げて妖怪の真似をしつつ、カラカラと娘が笑う。

 無知は罪である。が、それと同時に、人間という脆弱な生き物が世を安穏(あんのん)と生き延びる為の術でもある。

 私はゆるりと目を細めて言った。

「――大丈夫ですよ。私も、その妖怪ですもの」

「……えっ?」

 娘が私に再び目を向けたとき、そこにはいくらかの、ひどく鉄の臭いのする銭が転がっていただけだった。

 

 村の畑の荒れ様と言えば、惨憺(さんたん)たるものだった。無残に食い散らかされた、かつて野菜や家畜であったろう残骸(ざんがい)がそこかしこで腐臭(ふしゅう)をばらまいていた。これは本当に妖怪の仕業なのか。全く、エレガントではない。獣の仕業と言った方が似つかわしい所業(しょぎょう)である。

 漂う悪臭を扇子(せんす)で払いながら、村の中心へと歩みを進めた。

 村中央の井戸の周囲に、人が座して集まっている。何やら騒がしく遣り取りが行われているようだが、興味はない。ただ、村人達の面前に立っている一人の人物に目が留まった。法力を感じる。僧を呼んだとすると、この村に妖怪が出るというのはどうやら本当らしい。

 不意に、僧の視線がこちらに向けられた。

 気付かれたか? 妖気は抑えているつもりだったのだが。どちらにせよ、無駄な関わり合いを持つほど暇を持て余してはいない。

 私は僧が近づいてくる気配を背に手近な物陰に移動すると、次の目的地までのスキマを開いた。

 

 さて、ようやく目的の場所に到着したのだが。そこにお目当ての物は存在しなかった。丘の上の、草木も生えぬ殺風景な土地。目の前には、一際異彩を放つ巨岩が鎮座(ちんざ)している。が、以前はその巨岩から濃く漂っていた妖気が感じられない。見れば、岩そのものに深い亀裂(きれつ)が入っている。

 滅せられたか、あるいは――

 近づく気配に、思考をしばし遮り目を向けた。

(ぬし)殺生石(せっしょうせき)に何用か」

 先程の僧か。見れば、まだ若い。この年の頃にして、この法力を持つとはそれなりの逸材である。

「ちょっとした観光ですわ」

 手にした番傘(ばんがさ)をくるりと回してみせる。

戯言(ざれごと)を申すな。主も立派な妖怪であろう」

 右手の錫杖(しゃくじょう)が音を鳴らす。ここで一戦交えようとでも言うのか。生憎(あいにく)、先刻食べたばかりの団子で腹は満たされているのだが。

「ここに封じられていた子はどこかしら?」

「……下の村を荒らしている妖獣(ようじゅう)のことか。主の仲間か」

 そうか、あの村を襲っているのがここに封印されていた妖獣か。

「遠からず、そうなる予定ですわ」

 野蛮に()したモノを引き入れるかは、悩むところではあったが。

「…………あの妖獣は、ここを少し下った先の寺に潜んでおるという話だ」

「あら、親切ですのね」

「妖怪の物言いは一々的を射ん。あの妖怪狐を他所(よそ)へやるというなら、邪魔立てする意味もない。それに――」

 僧は笠を目深(まぶか)に被りなおした。

「私は明日のお天道様(てんとうさま)も拝みたいのでな」

 口元だけが不敵に歪ませ、僧は元来たであろう道を引き返していった。

「ふふ……貴方、長生きしますわ」

 次の目的地は決まった。簡単に説得できる相手ならいいのだけど。ただ、相手が理性の欠片も無い獣だった場合どうすればよいか。

 後腐れのないように、(くび)り殺そうかしら。

 

 (くだん)禅寺(ぜんでら)に辿り着いた時には、日が山の稜線(りょうせん)に落ち始めていた。周囲の木々がざわざわと体を寄り合わせている。ひなびて手入れされていないところを見ると、ここには長い間人が住んでいないようだ。

