blind summer fish 17


「アルフォンスがいないんだ!」
 今すぐ飛び出して行きたい気持ちと、慣れた非常事態にすっと冷めていく頭と。
 迷いは一瞬だった。ロイはまばたき一つで意識を切りかえると、混乱するエドワードの肩をそっと抱いた。探すにも事情を聞かなければならない。
 そんなふうに冷静な中でも、泣きそうな顔のエドワードが自分に対して直接に素直に感情を表すのが初めて会ったとき以来だったことに心を動かされているのは否定できなかった。
「落ち着きなさい。アルフォンスは大丈夫だから。落ち着いて、私の質問に答えるんだ。いいね?」
 エドワードが小さくうなずくのを見て、ロイは一つずつゆっくり聞いていく。
「いなくなったのに気づいたのはいつ?」
「ちゅうさがしごとにもどってちょっとしてから、外にあそびにいこうっていって、ひるごはんのお皿かたづけるからさきに外いってろって、いって、……かたづけおわっていったら、アル、いなくて、……っ、いちじかんくらいさがしたけど、みつからなくて、おれが、ちゃんとしてなかった、から……っ」
 大きな目から零れ落ちそうになっている涙を、必死にこらえている。痛々しかった。そこまでの責任を小さな肩に背負わなくてもいいのに。
 それはロイが背負うべきものなのに。
「大丈夫だから。アルフォンスはすぐに見つかるよ」
 必要なことだけどうにか聞きだすと、ロイは手近な紙にいくつかの電話番号を書きつけ、室内に留まっていたハボックに渡した。
「そこに電話して、アルフォンスを見ていないか聞いてみてほしい。あと、各詰め所に迷子が来ていないかを問い合わせてくれ」
「アイ、サー」
 ハボックはすぐさま、足早に廊下へ出て行った。これで見つからなければ次はどうするか。警察機構の迷子探しのマニュアルを反芻して、打つべき手をいくつか考えていると、エドワードが不安そうに、ぽつんと立ったままだったことに気づいた。
「おいで。とりあえず、座ろうか。ここまで来るのは大変だっただろう」
 手招いても来ないので、ロイはエドワードの手を引いてソファに座らせた。こんなときホークアイ少尉がいたなら気を利かせてすぐに温かい飲み物でも持ってきてくれるのだが、あいにく少尉は不在だ。
「ところで、どうして電話をしなかった?番号は書いておいただろう?」
 厳しい口調にしたつもりはないが、エドワードは叱られたこどものように身を竦める。
「いや、怒っているわけではないよ。電話をくれたら、私はすぐに君のところへ帰れたのになあと思ってね」
「こわれてた」
 意外な言葉に、ロイは目を丸くした。
「壊れてた?」
「どっか外でかいせんきれてたんだとおもう。本体はどこもこわれてないみたいだったから」
 それは……と絶句した。確か、昨日までは使えていたはずだ。実際メリッサから、今からイーストシティーを発つという連絡が来たのだから。寝ている間に回線の不具合が起こるなんて、迷惑な。
「それはすまなかった。出掛けに確認しておけばよかった」
 しかし少し歩けば商店街で電話を借りられたはずだ。肉屋の主人夫婦にもよろしくと頼んであることだし。
 ということを、なるべくエドワードを傷つけないように言葉を選んで聞くと、エドワードはうつむいて、ひどく話したくなさそうなそぶりを見せた。
「君がここまで歩いて来たことと関係があるのかい?」
 ロイも困って、小さな手を取って包み込むと、エドワードがぽつりとこぼした。とても小さい声で、危うく聞き逃してしまうところだった。
「……ちゅうさしか、おもいつかなかった」
 中佐しか、思いつかなかった。
 まさか。
 ずっと態度が硬かったエドワードが。
「私しか思いつかなかった?」
「アルがみつからなくて、ちゅうさがいなくて、メリッサもいなくて、でんわつかえないし、ちゅうさにアルをさがしてっておねがいしなきゃっておもって、ちゅうさならなんとかしてくれるっておもって、めいわくかもしれないっておもったけど、ちゅうさじゃなきゃだめだっておもった……っ、おれ、なにもできなくてっ」
「そんなことはないよ。エドワードはここまでたった一人で来たんだ。頑張ったね」
 思いもよらなかった言葉だった。いままでのかたくなな態度は全部嘘だったんじゃないかと。そう思えるくらいに。
