blind summer fish 11


 これでもロイは顔が広いので、店の並ぶ通りを歩くとあちこちから声がかけられる。
 顔見知り――を多少は超えているかもしれない。一、二度デートをした――の花屋の娘が親しげにロイを呼びとめ、メリッサに軽く会釈をしてから視線を落とした。その先にはエドワードとアルフォンス。
「ロイさん……この子たちってもしかして」
 ロイさんのこども?と彼女は自分で呟き、はっとしたようにロイの顔を見つめた。
「やだっ、お子さんがいたの!?」
 予想外に大きな声に、通りを歩いていた人間が足を止め、隣の店の主が顔をのぞかせる。
「なんだなんだ?中佐にこどもだって?」
「いつのまに結婚してたんだよ」
「違う!」
 思い思いの憶測が飛び交う寸前にロイは負けまいと大声で制した。
「知人の子だよ。うちの子として、これからよろしく頼む」
 花屋の娘がほっとしたように肩をおろし、身をかがめた。ちょうど、兄弟の高さに視線が合う。
「わたしの名前はジーン。あなたたちのお名前は?」
「エドワード・エルリック」
「アルフォンス・エルリックです」
「エドとアルって呼んでもいい?」
 いいよ、と兄弟の声が重なって、ジーンは二人の頭を楽しそうに撫でた。
「ロイさんにはいつもお世話になってるの。よく花束を買っていってくれるのよ」
 贈る相手はたいてい別の女性で、彼女自身も一度贈られたことがあることまでは言わない。これが下手をすると何も知らないこどもにまで女性関係をなじるようにばらす人間もいるらしいが、幸いその手の女性にロイはあまり遭遇したことがない。皆、別れるときも静かで、慎み深かった。と、ハボックに「いつか刺されますよ、それ」と言われたことまで思い出した。
「ちゅうさ?」
 顔をしかめたロイは、自分のズボンをちょんちょんと引っ張る小さな手に気づいてアルフォンスを見た。もう一方の手には小さな花束を持っている。ついさっき、店先に飾ってあるのを見たばかりだ。
「それは……」
「おねえさんにもらったの」
 ジーンを見ると、「可愛いお子さんにお近づきのプレゼントよ」とにっこりしている。
「ありがとう」
「いいえ。これからもごひいきにしてくださいね」
「もちろん」
 つまりそれはこれからも頻繁に女性とデートをし、頻繁に花を贈るということに他ならないのだが、どうやら嘘をついてしまったことになりそうだ。ロイにはしばらく女性との約束を入れるつもりはない。兄弟がこの暮らしになれるまでは。しかもそれは、エドワードの様子からすると随分と先のことになるだろう。
 エドワードの右手にも花束が握られていて、店の前から歩き出すと振り向いてジーンに手をふっている。 メリッサに笑いかけるのと同じ笑顔がジーンにも向けられている。どうして。再会してからまだそれほど時間が経っていないにしても、ロイを見て嬉しそうな顔をしたのは、汽車を降りた瞬間だけだった。ほんとうに、どうして。
 ロイの気持ちも知らずに、とても楽しそうにエドワードは言う。
「ありがとう、おねえさん」
「また来てねー」
 しかし、それから数メートルも歩かないうちに、そんなことを考える暇もなくなった。人の噂というものには車のようにエンジンがついているに違いない。花屋から一軒挟んで隣の肉屋でメリッサが 「牛肉の切り落としを――」 300グラム、と言い終わらないうちに「中佐、隠し子がいたんだってな!」と主人が言って寄越したのだ。
「隠し子じゃない!知人の子だ」
「えー?ほんとかー?」
「誰が嘘をつくか。だいたい髪と目を見ればわかるだろう。この子たちは金髪に金色の目をしている」
 主人はこどもたちを見て、ロイの黒髪と黒目を見、またこどもたちに視線を戻した。
「そういや綺麗な金髪だなー。金色の目っていうのも珍しいな。おうおう、こりゃ天使さんだな!」
 ロイは思わず笑った。通りからは見えにくい店内の壁に、主の信仰する宗教画がかけられていて、その絵に羽根の生えた天使が描かれているのを思い出したからだ。その天使も金髪で目は金色だった。
「じゃああんたは中佐んとこの子守りさんかい?」
「ええ」
 メリッサに目を留めた主人が問うと、彼女は「牛肉の切り落としを300グラムおねがいします」とようやく注文できた。
「天使さんたちにはサービスしなきゃな!半額にまけてやるよ!」
 威勢のいい主人が、どう見ても300グラム以上の牛肉を勢いよく紙に包み、袋に入れて渡した。
「どうもありがとう」
 メリッサが品よく笑って、量の多い、しかも半額になった肉をためらいもなく受け取る。
 そんなやり取りを、一行は夕飯と明日の朝食の買い物を済ませるまでの間、およそ五回ほど繰り返すこととなった。これだけ繰り返せば、隠し子なんて噂は消えて真実の話が広まることだろう。行く先々で隠し子と疑われるのは勘弁願いたいロイだった。