 寺の内部にも特に気配も無い。出払った後なのか、まだ戻っていないだけなのか。どちらでも構わないが、先に上がらせてもらうことにしよう。

 本堂の戸を開け放つと、背後の西日が強く差し込んだ。と、床に日を照らし返す金色に輝く糸が目に入った。どうやら体毛のようだ。長くしなやかで、それでいて鋼のごとき強靭(きょうじん)さも兼ね備えている。これは妖獣の、それも格の高いものだ。ここに探し物がいるという情報は正しいらしい。ならば、ゆっくり待たせてもらうとしよう。

 この寺の(おもむ)きもなかなか気に入った。事が終わったら、そっくりそのまま頂いてしまうのも悪くない。

 

 妖気が迫ってくる気配で、私は目を覚ました。いつの間にか、すこし寝入ってしまったらしい。ようやくのおでましか。

 障子紙(しょうじがみ)を隔てた外は、既に暗闇に落ちている。堂の内部もすっかり闇の中だ。

 さて、どう言って説得したものか。今更になって考え始める私もよっぽどであるが。

 妖気の主は寺の前の石段を登り終えたようだ。が、そのスピードには落ちる様子が一向に無い。これは……色々と面倒なことになりそうだ。

 障子戸(しょうじど)のすぐ外まで迫った気配を他所に、私は足元にスキマを展開した。

 境内(けいだい)には月光が降り注いでいた。今宵は満月か。アレの気が立っているのは、その所為もあるのかもしれない。

 粉砕された戸の向うから、影が一つ飛び出した。それは回転しながら宙に放物線を描き、私の目の前に降り立った。

 人の体躯(たいく)に獣の風貌(ふうぼう)――いわゆる妖獣である。

 金色の眼、金色の耳、金色の尾。その全てが月光を浴び一際神々しく光を放っている。まるでその周囲だけ、空間が闇から切り取られたかのようだ。

 大地の月が口を開いた。

「あたしの根城(ねじろ)で堂々とくつろぐなんて、随分舐めたマネするじゃないのさ」

 煌々(こうこう)と光る双眸が、その中に私を映し出す。

 人間の(わらし)程の体格しか持たない割には、その迫力はなかなかの物だ。

「あら、それは失礼。貴方の帰りが遅いから待たせてもらったわ」

「あんたみたいな妖怪ババァ、招待した覚えはないね!」

 たかが二尾程度の化狐が、この八雲紫(やくもゆかり)に向かって偉そうな口を利く。

「…………獣には獣らしく、(しつけ)が必要なようね」

 自分の口が意思を異にして歪むのが分かる。

 仏の顔も三度まで、などというが、私の場合、そもそも仏の顔など一つも持ち合わせていない。

「格の違いというものを見せてさしあげますわ」

「ほざけッ!!」

 咆哮(ほうこう)が合図となった。

 先手を取ったのはあちら側。妖獣特有の瞬発力を生かしての回転体当たり。だが先手必勝とは、実力が拮抗している相手にのみ通用する言葉だ。

 突進をゆるやかな体裁きで往なす。正面からまともに食らえば、普通の人間であればあばらの二、三本を軽く持っていく威力はあるだろう。だが、当たらなければ全て無駄だ。

 空を切った狐はそのままの勢いで奥の木に衝突し、その反動で再びこちらに向かって来た。しなりを加えた分、多少スピードは増しているようだが……。

「その程度では、私に触れることもできませんわ」

 やはり紙一重でかわす。巻き起こした風だけが、私の髪を揺らす。そして、またしても木の反動での強襲(きょうしゅう)

 ……馬鹿の一つ覚え。所詮獣は獣でしかなかったということか。元九尾狐(きゅうびのきつね)ともなれば、自分の手足となる資質ぐらい備えていると思ったのだが、買い被り過ぎたようだ。私への侮辱(ぶじょく)の代償を払わせて、全て終わりにしよう。

 だが、再度かわそうとした矢先、

「その余裕が命取りさ!!」

 狐の軌道が眼前で大きく変化した。まっすぐにこちらを捉えている。なるほど、一、二球は見せ球で、これが本命というわけか。格下妖怪相手に使うことはないと思っていたが……。

