弘法大師七歳のとき、471メートルのわい濃山の頂きに登り「仏門に入
り、多くの人を衆生を救わんとするわが願い、成就するものならば霊験を、さもなくば、賭したこの身を諸仏に
奉げると念じて裁りたつ断崖から身を投げた。すると、落下する大師の下方に紫雲がたなびき、蓮華の花に
座した釈迦如来が出現「一生成仏」の宣を授け、大師の願いは叶えられたという。そこで大師は、出現した
釈迦如来の尊像を刻んで本尊とし、出釈迦寺と命名の寺をその麓に創建すると共に、得た霊験から山号を
我拝師山と改称せられた。 奥の院遥拝所にある石碑には、釈迦如来と天女の姿と捨て身の大師の図が刻
まれている。山門を入ると、正面の小高いところに本堂があり、その右隣に大師堂と庫裡がある。本堂左手の
石段を少し上ると虚空蔵堂がある。