 声を震わせながら、それでも泣くのを我慢するエドワードがたまらなく愛しかった。泣いていいよ、と言うのは簡単だけれど、頑張っているエドワードを見るとそんなことは言えなくて、ロイはただ、エドワードを抱きしめた。
「中佐ー、今いいですか?」
 エドワードを両腕で覆いながらその頭をそっと撫でていると、ノックの音とともにブレダが顔を出した。
「紅茶持ってきましたよ。その子がエドワードですか。ハボックが金髪のこども抱えて歩いてたって聞いて、今そのハボックから紅茶持ってけって言われたので」
 ふくよかな身体の割りに繊細な神経の准尉は、見事に音を立てずにトレイをテーブルの上に置いた。
「ちょうどいい。誰かに飲み物を頼もうと思っていたんだ。ほら、エドワード。喉が渇いただろう?飲みなさい」
「……アル、お腹空いてるかもしれない」
「君が倒れてしまったら、アルフォンスが悲しむよ」
 アルフォンスの名前を出すとエドワードは弱い。
 ブレダに「ありがとう」と言い、片手で紅茶のカップを持ったが、もう一方の手はロイの服をぎゅっと握ったままだ。
 その様子にブレダがにやりと笑う。
「懐かれてますな」
 こくこくと紅茶を飲むエドワードは、それを聞いても反論しなかった。相変わらずロイの服を握っている。
「そうだ、エドワード。この男はハイマンス・ブレダ准尉だ。トランプやらボードゲームやらが好きな男だから、今度教えてもらうといい」
「アルも?」
「ああ。もちろんアルフォンスも」
 大きく頷いてやると、エドワードは不安そうな面持ちを少しゆるめて、ブレダに向かって礼儀正しくお辞儀をする。
「エドワード・エルリックです。こうちゃ、ごちそうさまでした」
「いえいえ、どういたしまして。中佐、こどもっていいですねえ。中佐が子煩悩になるのもわかりますよ」
 なんかあったら呼んでください、と言ってブレダが出て行くのと入れ替わりに、ハボックが入ってきた。エドワードがロイにくっついているのを見て、おやと驚いたが、すぐに申し訳無さそうな顔になる。
「この番号先の人は誰も知らないそうです。どうします?」
 はずれくじにエドワードが悲しそうに俯いた。
「今、練兵場にいるのは?」
「ベルベリー曹長の分隊っすね。でも、曹長がケガで休暇取ってるんで、指揮はフュリー軍曹がとってます」
 フュリー、フュリー……と数回繰り返して、ロイははたと思い当たった。確か眼鏡をかけた小柄な男だ。
「こないだ無線機を直したやつか」
 普段から使うものはまめにメンテナンスが必要であるのに、たまたま担当者がサボり癖を発揮する輩だったせいか(ロイは自分の影響であるとは思わない)とうとう立て続けに数台壊れたのを、全部直したのが、他の将官の指揮下にあるフュリー軍曹だった。一生懸命取り組んでいる様子はよく覚えている。
 軍曹の所属する隊の上にいるのは……とロイは自分と同じ中佐の地位にある男の顔を思い浮かべ、反目しあう仲でも目の敵にされているわけでもないことを確認する。彼に借りを作ることとアルフォンスとどちらを選ぶかと問われれば、一瞬の間を置くこともなく後者を選ぶ。
「よし、フュリー軍曹を呼べ」
「中佐……それって、いいんですか?めちゃくちゃ私情じゃないすか」
「構わん。責任は私が取る」
 基本的に迷子探しは人海戦術だ。使えるものは使うべし。
「アイ、サー。軍曹を呼んでまいります」
 やって来たフュリー軍曹に、今から特別訓練をすると告げると、彼は怪訝そうな顔もせず、素直に返事をした。しかしその内容が人捜しであることを話すと、さすがに彼も不思議そうに首を傾げる。
「人捜し……ですか?」
「……正確には訓練ではない。私の子を捜してほしい」
「中佐のお子さんとおっしゃると、先日引き取られたとかいう――」
「その片割れが、この子だ」
 いまだにロイにくっついたままのエドワードを前に出すと、人の良さそうな軍曹はさらに人が良さそうに微笑んだ。
「こんにちは」
「こんにちは、ぐんそう」
 エドワードはついさっきブレダに対してしたように、ちょこんとお辞儀をした。いままでとは打って変わって素直なエドワードにロイの顔も思わずゆるんだが、アルフォンスのことを考えると心は焦る。
「この子くらいの背で、この子の髪よりは少し濃い金髪だ。名前はアルフォンス・エルリック」