 過小評価したことは訂正せねばなるまい。だが、結局のところ余裕という一語が(くつがえ)ることは、ない。

 この世の『(ことわり)』に接続。物理法則を書き換え、空間の一部を歪め論理的に世界を変換する。

 四重結界(しじゅうけっかい)――発動。

「――――ッ!!」

 結界に拒絶され、妖怪狐は自らの勢いも相俟(あいま)って弾き飛ばされた。

 境内の石畳(いしだたみ)六間(ろっけん)は転がったところで、ふらふらと上体を起こす。

「……何だ、今のは…………うぅっ」

 立ち上がろうとするが、よろめいて尻餅をつき、そのまま倒れ込んだ。反撃を食らうと思っていなかった所為か、予想以上にダメージが大きいようだ。もう自慢の脚力を生かした速攻は不可能だろう。

 ――勝負あった。

 多少の智慧(ちえ)はある様だし、一から教育しなおせば多少使えるようにはなるだろう。

「貴方、私と一緒に来て貰うわ」

「……………………」

 気絶しているようだ。下手に暴れられても煩わしいだけだ。こちらとしても都合がよい。

 横たわる妖怪狐をスキマに放り込もうと手を伸ばした、その時。

「フーッ!!」

 小さな黒い影が物陰から飛び出してきた。先程まで私の手があった位置を通過した後、着地する。

 見れば、幼い黒猫ではないか。小さな体躯を膨らませ、必死に威嚇(いかく)している。なんだ、この狐を守ろうとでも言うのか。と、周囲に気配が増えていくのを感じる。見渡せば、いつの間にか大小様々な獣に取り囲まれているではないか。それも、各々私に対して敵意を(あら)わにしつつ。

「……これは降参するしかないのかしら」

 散らそうと思えば造作(ぞうさ)もないことだが、私もそこまで外道にはなりきれない。物事は美しく進めなければ意味がないのだ。

 言い訳めいた溜め息を、私は一つだけついた。

 

 チチ、チュン――

 雀の(さえず)りで、朝の訪れを感じた。堂内にも、わずかながらではあるが温かな日の光が射し込み始める。

「…………う……」

 妖怪狐が目を覚ましたようだ。状況がわからないのか、周囲を二度三度眺める。狐を囲むように(はべ)る獣達を見てか、安堵(あんど)の溜め息をついた。

「お目覚めかしら」

「?!」

 死角から声を掛けると、ギクリと固まる。

「お前!! っいてて……」

 身構えようと身を起こそうとするが、体を走る痛みがそうさせないようだ。

「あら、無理してはダメよ」

「………………くそっ……」

 観念したのか、ゆっくり腰を下ろす。

「この子達、貴方が面倒を見ているのかしら?」

「……ん、ああ、そうだよ」

 遣り取りに気付いたのか、狐の傍らで丸くなっていた黒猫が起き出した。全くもって無警戒に伸びをした後、一声にゃあと鳴く。

「皆、人間に親を殺されたり、ケガを負わされて群れから追い出されたのさ」

 黒猫の頭を優しく撫でながら、呟く。うにゃあと、黒猫がその手に体を摺り寄せた。

「記憶も何もなかったあたしに、生きる意味を与えてくれたんだ、こいつらは」

 あの丘の上にあった殺生石は、その昔都を騒がせた性悪(しょうわる)九尾狐が死後姿を変えたものの破片の一つだ。砕かれた殺生石から生まれたこの二尾狐(にびぎつね)は、様々な面で不完全、不安定な存在なのだろう。

「だから、人里を襲っているのね」

 儚い命達を守り、生かす為に。

「人間が自分勝手にあたし達の領域を侵してきたんだ。自業自得さ」

 そういえば、この辺りは前に訪れた時は村などなく、山野が広がっていたはずだ。

 開拓の過程で何がしか奪われたのが、ここにいる動物達ということか。

「そういや、あんたはあたしに何の用だったんだ?」

「……さあ、忘れてしまったわ」

 私はあっけらかんと言い放った。

「忘れるような理由でボコボコにしないでくれよ、全く……」

 怪訝(けげん)な顔でこちらを見つめる。

 無理やり連れ帰ることはもちろんできたことだ。だが、この狐は獣達を必要とし、また獣達もこの狐を必要としている。獣達ごと連れて行くことも考えたが。やはり、生まれ育った場所から離れたくはないだろう。それに、幻想郷は厳しい土地だ。弱々しい命が生きるには過酷過ぎる。

