SASOONスタイル>

★名作編

<クラシックボブ>
サスーンの名を世に知らしめた記念すべき最初のジオメトリックカットこの作品で一躍名をあげたサスーンは、ロンドン→イギリス→アメリカとSTEPUPしていった。養成機関であるサスーンアカデミーにおいて生徒たちが最初に習うスタイルでもある。モデルは当時の有名女優であるナンシー・クワン、彼女がチェスに熱中している間に作ったらしい。同様のスタイルを、マリー・クワント(パリのファッションデザイナー・ミニスカートを作り出した)、、エマニュエル・カーン(ファッションデザイナー)のためにも作った。グラデーション・ボブ(1963年作)
<ファイブ・ポイントカット>
星条旗pentagramがモチーフとなり、大小5つのトライアングル(鋭角にカットされた箇所)から構成されたヘア・カットとして、そのままファイブ・ポイントカットの名前がついたスタイル。サスーン自ら、「指でかきあげても、すぐ元にもどり余分な部分がどこにもない完璧なジオメトリックカットで、これ以上のものはできない」と語るまでの作品。世界のヘアモード界を一変させた画期的作品であり、彼の最大のヒット作。名声を不動なものとした、「ザ・カット」と称される(1964年作)
<ザ・ジオメトリツク>
当時のぎこちなく・不自然なヘアスタイルを嫌っていたサスーンは、アールデコの建築や衣装から影響を受け、頭部や顔の骨格を日々研究しながら、ジオメトリックカットを完成していった。地肌の上に髪をとき下ろし、左手を定規のように使い、幾何学的に立体裁断するのがジオメトリックカットのコンセプト。ジオメトリックカットの体系化により、スタイルの再現性が飛躍的に高まり、面倒なスタイリングから女性たちを解放していった。この作品はアメリカに進出しニューヨークにサロンをオープンした記念に作った作品。サイドのラインが素晴らしい(1965年作)
<Aラインボブ>
サスーンのガールフレンドをモデルとして、ファッションショーのために作ったスタイル。サスーン特有の風に吹かれても、動いたり走ったりしても髪が揺れ動き、形が崩れない再現性のあるスタイル。サイドが長く後ろが短い。サスーンカットの象徴。ちなみに、この年に、念願であったヘアデザイナーのための学校(=サスーンアカデミー)を設立している。(1966年作)
<グリーク・ゴデス>
GREEK DODDESS=ギリシャの女神。ジオメトリックカットが基調となっている短めのカーリーヘアー。洗った後、そのままスタイルとなるので爆発的な人気を呼んだ名作である。土日の二日間、サロンにこもりっぱなしで寝る間も惜しんで実験を繰り返した結果できあがったスタイル。パーマの後にセットで形作るという当時の常識を覆し、世界中に衝撃を与えた。(1967年)
<イサドラ>
Aラインボブとは対照的にサイドが短く、後ろにいくに連れ長くなるスタイル。サスーン版ページボーイと呼べる作品。たまたま誰かがウイッグの上下を逆にかぶせたところからヒントを得て、できあがったそうだ。サロンのスタイリスト昇格試験のひとつとなったが、カットラインを完璧にだすのは非常に難しくテスト生泣かせだったという。トップレベルの技術者にさえ再現困難だったスタイル(1969年、ロジャー・トンプソン作)
<ヴェール>
VEIL=女性の顔や頭を覆う薄い布やネット。生え際の長さをそのまま残し、トップにハイレイヤーを入れることにより、文字通り、ベールのような効果を出したスタイル。残った生え際の長さを短くして、アレンジしたスタイルがサロンでは人気となった。今流行りのウルフカットの原型となったスタイル(1970年、ロジャー・トンプソン作)
<ヘイロー>
<ファイアーフライ>
<ボックス・ボブ>
サスーンにおける日本人第一人者、川島文夫氏(5年間にわたりサスーンに従事し、ヨーロッパ全体の責任をもつヨーロピアン・アーティスティック・ディレクター[技術主任]まで登りつめたカリスマ中のカリスマ。クリスチャン・ディオール、マリー・クワントのヘアも担当した。帰国後、表参道にpeek-a-booをオープンさせた)による作品。文字どおり箱型のボブで、切り揃えられた前髪が印象的である。オリエントなムードが当時のロンドンの流行にマッチした。(1976年作)


★他の作品(準備中)