blind summer fish 18

 フュリー軍曹が練兵場に出て行くのが、窓から見えた。執務室の窓は家のよりも位置が高く、エドワードは窓枠に取り付いて背伸びをしてのぞいている。その小さな身体の腰を持ち上げて見せてやると、エドワードは「やっぱりおれも行く!」と言ってじたばたと暴れ、ロイに下ろすように要求した。
「君はここにいなさい」
「いやだ、おれもアルをさがす!ぐんそうにつれてってもらう!」
「駄目だ」
「じゃあちゅうさがいっしょならいい?行ってくれる?」
 エドワードは必死に訴えたが、ロイはそれも却下する。
「今フュリー軍曹たちが捜してくれる。アルフォンスが見つかったとき、真っ先にここに連絡が来る。それなのに私たちがここにいなかったら行き違いになってしまうかもしれないだろう?」
「でも……っ」
「君を連れて行って、もし君まで迷子になってしまったらどうする。私はこれ以上、耐えられそうにないよ」
 途端に沈黙するエドワードにロイは念を押すように聞いた。
「わかったかな?」
「……わかった」
 それでも、座って紅茶を飲んで疲れが薄まったのか、落ち着かない様子で部屋の中を行ったり来たりする。じっとして思いつめた様子でいるよりもまだいいか、とため息をつくロイ自身も落ち着かない。しばらくエドワードを眺めてのち、いくつか電話をかけた。フュリー軍曹の上官に手短に事情を話すと、「リザ・ホークアイ少尉を射撃訓練の教官として貸し出すこと」を条件に、軍曹に迷子探しを手伝ってもらうことを承諾してくれた。――あとで少尉に「勝手なことをなさらないでください」と怒られるかもしれないのは承知の上である。
 大部屋を呼び出して捜索願の用紙をもらってくるようにと命令すると、ロイは結局エドワードと同じように室内を歩き始めた。ぐるぐると。打つべき手をすべて打ってしまうと、他にこの場でロイに出来ることはない。そうなると、冷静さなどふっとんでしまう。エドワードにはああ言ったが、本当は今すぐ自分で探したい。似顔絵で探すよりも、背格好もばっちり覚えている自分が出たほうが探しやすいはずだ。しかしそうするとエドワードの側についていられなくなって、心細い思いをさせてしまう。そんなジレンマにさいなまれて、ロイはますますぐるぐると辺りを歩き回った。
 捜索願の用紙を持って来たハボックはそんな二人を見て、というよりロイを見て、咥えていた煙草を思わず落とした。
「何やってんすか、あんた」
「しかたないだろう。自分の子が行方知れずなんだ」
 引き取った子とか面倒を見ている子なんて言っていたが、とうとう「自分の子」である。ハボックは慌てて取り落とした煙草を拾うと、それをまた咥えるのもためらわれて、ポケットにある携帯用の灰皿に突っ込んだ。
「あんたがそんなんじゃ、エドワードが……気づく余裕もないか」
 同じような行動をしている二人は、表情もまた似ていた。エドワードは若干怯えの度合いが強く、ロイは苛立ちが濃い。たいていの危機にも平然と構えている上司がこれだ。ついさっきまで平時の顔をしていたのは、苛立ちを理性で抑え込んでいたのか。よほど彼らを大切にしているのだろう。別の意味で年相応に見えなかった。いつもはかもしだす威厳が。今は父性とでもいおうものが。
 そういえば、上司はまだ二十歳を過ぎて数年しか経ってないのだ。五歳くらいのこどもの親としては若すぎる部類に入る。
 ハボック自身はこどもは好きだが、自分に子が出来るのはまだまだ先であろうし、薄情かもしれないが、状況からしておそらく単なる迷子のアルフォンスをここまで思いつめるほど心配している上司の気持ちは深く知ることは出来ない。一度なりとも面識のあるこどもだから心配ではあるが、自然体でいられるくらいの程度だ。上司の家のある区画はイーストシティでも高級邸宅の並ぶ通りに次いで治安がよい。最も危険とされる南西区画はこどもの足には遠すぎる。今すぐアルフォンスの身が危ないというわけではないようにハボックには思えた。たぶん、楽観的すぎるのかもしれないが。
 ハボックは、せかせかとせわしく部屋を行ったり来たりする小さなこどもが自分の前を通りすぎる瞬間に片手でむんずとつかまえると、門から運んできたときのように片腕で抱えあげた。
「ハボックじゅんい!?」
 驚いたように目をまんまるにするエドワードを上司の大きな机に座らせると、その横に捜索願の用紙を置いた。
「中佐ー、ちゃっちゃっと書いちゃってください」
「あ、ああ。すまなかったな」
 ロイは椅子に座らずに立ったままでペンを取った。横からのぞきこむエドワードに、もう一度状況を聞きながら記入すると、小さなこどもは少しずつしっかりとした表情に戻ってきた。何も出来ないでただ待っているだけでいるよりも、書類という目に見えるものを作るのに協力することで、何かをしているという実感が湧くのだろう。ハボックは人の心理――というよりこどもの心理をよくわかっているのかもしれない。それを女性の心理に応用する暇がないのが、少々可哀想に思えた。その暇を片っ端から奪っているのが自分のサボり癖であることはさておいて。
 一通り記入し終えハボックに渡すと、ロイが何も言わないうちに彼は「じゃ、じいさんとこ行ってハンコもらってから下の部署に置いてきます」と言って出て行った。彼の言うじいさんとは東方司令部で一番偉い将官のことで、一兵卒の彼が「じいさん」呼ばわりしていい相手ではない。が、ロイやその部下たちが多少の無茶をしてもとがめることなく「まあ、いいんじゃないか?」とのほほんとすませてくれる人物なので、彼らは親しみを込めてこっそりと「じいさん」と呼んでいる。これで同僚一人とベルベリー隊と上司一人に、ある程度の人数を私情交じりで動かしてしまったことを知られたわけだが、ロイにとって大切なこども一人と天秤にかけるまでもなかった。
「ちゅうさ」
 机に座ったままのエドワードに軍服を掴まれて、ロイはその小さな頭を見下ろした。
「……ごめんなさい。おれ――」
「君のせいじゃないと言っただろう」
「でもやっぱり、おれがアルのことちゃんとみてなかったから」
「アルフォンスは大丈夫だから、余計なことを考えるのはやめなさい」
 うつむくこどもを、さっきハボックがしたみたいに抱えあげた。
「ちゅうさ?」
「大丈夫だよ、エドワード」
 涙の跡が残る頬にそっと口づけると、エドワードは泣く一歩手前の、少し不恰好な笑顔を見せてくれた。