「見たところ貴方も大丈夫そうだし、そろそろ退散しようかしら」

 早いうちに、次の式候補を探さなくては。この九尾狐の分身が御破算(ごわさん)になるのは結構な誤算だ。他の殺生石の破片は既に具象化(ぐしょうか)済みであるし、また別の手段を講じる必要がある。

「あ、おい、ちょっと待ちなよ」

「? なにかしら」

「あたしが動けない間、こいつらの面倒を見て貰いたいんだけど」

「……なんですって?」

「こうなったのもあんたの所為なんだから、責任取ってもらわないとね」

「よく言うわね、この子は……」

 面倒事が大嫌いな私にそんなことを頼むとは。私を知る者が聞いたら、目を()くに違いない。やはり、無知とは罪深いものだ。

「にゃあん」

 いつの間にか、黒猫が足元に寄っていた。壊れ物を扱うように、そっと抱き上げる。小動物特有の高体温が伝わってくる。黒猫はもう一声、にゃあと鳴いた。昨夜はあれ程敵愾心(てきがいしん)を剥き出しにしていたのに、切り替えの早いものだ。それが猫という生き物なのかもしれないが。

「もう懐かれてる……やっぱり、これも年のこ」

「次に歳の話をしたら、また転がすわよ」

「ふぎゃっ!!」

 何かを感じ取ったらしい黒猫が、慌てて飛び降りた。

 

 奇妙な共同生活を始めて、一週間が過ぎた。妖怪狐はといえば、元気良く動物達と境内を走り回っている。妖獣の回復力というものは、並外れたものがある。

 私は()(えん)に腰掛け、膝の上で丸くなっている黒猫の滑らかな濡烏(ぬれがらす)の背を撫でていた。 穏やかな時間だった。これまで一箇所に長く留まって生活をした経験などなかったが、なかなかどうして悪くないものではないか。

『一緒にここで暮らせばいいのに』

 ある時、あの娘にそう言われた。

『ここで、一緒に暮らしましょう』

 遠い日の記憶と重なる。

 それは決して叶うことのなかった、二人の夢。

 ここは生に溢れていた。永らく生と死の境界を歩み続けた私には、少々眩し過ぎる。

 そう、眩し過ぎたのだ。

「少し、長居し過ぎたわね」

「……うにゃ?」

 脇に置かれた黒猫が、寝惚(ねぼ)(まなこ)で鳴く。

「さようなら。あの子をよろしくね」

 それだけ言い残すと、私はスキマの中へ一人沈んだ。

 

 徒手空拳(としゅくうけん)のまま、村を離れた。

 あの狐の子はこの先、力ある妖獣として名を馳せる日が来るだろう。そのパイプを作ったと思えば、あながち何も収穫が無いとは言い切れないが。

 ぼんやり歩いていると、村と寺のある小山を一望できる峠に差し掛かっていた。村の方を見ると、いくつもの篝火(かがりび)()かれているのが見える。村祭りでもあるのだろうか。あの子達も、人と上手く共存できればいいのだが。憎しみの連鎖はどこかで断ち切らなければいけない。憎しみに憎しみで(あらが)っては、どちらかが滅ぶまで争いが繰り返されるのだから。

 暮れ行く景色に一瞥(いちべつ)すると、私は先を急いだ。

 

