あたらしい日々


 動機は、なんのことはない。
 あの、桐院が、べた惚れするバイオリニスト、あるいは、人間を見てみたい。それだけの紛れも無い好奇心だった。

 奴に再会する切っ掛けは、日本語が話せる人間を探しての、さすがに、偶然だろう。サムソンが世界をまたにかけようと、日本語が話せるやつは限られている。おそらく、当然の顔をしてごり押しした結果ででも手にいれたに違いない日本人スタッフのリストに見知った名前を見つけた音信不通の昔なじみ殿は、わざわざ、ロサンジェルスオフィスにまで押しかけてきやがった。
 当時の俺に拒否権はない。
 あいつの押しの強さと、所詮、サラリーを受け取る立場の弱さだ。あっさりと本社に売られ、マエストロ専属状態だ。英語での交渉を問題なくこなせるやつが、日本人を捜し出す理由があるだろうか。聞けば、今度のオファーで重要な役目があるとのこと。それが、こいつのこだわるコンマスとの契約ってんだから、変わったな。


 くだんのバイオリニストは、サムソンのエージェントとしてイタリアであったときの印象は、おとなしそうでいて、意外な気の強さ。それでも、それ相当の個性と能力がなければ、歯牙にも引っ掻けない桐院のやつがどうしてほれ込むのか、皆目分からない。なにしろ、バイオリニストとしての経歴は2つのコンクールの入賞経験と、生島高嶺のライブCDくらいか。それで俺に判断しろって、そりゃ無理ってもんだ。



 一週間ばかりになったブリリアントオケの合宿で見せたのは、仕切りの能力と見た目を裏切る行動力。あれが桐院の望んだコンマス像とは、クラシックもなかなか奥が深い。
 もともとサムソンとはいえ、クラシックが専門じゃないんだ、俺は。
 面白そうだと乗ったあいつのマネジャーの話も、すぐに彼の業務も兼任することになったが、仕事らしい仕事もない。もっとも、世界のマエストロがほれ込むバイオリニストなんだ、今はまだってところだろう。





「くれぐれも、発言には気をつけるように」
 目の前のドアを睨みつけながら、俺には視線一つ向けずに真面目にいう。
 これから向かう先が難癖つけるサムソンとの交渉の場ならまだしも、マネジャーとの交流を深める為の飲み会。しかし、こいつがべた惚れしてる相手と三人なら、発言の内容も察しがつくってもんだ。
「過去のあやまちを話すなってことか」
「きみの知っている「あやまち」など、今更です」
 すましていうが、おい。
 おまえ、どんな人生をおくってきたんだ?
「僕らとは違って、悠季はピュアなひとなんです」
「らって、おい、俺もひとくくりかよ」
 当然でしょう。ってのは、どういうことだ?


 初めての懇親会はどこかの店かと思えば、こいつの家。悠季がぜひにと、顔には出さないが非常に嫌そうに誘った。
 帰宅を知らせる呼び鈴を鳴らし、ドアを開ける前に忠告。時にあれこれとばらしてやろうかと衝動に駆られなくもない俺に、先手を打ってきたんだろう。
 が、俺とこいつは、ある種の幼なじみってやつである。結果、俺が握っているのと同じだけあいつも俺の弱みを握っているのだ。わざわざ、クギをささなくてもいえるわけがない。
 釘を刺したんでもういいだろうに、一向に動こうとしない。玄関先で立ってても何もならないぞ?
 ドア越しに軽い足音。開けられるドア、いらっしゃいと出迎えたのは、くだんのこいつのべた惚れの恋人。・・・・・まさか、おまえ、それを待っていたのか? ドアのひとつも自分で開けない、どこのおぼっちゃまだ。


 ただいまかえりました。
 おかえり。
 微笑ましいやり取り。桐院の四角四面は、変わらずか。


 と、挨拶だけではすまなかった。ヤツは守村さんを捕まえ、素早くもうひとつの挨拶を交わした。いや、分かってたさ。こいつらは恋人だよ。そうだよ。遠距離恋愛か単身赴任が終わったばかりだ、反動が激しいんだ、たかがキスなんぞ、挨拶代わりだ。たじろぐな、アメリカ帰りの余裕を見せろ、俺。
 っつか、客のまえだ。おまえは行動を気にしろ。


 あのあと。
 桐院のばかに流されて客を忘れていた守村さんも俺の存在を思い出してからは、玄関先に可哀想なくらいに気まずい空気が流れた。出来るならこのまま逃げ出したいのが見え見えでも、わざわざ呼びつけた客の前ではそうもいかない。
 俺にできることといえば、そんなことはなにもなかったと見なかったふり、なかったふりくらいだ。


