穴吹町役場に問い合わせをした所、産業課の方が丁寧にご返答いただきました。
ありがとうございました。

  取首大師絵堂

 半平山の東中腹、標高730メートル、半平の在所から約1キロメートルほど上がったところに取首大師絵堂がある。天保12年(1841)半平名の緒方剛四郎が大願主となり、ここに大師堂を建立した。その時の位置は、現在の前方新四国15番札所のあたりにあったそうである。
 今その前方に苔むした石造りの手洗鉢があって、この石に天保12年と刻まれている。大師堂はその後、暴風雨のため破損したので、現在置に変更したということである。堂の付近は相当広い平坦地で庭には庵があり、大きな銀杏の木や、大きな若葉の木、それに大杉がある。
  景色も良いところで、ここで毎年旧7月26日の夜、回り踊りが行われた。この踊りは「月見踊り」と呼ばれ、この日は夜店もたち、半平・杖立などから大勢の村人が参加して、終夜踊り続けたということである。
 この踊りも昭和12年を最期に中止となった。その後、終戦後に一回行われたが、人口の減少とともに現在では止まっている。また、春3月の弘法大師の縁日には参拝者が相当多かったとういことである。
 取首という地名については、ここには七人塚と刻まれた石碑があり、昔、武士が七人の盗人を追跡して、ここで倒したという伝説にちなんだものといわれる。
 以上の内容は、「穴吹町誌」より抜粋したものであります。