 街道沿いの宿場町は活気に溢れていた。喧騒に囲まれながら、私は猪口を傾けた。

 辺りは既に日が落ち、この屋台の提灯も赤い光をゆらりと放っている。久方振りの独りの夜である。この騒々しさも、慰めには丁度良い。

「お銚子もう一本、付けていただけるかしら」

「あいよっ!」

 威勢の良い声が返って来る。

 酔いがうっすらと回ってきた頃、誰かが隣に腰を下ろした。

「……主、こんなところで何をしておる」

 それはいつかの僧であった。

「見てお分かりにならないかしら?」

 フーッと呼気を吹き掛けると、僧はしかめっ面を浮かべ顔を背けた。

「そういうことを聞いておるのではない。主は妖の類であろうが」

 何故か、あちらが声を潜める。

「人も妖怪も、違いなんて些細(ささい)な問題ですわ。興を愉しむ心があればこそ、こうして人里に交わることもありますの」

「……私には理解できん」

「貴方も、一杯どうかしら?」

「馬鹿を申すな。仏門に下った身でそのようなことはできぬ」

「あら、御堅いこと」

「…………それで、妖怪狐の件はどうなったのだ」

「村には余り手を出すなと言い含めておきましたわ」

「なに……? 村に現れぬから、主が他所へ移したのだと思っておったのだが……それでは、あの狐はまだあの寺におるのか?」

「ええ、そのはずですわ」

 僧は眉根を寄せた。

「今夜、あの山に火を放つと村の者が申しておったのだが……」

「……………………」

 波が引いていくように、酔いが()めていくのがわかる。

「あの寺に戻ってこられぬように、とのことらしい」

「…………人という生き物は愚かですわね。目先のことばかりに囚われて、大局を読もうともしないのですもの」

 手から猪口が零れ落ちる。

 急速に闇に溶けていく理性。

「おい、主……?」

 何か雑音が聞こえるが、判別できるだけの思考が既に残されていない。

 猪口が地面に触れると同時に、私はスキマに飲み込まれた。

 

 生木(なまき)のはぜる音。

 皮膚を(あぶ)る熱。

 生を喰らい尽す業火が鼻腔(びこう)を焼く。

 朱の大蛇(おろち)(とぐろ)を巻き、天を焦がす。

 揺れる、揺れる。火は変幻自在に姿を変え、視界を埋め尽くす。

 その只中に居て、暴力的な熱量を前にしても私はひどく冷静だった。

 否、冷静だったのではない。凍り付いていただけなのだ。体も、思考も、何もかも。

 友が死んだ刻を思い出す。

 あの日私を埋めたのは哀しみ。地の底まで堕ちていくような、深い哀しみ。

 今宵私を埋めるのは。

 これはきっと、怒りなのだろう。

 眼前に(おこ)大火(たいか)にも似て激しく、底冷えする程の怒りだ。

「……!!…………!!」

 思考の隅で何かが吠えている。

 肩を掴まれ、強引に振り向かされる。

 人か。

 その醜悪で知性の欠片もない面構えに、私は薄らと顔に笑みを貼り付けた。

 獣にも劣る蛮行を前に、もはや掛ける慈悲など、ない。

 

 ああ――――大人シクシテイレバ、喰ワレナカッタノニ。

 

「……!?」

 ある者はその場に腰を抜かし、ある者は松明(たいまつ)を取り落として逃げ出す。

 この世のモノではないモノを見た、と言った風に。

 自分で自分の顔を見られない事に、(いきどお)った。

 一体、私はどんなおぞましい表情を浮かべているのだろうか。

 へたり込んでしまった餌の瞳は、ひどく揺れており用をなさなかった。

 意識の一角がひどくざわつく。

『エサダエサダエサダエサダエサダエサダエサダエサダエサダエサダエサダエサダ』

『クワセロクワセロクワセロクワセロクワセロクワセロクワセロクワセロクワセロ』

 蟲達が(ささや)く。

 囁きは羽音(はおと)の様に折り重なり、不快な雑音へと成り下がる。

 首輪が解き放たれるのを待つ獣。

 何百、何千、何万という野獣の群れが、そこでざわめいていた。

 私はそっと、幻巣(げんそう)の扉を開いてやる。

 その瞬間、歓喜の声を自らの羽音で塗り潰して、狂気が解き放たれた。

 怒号、悲鳴、断末魔、阿鼻叫喚。

 怨嗟(えんさ)ノ声スラモ、呑ミ込マレル。

 その日、ある村から全ての村人が忽然と姿を消した。

 憎悪の連鎖は、絶たれた。

 あらゆる怨恨(えんこん)の念を、全て喰らい尽くして。

 