 酒だつまみだと準備されていたのは、台所・・・・・・小さいながらも、男ふたり、別の言い方をすれば、新婚には十分なテーブルがあるんだが、所詮、台所・・・・・・
 この家には食堂があるはずなんだが、なぜ、台所?
 説明を求めてその相方を見れば。
 桐院は、肩をすくめただけで説明するきはないらしい。
 真意は謎のままだが、それが、フレンドリーさと思うことにした。
 俺が、彼について知ってることといえば、公的にはマエストロ桐院のべた惚れしているバイオリニスト、私的には桐院のべた惚れしてる恋人だってことだ。
 向こうも似たようなもの。だから、親睦を深めるためと席を設けたんだ。きっと、終わるころには、そう、台所の真意も分かるってもんさ。


 どうやら高校からの付き合いだと思っている彼に、それ以前からだといえば、驚いていた。
「へー、幼稚園から一緒なんだ」
 正しくは、幼等部という。
 かれこれ14年の付き合いだが、この数か月のほうが付き合いとしては濃い。
「いわゆる、幼なじみといってもかまわないと思います」
「じゃ、じゃ、」
 期待に輝かせた目で迫ってこられ、別の方向からの視線が痛い。
「圭の幼稚園カバンさげて、ですます。を知ってるんだ」
「まだ、こだわってるんですか。仕方ないですねぇ」
 ってのは、桐院。おまえだっ。
 口では困った人ですね、とか言っておきながら、本音は可愛くって仕方がないんだろっ。
「えー、だって、可愛いくない?」
 それには、あえて反論はない。
 想像するだけなら可愛いだろう。いま思い出せば、それなりに可愛げがあるかもしれない、が、ガキの時に見れば小生意気以外の何物でもない。
 変な子供と思われなかったのは、うちの学院の特異性、というより、こいつの特異性だった。
 ねえ、どうだった? と、年上とは思えない、当人は知らないままで終わったらしいブリリアントでの評判通り好奇心旺盛な子供のように迫ってくる。
「守村さん、あいにくですが、その手の話題はノーコメントを通させてもらいます」
 いまここでのコメントは先にクギをさされた配慮するべき発言だろ。あいつの睨みをみるかぎり。
「どうして。そういう話を聞けると思ってたのに」
「幼なじみ、なんですよ?」
「だから、知ってるんじゃない?」
「だから。いいですか?俺が知っている以上、こいつも知っているんですよ?
 もし仮に、こいつに黙ってリークしたとしましょう。守村さん、隠し通すことはできますか?」
「できない」
 と、考えもせずに即答する。
「報復で、こっちもリークされるんです」
「―――― あー、だね」
 
素直に納得してくれた彼に、幼なじみの関係になのか、こいつの報復方法としてなのか、どっちが思い当たる節なのか、と、尋ねてみたい。
「じゃ、宅島くんから聞くのは諦める。
 あっ、でも、今のことは、いいんだろ?」
 とは、桐院へ。
 やっぱり、こいつの行動なのか?
 しかし、やつも俺と同じく意味を掴みかねている。
「きみが出稼ぎ先でやらかしたことまで、箝口令をひかせてないよね?」
「むろんです。
 なにに箝口令をひくと?」
 しらじらしい。
 子供じみたわがままをいうのは、誰だ。
 それだけでも、箝口令の対象には十分だろ。
 その証拠に、彼も桐院を取り合わずにいる。
「ほんとに、宅島くんも、後悔してない?」
 後悔してないと言えば、嘘になる。しかし、雇い主の利益の為に働くのはおもしろい。ついこの間までとは正反対の陣営の利益を守るのだ。
「まぁ、場所を問わずに寝るには、驚きましたけどね。
 考えてみれば、ブリリアントのアレを不審に思うべきでした。学生の時だって酒を飲んで酔った姿自体みたことなかったって事実を深く考えるべきでしたよ」
「あ、あれ。
 コンサートのあとだったからねぇ」
 合宿の諸々のトラブルを乗り越えたCM撮りのためのコンサートの打ち上げ、羽目を外したバカ、いやいや、出演者たちに紛れて熟睡していた桐院。酒に弱くなるにも程がある。
 と、思っていたその数ヵ月後。
 同じ姿を、アルコール抜きの場所で拝むことになった。
「最初にみた時には、驚きました。
 今日はこれから打ち上げだろうって、殴っても起きないんだから、参りましたよ。
 契約書の意味不明の項目に納得がいっても、今更遅いんですけどね」
 コンサート後のフォロー。
 まさか、そのフォローってのが、楽屋に押し寄せるファンの整理じゃなく、爆睡する巨体のホテルまでの運搬係とは思いもしなかった。
「そう、だね。
 僕だって酔った圭なんてみたこと、ないよ。
 え ・・・・・・ あれ?」
「なにか、変なこといいました」
 守村さんの反応からより、桐院が無表情に睨んでるからだ。
「宅島くんって、大学、持ち上がりなんだよね、確か」
「ええ。だから、外部受験したこいつとは、それ以来なんですけど」
「えっとぉ、そうすると。
 高校、までってことだよね?」
「高等部、までですね」
「それで、どうして、酒を呑んでるの?
 そーだよ。なんで日本に呑み友達がいるんだよ?」
 後半は、桐院に向けて、だ。
「・・・・・・・・・ なんでって、守村さん、どこがおかしいんです?」
「おかしいって、高校生だよ? どこで呑めるんだよ」
 どこって?
 どこででも呑めるだろう。
 それなのに どことなく、否定的なのは、なぜなんだ?
 困って、桐院に助けを求める。
「悠季、こういう言い方は非常にいやなのですが、きみの育った環境とは違い過ぎるのです。
 この男は、中学3年生で盛り場デビューをして、小等部から続けていたサッカー部をクビになった男です」
 そういわれていたのは知ってるが、あくまでも噂であることまでいって欲しい。ああ、この顔は本気にしてるぞ。
 それになんでだ? 俺ひとりの話にされてるが、おまえも当事者なんだろ。
「ああ、ところで」
 と、なぜか、桐院のヤツは俺に問いかけた。
「きみは、いまだに30女が好みなのですか?」
 いまだに? 30女?
 はぁ?  なんのことだ?

