Cの日常
 緊張しなくちゃいけないと判っている。
 だけど。
 新しい、借り着じゃない正装姿と、行き交う可愛いバレリーナを眺めていれば、どうやっても顔は笑ってくるものだって。

「イガ、いいとこであったな。
 ちょっと、こっちこいや」
 いいところもなにも、ここはフジミの控え室前なんだから、会わないほうがおかしいと、可愛い反論も許してくれない、怖い『後輩』は、どうしてだか場違いなチェリスト会議を開いていた。
「イガ、俺たちもな、殿下に誘われて、もう1年だ。早いもんだなぁ」
 それこそ、場違いな懐古話だった。
 話は見えないまでも、それは事実なんで、素直に頷いておく。理由は、きっとそのうち、判るだろう。
「いい加減、俺たちもフジミの一員になったと思う。そう思うだろ?」
 確かに、『M響からのゲスト』でなくなって、たまたま本業がM響の、フジミのチェリストになった。
 けどっ、それがっ、いまっ、この状況でっ、何の関係があるんっすか?
「そこでだ、誰が首席チェロに相応しいか、見直そうと決めたんだな、これが」
 ・・・・・・・・・・・はぁ?
 いつ、誰が、どこで、なにを、どうしたって?
 しょうがないヤツだとばかりに、飯田さんが、
「チェロは全部で何人だ」
「・・・・・・5人っす、はい」
「フジミは民主主義だな」
 先が見えてきたような気もする話に、こくりと頷く。
「4人の賛成は、多数決も過半数もクリアだな、イガ」
 と、ここで、延原さんが乱入。
「そこで、いつぞやのコンマス選挙に倣って――」
「ええっ。コンクールっすか?」

 しんっとしてしまったのは、俺のコンクール発言の所為らしかったが、どうしてなんだ。
「五十嵐くん?本当にそれでいいの?勝てると思うの?」
 俺よりも、ずいぶん年上のはずの三重野さんが、可愛らしく訊ねる。
 はい、皆様。天下のM響です。それに比べて、俺はただの音大生っす。まともにいっては、勝てません。
 それが現実でも、素直に認めちゃ、イガちゃんじゃないっすよ?
「ああっと、若さと将来性なら、勝てると思いますです」
 身構えた、ンだけど、プロの音楽家とはどういうものか、忘れてた。フジミの女の人なら手が出るんだろうけど、流石はプロ。足が出る。しかも、わざわざ踵でグリグリしなくっても、俺、靴まで新品っすよ?
「おまえねぇ、コンマスならともかく、いったい何を考えてるんだ」
「倣うなら、それ以外になにがあるんっすか」
「イガにも勝てる見込みの勝負に決めてやった俺たちに、喧嘩をうるたぁ、いい度胸だ」
「ンで、なんで首席を決めるんっすか」
 やばくなったら、無理矢理にでも話題を変える。そうでもしなくちゃ延々に遊ばれる。1年で学習したっすよ。俺だって。
「決まってるんだろ?
 首席チェロを決めるんだ、ジャンケン以外になにがある」
 じゃんけん?
 ナンナンッスカ、ソレ?


 どこかで、世界の常識が変わったんだろうか、ついていけない。



 真っ白になった頭を立て直して、これは飯田さんのお遊びで、笑えない冗談に決まってる。
 それを証拠に、三重野さんのブーイング。うん、うん、当たり前だよな。
「だからぁ、ジャンケンって苦手だっていってるでしょ」
「あっち向いてホイ、なら得意。そっちにしましょうよ」
「あっ、それいい。あたしも、勝てないまでも、負けないわ。ねぇ、それじゃダメ?」
「じゃ、よりエンターティナーに、ピコピコハンマーとヘルメット。これで決まりっ」
 三重野さんと前畑さんが勝手に決めるのは、あれだ。
 ジャンケンで勝ったほうがハンマーで、負けたほうはヘルメットで攻防する。
 三重野さんがいうように、ジャンケンで負けても、防御しつづければ勝負には負けない。時には、パニックを起こした勝ったほうが、防御に走る場合もある。その場合、ジャンケンに勝ったほうが敗者。
 確かに、ただのジャンケン大会よりも盛り上がるとは思うっすけど。でも、首席チェロを決めるんっすよね?
 今日の打ち上げの余興じゃないですよ?
 それに、いいんですか?
 白熱すれば、怪我する率は、ただのジャンケンよりも高いですよ?
「もぉー。イガちゃんってば、怪我しない自信があるから、提案するのよ?」
 って、頭のなか、読んでませんかっ?



