AKJ NEWSLETTER #3


心霊重建(精神の復興)、藝術重生(芸術の再生)

台湾被災地でのワークショップ報告

2000年8月4日〜6日

原 久子(AKJメンバー)
朝日新聞夕刊関西版 2000年9月22日付掲載より


赤と緑の2匹のコイのぼりの壁画が色鮮やかに、台湾中部の山間の集落で、子供たちの手により描かれた。昨年9月の台湾中部大地震によって、7割の家屋に被害があった台中縣和平郷の集落。そこの仮設住宅に暮らす被災したタイヤル族(台湾の先住民族の一つ)の児童とのワークショップでの一コマだ。


●心身の回復に向けて
 8月4日から6日の3日間行なわれたワークショップは、中華民國視覚藝術協会という芸術家の団体が主催する「心霊重建、藝術重生」(精神の復興、芸術の再生)という企画の一環であった。特に被害の大きかった地域の小学校4校を訪問し、精神的なダメージを受けた児童の心身の回復に、美術や演劇、音楽など芸術に関わる人々が、小学校の教師やセラピスト等と協力して、ワークショップの開催を支援をしようという内容だ。今回の講師派遣は、今年4月から継続して行なわれてきた企画の最終プログラムでもあった。
 参加のきっかけは、日本から講師として赴いた歳森勲(美術家)、東野健一(絵巻物師)、林口砂里(アート・マネージャー)と私もメンバーとして活動するアクト・コウベ・ジャパン(以下AKJ)が募った義援金だった。
 AKJは震災を契機に生まれた芸術家の連帯組織。5年前、阪神淡路大震災のニュースを聴いたマルセイユの芸術家たちがアクト・コウベを設立した。彼らの活動に応えるべく同じ年にAKJができた。昨年12月には「台湾中部地震被災アーティスト応援パーティ」を開き、その売り上げを義援金に。台湾で制作活動中の歳森から「心霊重建、藝術重生」の資金不足を聞き、募った義援金を贈ることと、講師としての参加を、AKJとして申し出たのだった。
 ワークショップの前日の8月3日、演劇のクラスを担当する台中の頑石劇団のスタッフたち、鐘斌效氏(美術家)と、日本からスタッフの総勢12人が合流。台中市で翌日からのスケジュールなどを打ち合わせた。受け入れ先の仮設住宅のとりまとめ役を務める瓦歴斯氏から、仮設住宅の入口にある塀に、壁画を皆で描いて欲しいという要望があった。
 訪ねた集落は、台中市から車で約一時間半ほど行った山間部にある。地震から10ヶ月以上が経過しても各所に残る、地震の傷跡を目にしながら到着。私たち日本人は、前日の瓦歴斯氏の言葉を思いだし、かなり緊張していた。氏は、私たちが接することになっているタイヤル族と旧日本軍との間に起こった「霧社(ウーシャ)事件」(1930年)という悲惨な事件のことを、ぽろりと口にしていたのだ。
 でも、劇団の人たちは、素早く子供の心をつかみ、彼らの明るい笑顔と歓迎ムードが、気分をほぐしてくれた。複雑な思いを抱きながらも、何よりありがたかったのは、日本が統治していた時代に教育を受けた日本語の話せるお年寄りが、率先して通訳をかって出てくれたことだ。
 やや詰め込み過ぎか、とも思えるプログラムだったが、楽しそうに手や身体を動かす子供たち。彼らに誰も強制していないのに、時間になると教室に姿を見せ、われわれが準備をするのを待ち切れない様子で見ている。言葉は通じなくても、様々なことを表現して絵画や造形物にしたり、パフォーマンスをしているうちに、心が通じ合ってゆくのを肌で感じることが出来た。
 段取り通りに進行しようと焦る日本人と、おおらかな台湾のスタッフとのコンビネーションも、時間がたつにつれ息が合ってきた。子供との関係、スタッフ同士、仮設に住む家族、いろいろ関係が生まれるプロセスを経験したことは、何ものにも代え難いものを得たようで、思い出深い。


●他者とつながる可能性
 さて、壁に何を描くか、という段階になって、若い鐘氏が、塀にコイを2匹描くことを提案してくれた。「コイのぼり」が、子供たちの元気な成長を願うものであることを、テレビで見た日本のアニメで知っていたのだ。
 全長約40メートル以上もある塀に、午前中の2時間あまりで、2匹のコイを描いた。下書きも何も用意していないところに、ペンキだらけになりながら、子供だけでうまく描きあげたことにも驚いた。
 仮設住宅で暮らす人たちが、毎日、必ず通る入口に、子供たちが皆で力を合わせて描いたコイを見ることの意味は大きい。
 台湾の芸術家たちとのこれからの関係も含めて、芸術に関わるネットワークが、他者との連帯、崩れやすいものを自らで再生してゆくことを考える場へと、発展してゆく可能性を秘めていることを確信する機会ともなった。


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