 考え込んで、今このときに、持ち出すってことは、当然、何かしらの交渉カードってことで、なにかあったか?

 思い出した、そういえば、そんなこともあったな。
 昔の話だ。当時付き合っていた相手と引き合わせたこともあった。しかし、おまえ、好みもなにも、あの年齢で遊ぶ相手なら、それくらいが妥当だろ?


 つまりだ。こいつは、もう一度警告してるってわけだ。余計なことをいうな、と。
 どうせ刺し違えるならこいつの過去を暴露してやろうにも、問題児だったわりにこれといってないんだ。どうしたって俺のほうが不利だ。
 どう、理解したのか。
 彼は。
「分かったよ、宅島くん。
 きみが教えてくれる以上のことは、聞かないよ」
 あれが、桐院の報復だと思ったらしい。



















 最初の懇親会から数ヶ月、何度かあれこれ酒やらお茶やらと懇親を深めつつある今日この頃。
 いつものごとく、突然かかってきた電話。
 いきなりの航空券の手配、これはまぁいい。それが仕事だ。
 しかし、ドタキャンのパーティーのフォローについては、行きだけとはいえ、不機嫌な桐院を守村さんに押し付けられたことを差し引いても、しっかりと取立てをしておかないと気がすまない。
 予想通り空港で落ち合った桐院は、普段とは打って変わってすでにご機嫌モード。分かってたこととはいえ、おまえなぁ?
 おかげで、取立てに罪悪感のひとつも沸きやしない。


 空港で直接落ち合った彼は朝の挨拶と労いを忘れない。挨拶もそこそこ、彼の前でわざとらしくあくびを披露する。
「ども。あーねむ」
「朝早かったもんね」
「いや、彼女が」
 そこで意味深に笑うことを忘れない。
「あ、そ」
 かすかに赤くなりながら、気まずく、ごまかして、逃げた。

 夜の生活をそれとなく、と取れなくもないような曖昧なほのめかし。
 最後まで聞くまでもなく逃げたってことは、守村さんがこの手の話が苦手との読みは正しかったってわけだ。
 隣で睨んでいる桐院が、慎ましく睨むだけで済ましているのは、俺がなにをいったわけじゃないからだ。



 桐院の突然の要求に振り回されて、大事な記念日をすっぽかした。
 彼女が、わたしと仕事、どっちが大事なの。これが会社勤めならまだしも、個人に雇われている故の邪推が少々入り混じっている。
 朝が早いと知っていながら、散々、わめき散らかされた。今日のうちに宥めないと、帰国後、部屋には彼女はいない。 



 最後まで聞かないで、ひとりで納得したのは、守村さんのほうだ。
 それを分かっているから、桐院のヤツもなにもいえないでいる。
 まぁ、このくらいの意趣返しくらいさせやがれ。





 タイトルがつかなくって、長らく放置。
 その間に、最後が、一応オチが追加されたのは
 良いことか悪いことか、どっちだろう。


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