※タイトルは坂本真綾さんの曲です。

blind summer fish 1


 その村はまさに、田舎というものを絵に描いたらこんな感じだろう、という風景そのものだった。無人の駅からゆったりと曲がりくねった土のままの道。なだらかにうねる丘。ゆるやかに流れる川。
 イーストシティから長いあいだ電車にゆられて、小さなホームに降り立ったロイは、辺りを見回してそんな感想を抱いた。
 ホーエンハイムの息子たちからロイの元に手紙が届いたのは、三日ほど前のことだった。軍も居所を探していた優秀な錬金術師の血縁からいったい何が、と興味を覚えて封を開けてみれば、中身は想像とはまったく違ったもので、ロイははたしてどうしたらよいものかとしばし迷った。手紙の字は明らかに大人の字であったから、母を亡くした兄弟の面倒を見ている者がいるのはわかる。手紙の最後に、まだうまくペンを持てないこどもの字で、「エドワード、アルフォンス」と書いてあった。行方不明の父に母の死を知らせる、そのことがどれだけこどもたちにとって辛いことであるか。せめて面倒を見ている者が兄弟に優しくしてくれていたらいいのだが、と心中で呟いてから、自分には関係ないことだと思いなおした。
 ロイにはホーエンハイムとの面識は一切ない。軍部としては確かにホーエンハイムの居所をつかんでおきたかったしロイ個人としての興味もあったが、こうやっておそらく手当たり次第に出しているだろう息子たちの行動を見るに、彼らも全く心当たりがないのだろう。何のつてにもなるまい、とロイはその手紙をゴミ箱に捨てかけたが、目の端に飛び込んできた錬成陣を見て、その手をとめた。
「これは……」
 厳密には錬成陣ではない。その陣を描いても青白い光は出ないし、何物も変換することはない。正式な名称は誰もわからないし、その目的も不明だが、その陣を知る者からは「幸福の陣」と呼ばれている。
 しかし、元々幸福の陣を知っている者自体、限りなく少ない。おそらく一般の者は知らないだろうし、錬金術師であってもその割合にさして変動はないだろう。0.1パーセントが1パーセントになるかならないかくらいの違いだ。ロイが知っていたのは、たまたま古い文献を紐解いたときに、目次より前のページにさわりとして描かれていたからだ。それを、このこどもたちはこの手紙に描いている。
 ホーエンハイムが幼いこどもに教えたのか、それともこどもたちが古い文献を読んだのか。
 たどたどしい署名の割りには錬成陣にゆがみは少ない。
 興味を覚えた。ホーエンハイムの血を引くこどもたち。錬金術においての可能性を秘めているこどもたち。
 アメストリス国軍中佐としてではなく、錬金術師として純粋にロイは彼らに会ってみたいと思った。
「ホークアイ少尉、一週間後の休みを前倒しして、明日から取ってもいいかね?」
 ちょうど部屋に入って来た部下に聞くと、彼女は顔色も変えずに「無理です」と言った。
「今週中に決裁していただかなくてはならない案件が二つ残っています。決裁に必要な情報はそちらに積み上げている分と、あとはここに」
 彼女が掲げた書類の束を見て、ロイはげんなりと肩を落とした。とても今日明日に終わりそうにない。
「先ほどのお手紙に何か問題でもありましたか」
 聡い彼女は休みの要求とロイの手元にある手紙を即座に結びつけた。
「いや、問題というほどのものではないのだがね。少々気になる人物のこどもたちからの手紙なんだ。手紙を見て、実際に彼らに会ってみたくなった」
「中佐が直にお会いにならないといけないのですか?」
「何せ相手は五歳のこどもだからね。ああ、兄の方が五歳とあったから、弟は同じ年かそれ以下だろう。さすがにそんなこどもをイーストシティまで呼ぶわけにもいかない」
 こちらから出向いた方が断然早い、と残念そうなロイに多少は心を動かされたのか、ホークアイは机に積んだばかりの書類の山をちらっと見て、小さなため息を吐いた。
「わかりました。それではこうしましょう。ブレダ准尉に手伝ってもらって、こちらの案件については明日までに資料の分析を済ませておきます。ですから中佐は今おやりになっている案件を片付けて、明日こちらの件に決裁の印をください」
「君達で出来る分析がどうして私のところに回ってくるのかね」
「それは、ブレダ准尉が四日間連続の長時間残業で死に体になっているのと、中佐がサボって今朝慌てて出された書類の確認を私がやっているからです」
 他に部下がいないわけではないが、少々高度な数学的分析となると、扱える者が限られてくる。そして、その一人であるロイがサボったつけが他の者に回っているという具合だった。
「……すまなかった」
「あとでハボック准尉にコーヒーでも運ばせます」
 きびきびした動作を見る限り、ホークアイに疲労は感じられない。しかし、自分の副官を務める彼女の負担は相当なものだろう。頭の下がる思いである。ただ、ここでロイがこれからはサボらないようにしようと殊勝なことは考えず、仕事の割り振り方を少し考えるべきだな、などと思う辺りが問題だった。
 礼をして扉の向こうに消えた部下の背中を眺めながら、ロイはうずたかく積まれた書類の山に、先ほどのホークアイよりもずっと大きなため息を吐いたのだった。
 いま目の前に広がる丘は、ロイを悩ませる書類の山を忘れさせてくれる。街中では見ることのない一面の緑は、最近では暴動を治めに行った郊外でしかお目にかかったことがない。荒事とは無縁のようなリゼンブールの景色はロイの心に優しく映った。たとえここが先の殲滅戦の舞台となった東方にあり、少なからず影響を受けた土地だとしても。土の匂いと草の匂いは生きるということそのものだ。
 しばらく景色を眺めながら歩くと、道の向こうからガラガラと荷台を引く馬のひづめの音が聞こえた。駅から村の中ほどまでは一本道のようだがエルリック家はもしかしたらはずれの方にないとも限らない。ロイは馬車を御している中年の男に声をかけた。
 個人としての用事で来たので、軍服ではなく私服だ。そのおかげか、それとも生来ほがらかなのか、エルリック家への道を尋ねると男は「あんた、トリシャさんの知り合いかね?」と聞いた。
「息子さん方から手紙を貰ったんですよ。それで会いに行くんです」
「なら、この道を真っ直ぐ行って曲がったところにロックベルって義肢装身具の店があるからそこに行きな。ちびどもはピナコさんが面倒見てるから」
 男は後ろを振り向いて指をさした。男の示した先に小さく黄色い壁の家が見えた。ロイは礼を言って、来た道をそのまま前に進む。そよそよと髪を揺らす風が心地いい。
 手紙の通り、兄弟の面倒を見ている人間がいた。きっと手紙を書いたのもそのピナコという女性なのだろう。
 小さく見えていた黄色い壁を目の前に、「義肢装身具・機械鎧」の看板を確認すると、ロイは扉をノックした。少しもしないうちにぱたぱたとこどもの足音が聞こえ、扉が開いた。
「おかあさん!?」
 ロイの視線のはるか下に鈍い金色の髪のこどもが一人。
 がっかりしたこどもの表情がせつない。もう彼らの母親は、この家を訪れることはない。
「……ごめんなさい。どちらさまですか?」
 たどたどしくも礼儀正しい言葉にロイは微笑んだ。
「君はエドワード・エルリックくんかな?それともアルフォンスくん?私はロイ・マスタング。君たちから手紙をもらった者だよ」
「ろい・ますたんぐ?」
 数回口の中でもごもごと繰り返したこどもは、「あ!」と声を上げて階段から二階に向かって叫んだ。
「にいさん!にいさーん!!」