 その場のノリだけのムチャな前畑さんの提案にも、飯田さん、ふむと考えて。
「仕方がないな、女性を尊重するのはポリシーだ。
 イガ、文句ないな」
 って、アリ、オオアリっ。
 いったい、なんで、神聖な首席の座をジャンケン如きで、しかもピコピコハンマーなんつーもんで決めなきゃなんないんっすか。
 俺の呟きは、延原さんに聞こえたらしい。
「チェロのデントーだろーによ」
「ンな伝統あるわけないっす」
 俺の否定は後輩チェリストたちに衝撃を与えた。
 って、普通常識で考えて、んな伝統あるわけないでしょーが。なに、考えてるんっすか。
「じゃ、おまえんときはどうやって決めたんだ?」 
 俺ンときはって、言われて、思い出す。


 えっと、確か、あれは。
 かれこれ、2年も前の話になるのか、早いもんだな。


 決めたもなにも、誰もいなかったから、自動的、強制的ともいえたなアレは。
「守村先輩にキャッチセールスよろしく勧誘されたんすよ。
 チェロが欠員だって、その場で入団届けを毟り取られて、入団と同時に首席。今に至る」
「ええっ。羨ましいっ。あたし、守村さんに勧誘されたら、その場で入団届けでも婚姻届にでもハン押しちゃうわ」
「つまりは、おまえは、不純な動機で入団したわけだな、情けない」
 前畑さんの意外なミーハーぶりを前にして言われると、しかも相当な問題発言だよな。心の底から否定しなくちゃいけない気にさせるのは、何故なんだろう。
「勧誘っす。かんゆー。見学しただけで、入団届けを書かされたんです、田代さんたちにっ」
 トランペット3人娘に囲まれて、無傷で脱出できる自信、飯田さんならあるんすっか?
 どーせ、訴えても、キャリアが違うぜ。とか、嘯かれるって判ってるすよ。
 飯田さんから見れば、俺は、まだまだ、お子様っす。


 だいたい、守村先輩に、申し訳なさそうに、いいかな?なんて、いわれて・・・・・・断れる人間がいるって言うなら、連れてきてください。
 ン、あれ?違ったか?
 や?違うか?
 結局、あの時は、守村先輩のバイオリンに惚れて、フジミに居ついたんだっけ?
 まぁ、いいか。それをいったら、なにが返ってくるか判らんし。
「結局、不純な動機じゃないか」
「不純、だったら、こんな役にも立たない服を買うとでも」
 4人にまじまじと舐めるように観察されて。
「レンタルにしちゃ、綺麗過ぎると思ったぜ」
「どーしたの?成人式?」
「ソロもないのに、・・・・・・あっ、結婚式でもあったのね」
「・・・・・・・おまえ、着られてるぞ」
 言いたい放題言われて、誰かひとりくらい「似合う」の一言いってくれ、るわけ、ないよな。
「卒業、・・・・でもないな。年あわねぇーぞ。成人式でもないのに、なんでンなもの買い込んだ」
 あの、皆様、もしやお忘れではないでしょうか?
 俺、音楽家の卵で、世界に羽ばたく(予定の)オーケストラの団員で、つまり、これは。
「願掛けっす」
 どよめきを、カルテットでハモられる俺の立場って・・・・・
「願掛けって、プロになる為のか?――――もしや、卒業できるようにとかいうなよ?」
「違います。
 フジミを、これを買っても、元を取れるほど定演をこなすオーケストラにするっていう壮大な野望のっす」
「オトコノコねぇ」
 前畑さんは、呆れてるのかなんなのか、感動じゃないことは確かだ。
「まぁ、イガ。おまえの夢と野望は判った。が、今のままじゃ服が歩いてるようなもんだ」
「新品なんっすから、しょうがないでしょーが。
 飯田さんたちみたいに、毎週着てるってわけじゃないんっすよ、こっちは」
「甘いな、イガ」
 まずいっすよ。飯田さん。目が据わってきてる。
「おまえは服に着られてるんだ。今のおまえたちは主従関係が逆転してるんだ」
「あー、そーそー、そーともいうね」
 延原さんっ。呑気に同意してないで、責任もって止めてくださいよぉ。
「そこで、だ。
 服に着られない為の極意を伝授してやろう」
 返事をしたくない俺の沈黙を、教えを請う為の礼儀と勝手に信じ込んで。
「ことは簡単だ。今晩そのまま寝ちまいな」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・


 あの、いいださん?
 あまりにシンプルすぎて、かえって怖い。
 飯田さんのことだから、今時3つの子供でも信じるかって、怪しげな呪文やら踊りが出てくると思ったのに、なんなんっすか、それ。
「これはなぁ、どんな服にも通用する優れもんだ」
「でもそれ、一人暮らしでもないと不信がられる話よ?」
「寝苦しそうね、それ」
 前畑さん、三重野さん。問題にして欲しいのは、そこじゃないです。
「皺になっちゃうけど?」
 だーかーらー。お願いしますよぉ。
「なったら、クリーニングに出せ。
 どうせクリーニングには出すんだ、ついでの作業でイガの問題も解決すれば、一挙両得、一石二鳥の妙案だ」
 確かに、今晩着れば、クリーニングには出しますけどね。それで、なんの問題が解決するんすか?
「いいか。それが、滅多に着ない正装だと思うから気後れするんだ。
 しかしだ、発想を変えろ。寝るときに着るものは、どんな服でも寝巻きだ。最高級シルクのパジャマも、安売りお買い得見切り品でも、所詮、寝巻きは寝巻き。
 故に、そいつの服としての品位を貶め、どちらが真の主か、ソノミニ、オモイシラセルノダ。」
目が、目が、笑ってる。
「どんな高級品といえども寝巻きに負けるようじゃ、・・・・・・・人生終わりだな」
 やってもない勝負の結果に、憐れまないでくださいっ。