 困ったことに写真も何もないので、容貌をうまく説明できない。エドワードとアルフォンスはあまり似ておらず、この幼子の顔を参考にすることもできない。説明しようとして真っ先に浮かんだのが「その辺の子よりずっと可愛い」ではどうしようもないだろう。口に出して言ったが最後、ハボックが呆れる上に「中佐がこんなこと言ってたぞー」とでも広められてしまう。運が悪ければメガネでヒゲの友人に「親バカだなあ、ロイ」などと笑われる。こんなとき、前髪のくるんとした、いつも「我がアームストロング家に伝わるなんとか術!」などと言いながら特技を披露してくれるあの少佐がいたなら、似顔絵を描いてもらえるのだが。いない人物をどうこう言ってもしかたがない。冷静でいるようで、実は自分は随分混乱しているのかもしれない。さて、どうしたものか、と悩むロイの袖を、下からくいくいと引く者がいた。
「これ」
 エドワードが差し出した厚手の紙には、木炭で描かれたアルフォンスとエドワードがいた。スプレーをかけているのか、擦れた様子もなく綺麗だ。
「どうしたんだい、これ」
「メリッサがこないだかいてくれた」
 アームストロング家とはいったいどういう家系で、どれだけの秘術が伝わっているのだろうか。疑問はつきることがないが、今はその技術が大変役に立つ。
「この左側の子だ。君の上司には私が掛け合う。君たちには迷惑はかけない。……頼めるか?」
 命令のつもりが、すっかりお願いになっている。
 そして、人の良い軍曹はこんなことを言った。
「本日一五○○から先日届出があったファーレンハイト家のご令嬢の捜索に加わることになっています。名目は誘拐の恐れありとのことですが、どうやら誘拐ではなく駆け落ちで、お家の対面のために届出をされたようですね。形式的なものですので、ついでだから他にいくつか届出がされている件についても並行して捜索するように、と上から言われております」
 人畜無害な顔ですらすらとこんなことを。
 つまり、捜索願いさえ出せば、ロイが命じなくても軍曹が隊を率いてアルフォンスの捜索もしてくれる、ということだ。
「君はそれで構わないのかね?」
「一市民から持ち込まれた案件です。市民国民のために働くのが軍人です。中佐が憂慮すべきことは何もないかと思いますが」
 これで建前上、ロイの私情で動かしたことにはならない。そして、軍部というのは建前を重要としている。合法的な理由さえつけば、なにをしてもよいのだ。
「ありがとう、軍曹。それでは頼んだ」
「いえ。こちらこそ中佐に恩返し出来て、仲間が喜びます」
 はて、何かしただろうか、とロイは首をかしげたが、フュリーが挙げた名前がロイの記憶の片隅にひっかかった。
「あー、彼か。確か伍長の。そうか、君と同じ隊だったか」
「はい。その節は中佐に大変感謝しておりました」
 ロイが非番で街を歩いていた際、突然の火事で店内に閉じ込められた少女を助けたことがあった。飛び込もうとする親を止めた記憶がある。そしてこちらは向こうを知らなかったが、向こうはこちらを知っていた。確かそのときに名前を聞いたのだ。
 情けは人の為ならず。
 善行はしておくに限る。悪行の方が多い気もするが。
「それで、中佐。だいたいの範囲を教えていただけますか」
「ああ。ハボック、地図を」
 へーい、とハボックが棚から地図を取り出して、ロイが自分の家を中心に同心円を描いた。その中から、この司令部とは反対の方角へ伸びる道は除外する。そちらに行ったならば途中で商店街を通るから誰かがアルフォンスの姿を目にしているはずだ。
「こどもの足だ、あまり遠くへは行けないだろう」
 それでもロイの家と司令部を含んだ円内には、人の多いメインストリートも含まれ、範囲は広い。どこかの店か家で保護されていればいいが、それならそれで憲兵に連絡が来るはずだ。となると、アルフォンスは一人でいる可能性が高い。
 とうにおやつの時間も過ぎている。お腹を空かせているだろう。早く見つけなければ。早く安心させてあげなければ。
「それでは、フュリー軍曹、ベルベリー隊を率いて、迷子の捜索に行ってまいります」
 びしっと敬礼をしたフュリー軍曹にエドワードが深く頭を下げた。
 退室するべくドアを開けた軍曹は、くるっと振り向いて「捜索願、忘れないで出してくださいねー」と言い置いて去っていった。
 あやうく、忘れるところだった。