History   histoire

Acte Kobeの経緯   

阪神淡路大震災で被災した地域のアーティストのために、マルセイユのアーティストが義援イベントを開催。そして日仏のアーティストネットワークに。

1995年

1月17日 バール・フィリップスとアラン・ディオが、被災した地域のアーティストとの連帯を表明し義援イベントを行なうことを、マルセイユ近辺のアーティストに呼びかける。
このイベントの制作運営担当を、マルセイユのアートセンターであるラ・フリッシュで音楽監督を勤めるフェルディナン・リシャールに依頼。
1月18日 フェルディナン・リシャールより川崎義博に、義援金の受け渡し先について相談のファックスが届く。川崎はリシャールのプロデュースする音楽フェスティバル「MIMI」で仕事をしたり、アフターディナーのヨーロッパツアーなどで以前からリシャールとは親交が深かった。
3月30日 フィリップスが義援金の受け渡し先を探しに来日、神戸の下田展久に電話する。
フィリップスは、協力を要請するため神戸市国際部を訪ねる。
その後、中川博志、森信子、松原臨、下田と会い、三ノ宮の播磨屋というそばやで義援金の使い方について可能性をともに検討していくことにする。
4月9日 マルセイユで「Acte Kobe 1 」開催。このイベントには音楽家、造形作家、写真家、映画人、舞踊家、詩人、作家など、150人ものアーティストが主旨に賛同し参加。
6月 下田が、神戸の旧居留地で社会と芸術をめぐる活動を行なうグループ「C.A.P.(芸術と計画会議)」(代表:杉山知子)にマルセイユからの義援金について相談。生活のためではなく、芸術活動が被災地の復興・新生につながるような義援金の活かし方を探る。
スイスのベルンで活動するバイオリン奏者、ハンス・バーグナーはマルセイユでの「Acte Kobe 1」に深く賛同し、ベルンでも同じ主旨の元に義援活動を行なうことをフィリップスに相談する。
9月15日 スイスのベルンで「Acte Kobe 2」開催。音楽家のハンス・バーグナーとW.I.M.協会(即興演奏協会)が昼夜に渡るイベントをおこない、ダンス、ジャズ、現代音楽、ロック、写真家、映像作家、など40グループ以上の芸術家が参加。
10月28日 マルセイユとベルンからの義援金を受け、「CAPARTY vol.1」開催。C.A.P.と、神戸ポートアイランドで数々の先進的な音のイベントを開催してきたXEBEC(ジーベック)が主催。この催しは、TOA(株)、アサヒビール(株)、(株)ブラウニー、亀井純子文化基金などの協力を得て一日アートの展示、シンポジウム、パフォーマンス、パーティー等をXEBECの屋内・外を使い 開催。
★このイベントについてはインターネットホームページに情報があります。
http://www.cap-kobe.com/caparty1.html

1996年

1月17日〜
2月29日
連帯の日/マルセイユ 〜 ベルン 〜 神戸「Acte Kobe」 (ジーベック/神戸)
この催しは、C.A.P.、神戸の音楽家、そしてジーベックによる実行委員会により、震災を契機にマルセイユからはじまったこの国際芸術家ネットワークを更に発展させるため開催された。1/17から2/29まで、マルセイユとベルンでの義援イベント、そしてそれを受けて開催された神戸のアートパーティー「CAPARTY vol.1」の記録を写真、ビデオなどで紹介。海外から招いたオーガナイザー、また主旨に賛同してくれた多くの音楽家達を迎えてのオールナイトのコンサートも行なった。この催しは実行委員会、出演者、様々な協力者が一同に会し「次はどうする?」という暗黙のテーマを共有した貴重なコミュニケーションの場となった。A.M.I., "La Friche"Marseille、W.I.M., Bern、日本コロムビア株式会社、神戸市、神戸市民文化振興財団、マルセイユ市、TOA株式会社、アサヒビール株式会社、関西日仏学館、SWISS AIR、AIR FRANCE、The Bulgarian Voices ANGELITE、Uli Balss at JAROなどの多くの協力を得て実現。
★このイベントについては下記のインターネットホームページに情報があります
 
http://www.cap-kobe.com/actekobe.html
 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tengaku/ActKobe.html
1月18日 オールナイト・コンサートの後、神戸のベトナム料理の店、鴻華園でActe Kobeの今後について国際会議が行なわれた。参加者は、バール・フィリップス、アラン・ディオ、フェルディナン・リシャール、ハンス・バーグナー、中川博志、川崎義博、下田展久、森信子。会場は中川氏によって、春巻がうまいという理由で決定された。(うまかったです)
震災という負の出来事を、 発展的な芸術家の国際ネットワーク活動に変えていこうということが話しあわれた。
10月 バール・フィリップス来日。演奏活動のため来日した際、神戸に足を伸ばし兵庫県や神戸市の芸術文化、国際交流のセクションを訪問。夜は神戸の中華料理店、愛園で食事。兵庫県職員も参加し、食後、なんと別のライブハウスでフィリップス氏と県の小野氏がセッション。小野氏は奥さんに隠れてギターのコレクションをしている。

1997年

2月16日 マルセイユで「Acte Kobe-France」が設立され、第一回目の会合が開催される。
6月22日 神戸で「Acte Kobe-Japan」が、発起人(川崎義博/下田展久/杉山知子/中川博志/森信子)により設立される。事務局は下田展久。
7月17日 神戸とマルセイユで同じ日の一日を使い切りカメラで撮影し、交換するプロジェクトPhoto Projetの第一回の撮影日。以後、毎年1月17日に撮影を行なうことにする。
9月6日

10月8日

交換展覧第一回 (ジーベック/神戸)
展覧タイトル:マルセイユ〜神戸:アクト・コウベ「Acte Kobe Exhibition」no.1

開催期間:1997.9/6(土)〜10/8(水)
場所:ジーベックホワイエ (入場無料)

11月 バール・フィリップス、コンサートのため来日。ジーベックでも日本初演のパフォーマンスピース「My Town Your Town」を公演する。コンサートの前夜、神戸の焼き鳥屋、備重(Binchou)でフィリップスを囲んで食事。参加者は、バール・フィリップス、川崎義博、杉山知子、下田展久、森信子。

1998年

1月17日 神戸とマルセイユで同じ日の一日を使い切りカメラで撮影し、交換するプロジェクトPhoto Projet、第二回の撮影日。
1月18日 フランスでの初めての交換展覧 (マルセイユ)
神戸から送られたものを中心に構成する展覧が、マルセイユで初めて開催される。会場はオリビエ・ウーアのスタジオ。
この展覧に際し、神戸市長からマルセイユ市長にあてた親書が送られた。マルセイユ市の文化担当職員、マルセイユの日本総領事館副総領事らも訪れた。また、神戸市の委託でマルセイユの姉妹都市駐在連絡員を勤める大越氏が、領事館やマルセイユ市の活動を要請するため、奔走して下さった。

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