 火の手は、既に禅寺の一部とその周囲の林までも包み込んでいた。

 耐え切れずに燃え落ちた大木が、逃げ道を(ふさ)ぐ様に取り囲んでいる。

 火の檻に囚われた住人達は、身を寄せ合うように堂の中央で(うずくま)っていた。その殆どは、既に息が無い。

 数多の遺体に覆いかぶさる妖獣の子をそっと掻き抱いた。

 その体は、何かを守るには余りにも小さすぎて。

 敵を打ち倒す力はあっても、仲間を守る術を知らなかったが故の末路。

 その身を挺して(かば)ったものは、ひどくちっぽけなものだったが。

 それでも、守り通して見せたのね、貴方は。

 

 

 人も獣も近寄らない、幻想郷の外れ。

 屋根が半分焼け落ち、煤や焦げ跡の残る堂の縁側で、私達は朝を迎えた。そこは、昨夜の出来事が嘘のような静けさに包まれていた。

 朝靄(あさもや)から切り分けられた風が優しく頬を撫でる。

 膝の上で穏やかな寝息を立てていた妖怪狐が目を覚ました。

「…………ここは、あの世?」

「おはよう、天女様よ」

 苦虫を噛み潰したような顔が返ってきた。まだ本調子ではないらしく、起き上ろうとはしない。

「あんたが助けてくれたのか……」

「貴方の頑張りに免じて、ね」

 死に(ひん)していた妖怪狐を蘇生させるために、『式』を使った。入力された『式』は、妖獣というハードウェアのポテンシャルを遺憾無く発揮させた。

 驚異的な回復力はその一端である。

「…………結局誰も助けられないで、あたしだけ生き残って……」

 しばらく呆けていた妖怪狐が、ゆっくりと口を開いた。

「……全部無駄だったんだ……あたしが守りたかったものは、もう何一つ残ってやしない……」

 顔を覆った手指の間から、透明な滴が一筋流れ落ちる。次第にその声に嗚咽(おえつ)が混じり始め、やがて声を上げて泣き始める。

 私は、やれやれと溜め息を一つ吐いた。

「……あら、本当にそうかしら」

 待ってましたと言わんばかりに、狐の脇から黒猫が一匹這い出した。

「にゃあ!」

 一声高らかに鳴くと、妖怪狐の上に飛び乗った。

「……お前! 生きてたんだな……よかった、よかったぁ……」

「う゛にゃ」

 急に抱きすくめられて苦しかったのか、その腕からするりと抜けると、傍らで丸くなった。

「貴方がその手で守った命よ。大切になさい」

 今度は嬉し涙で溢れる顔をくしゃくしゃにしたまま、何度も何度も頷く。

「……それと、調子が戻ったらこの寺を直すわよ。これから、ここが私達の家になるのだから」

「私達って…………」

「今日から、私も貴方も同じ家族の一員よ」

 私の口から家族などという言葉が出てくるとは。式など、只の僕としか考えていなかったのに。

 永く独りで生きてきた代償に失われた心を、取り戻したいのだろうか。妖怪が心などと。笑いたければ笑うがいい。

 でも、私は触れてしまったから。

 かつて、一度はその手を放してしまった温もりに。

 

「『藍』。この私に次ぐ名を、貴方に授けます」

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

「――――様」

 声。

「――様、紫様、こんなところで寝ていては風邪を引かれますよ」

 藍が心配そうに覗き込んでいた。

 外から戻ったらしい。

 いつの間にか、まどろんでしまっていたようだ。起き上がると。視界の隅に空の徳利(とっくり)が何本か転がっていた。少し酒が入りすぎたか。

 奇しくも目を覚ましたここは、夢の狭間で最後にいた場所であった。

「先にお一人で始められていたのですか?」

「……何のことかしら?」

「何って、明日は記念日だからお祝いするわよ、と昨日仰られていたではありませんか。御所望(しょもう)の『けえき』とやらも、山の上の巫女の手を借りて調達して参りましたよ」