 うっ、うっ。
 そんなこじつけってありっすか?。
 きっと、いってることは、正論っすよ?
 でも、そのために布団に入るって間抜けさに勝てればです。
「試しに今晩、それを着て寝ろ」
 これは、提案の形をとった命令ってヤツなんだろう。やんなかったら、服の代わりに、俺がボロボロにされるんだろうと思うと・・・・

 そんな俺たちを知っているのかいないのか、コン・マスがバイオリン片手にやってきた。
「そろそろオケボックスのほうへお願いしまーす。すみませーん」
 ソロもあるのに、コンマス稼業もこなさなきゃならない守村さんを大変だなと見送っていて、同じく見送っていたチェリストたちの声にずっこけた。
「と、言うわけで、イガちゃーんっ。首席チェロ最後のステージを悔いなく務めてちょーだい」
 高笑いまで聞こえてきそうな延原さんの隣では、案外ミーハーだったらしいことが発覚したおふたりが。
「コンマスって、やっぱり、いいわよねぇ」
「繊細で、でも、それだけじゃないのよねぇ。今日なんか、ソロだけを楽しみにやってきたのよ」
 うっとりと見送っているおふたりは、とてもじゃないが、M響チェリストの面影はない。いや、本番前にして、この余裕は、M響チェリストだからこそなのか?
「ツィガーヌ、聴きにいったんでしょ、どうだったのよ」
 とは、日コンの二次予選のこと。
「やっぱり、コンマスが一番よ、あとは問題外。
 下は、14。論外。上は、20、かな。やっぱりねぇ、三重野にはともかく、子供はちょっとでしょ」
「失礼ねっ、あたしだって、ぎりぎりよっ。
 ああっ、もぉいいわっ。本選までにオペラグラスとビデオ、新調するわっ」
 地団駄を踏んで、本当に悔しがってる三重野さんを初めて見たわけで。
 で、その理由ってのが、守村さんのあのツィガーヌを聞き損ねた事じゃなくって、晴れ姿を見損ねたってことで。それに気付いた時には、ふたりはオケボックスに向かう後姿。
「おい、早くしろ。首席チェロが遅刻じゃ示しがつかないだろうが」
 と、飯田さんもオケボックスに向かいかけ、思い出したように振り向いて。
「ああ、そうだ。一番人気は、おまえの右隣だ」
 呆然とふたりを見送っていた俺に、飯田さんは、極常識的なことと極非常識ことをさらっといった。
 俺の右隣ってことは、ってことは、誰も首席チェロになんかなりたくないってことじゃないっすか。
 今、現在、俺の右隣は『優しい』飯田さんだ。ようは、『首席チェロ』争奪戦じゃなくって、『五十嵐健人の隣』争奪戦なんなんすっか?



 クスクスと笑い声が聞こえてくる。
 幻聴だろうか、やっぱり、チェロよねぇ。なんていう好意的とは思いにくい声が聞こえる。
 俺、知ってんすよ?フジミの中でチェロがイロモノパート呼ばわりされてんの。でも、でも、それのほぼ全部が、飯田さんと延原さんの所為だってことも事実なんすっよ。
「五十嵐くん、時間、時間だよ。早く移動して」
 どうやらひと回りしてきたらしい守村さんが天使に見えた。
 守村さん、どうか、飯田さんたちの口車に乗って、首席チェロの交代話を受けないでください。俺、オモチャにされたくないっす。
 お願いしますよ、守村せんぱぁーい。
「チェリストたるもの 本番前の緊張を和らげる為に努力しないでどうする」
「うーん、そうよね。フジミでは唯一専門家で固めたパートですからね。
 余裕ある振りして、他のみなさまの緊張をそぐのもフジミへの貢献のひとつの形ですよね」
「でもね、イガちゃん、からかって遊んでるようにしか見えないのよねェ。日頃の行いって大事よね?」
「あいつも、明日のフジミをしょって立つ立場にいるんだ、これくらいは働くべきだ」
「いじめて遊んでない?理由なんか、後付けでしょ?」
「あのちっこいのたちにやったら、そりゃそうだろうな。イガの場合、愛のムチだ」
「イガちゃんって、飯田さんにものすごぉく、愛されてるのねぇ、かわいそ」



なんていう会話を交わしながら、M響チェリストたちは、ステージに向かっている。
彼らのフジミでの合言葉は、「愛があれば、全て(イガちゃんいじめ)は許される」

この話も、かなり昔に書いたやつ。

時期は、「パ・ド・ドゥ」の公演時です。
このときの団員さんのドレスコードが不明です。
根本的に、オケボックスってなに?状態なんです。  あ、ははは。
そういうことで、こまかいことは、気にしないでください。
って、そればっかりです。
いい加減、物事を調べて書く。ということを覚えたいです。
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