 ……ああ、そうだ、思い出した。

「紫様、今日は何の記念日なんですかー?」

 目を輝かせた(ちぇん)が、私の肩越しに顔を覗かせる。

「こら、橙。紫様に失礼を」

「いいのよ、藍。今日は家族記念日なのだから」

「家族……記念日、ですか?」

「そうよ。私が貴方に名前を与えて、ここで暮らし始めた日よ」

「そ、そうだったのですか。私も幼い時分でしたので、すっかり忘れていました……」

「そうね、あの頃の藍は今の橙くらいだったかしら」

「藍様にも小さい頃があったんですね」

「当たり前だ。確か橙はまだ、こんな小さな黒猫のままだったな」

「そんな昔のことは、覚えてないですぅ……」

「さあ、野暮な話はそこまでにしておきましょう」

「けえき、けえき♪」

「橙! すみません紫様。作っている最中につまみ食いして味を占めてしまったらしく……」

「あらあら、なら橙には特別大きいのをあげましょうね」

「わぁい、紫様大好き♪」

 橙は、一足早く座敷の奥へと駆けていった。

 賑やかな足音が遠くへ去り、藍が溜め息を一つ吐いた所で、声を掛けた。

「藍」

「はい、なんでしょうか、紫様」

「いつも、お疲れ様ね」

「どうなさったんですか、珍しい」

「どうもしないわ。ただ、今日はそんな気分なの」

「はは、そうですか。それよりも、早く行かないと橙にけえきを独り占めされますよ」

「ふふ、そうね、それは困るわ」

 そうして、二人で苦笑交じりに視線を交わすと、藍は先に座敷へと消えた。

 (たま)に考えることがある。

『家族』三人、こうして笑って過ごせる日々は、果たしていつまで続くのだろうか、と。 手に入れた幸せは、それを失ってしまう恐怖を常に伴う。

 その恐怖に目を瞑って安穏と生きられるほど、この幻想郷は優しくもない。

 日々は斉一(せいいつ)に見えて、常にその有り様を変えていく。

 その流れを変えることは、この私とて不可能だ。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』

「紫様」

 藍の呼ぶ声が聞こえる。

 その中に在って、私はこう想う。

 天が運命を別つその日まで、私達は家族として共に生きよう、と。

 

 空には望月。

 今宵は、その満月をゆるりと皆で食すとしよう。

 

 

 <了>

 あとがき

 SS担当、そーまです。

 見苦しい文章を最後までお読み頂いて、恐悦至極です。

 私的解釈、やくもけ劇場でした。

 藍様の背中には、当時の火傷の跡が残っているとかいないとか。

 やくもけには末永く幸せに暮らしていただきたいものです。

 一応テーマは家族愛に分類されるんでしょうか。

 血縁関係にない家族とか大好物なもんで……。

 もりやけの話も、機会があれば公開したいですね。

 最後になりましたが、素晴らしい挿絵を描いて頂いた社氏に最大限の謝辞を。

 ゆかりんに定評のある氏に頼んだ自分の目に狂いはなかった。

 ゆかりん好きに悪い人はいないということですね、わかります。

 次回があれば、また次回。

 パチュアリに興味のある絵師さんいませんか!? いませんね。

 お後がよろしいようで。

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 どうも、挿絵を描かせていただいた社です。

 イラスト:社

 関東在住。

 腐と萌の境界で微妙な立ち位置の絵描き。

 …とりあえず○撃文庫風の自己紹介とかしてみたけど、どうなんでしょうか。

 あの自己紹介、大概短い割にまとまりがよくて、さりげなく凄いんじゃないかと思い始めてます。

 …実は俺、完結までちゃんと読んだラノベ少ないんですよ。

 ダブルブリッドと…リバーズエンド、空の境界ぐらいですかね。

 戯言シリーズは…あ、本編は全部読んだけど人間シリーズはまだ未読だった。

 うん、なんだ、関係のない話が展開しそうなのでこの辺で締めた方がいいでしょうか。

 ええと、そーまさん、素敵なSSの挿絵を描く機会を下さってありがとうございます。

 俺のこんなちょっと長い後書きコメントもちゃんと読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

 縁があれば、またどこかでお会いしましょう。

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