blind summer fish 19


  ケイン・フュリー軍曹は、そのときふと、出てきたばかりのマスタング中佐の執務室を見上げた。窓から小さな顔がのぞいている。あの部屋の窓の高さからすると、きっと少年は窓枠にしがみついているのだろう。
 練兵場の隅で休憩を取っていた皆に呼びかけ、彼らが整列するまでのわずかな間にもう一度振り返ると、ちょうど窓の側にマスタング中佐が寄ってきてエドワードを抱え上げるところだった。
 預かってきた絵を広げると、そこには今窓辺に見えたばかりの少年と、それより少しばかり幼い少年の顔が描かれている。噂では「あのマスタング中佐がこどもなんて育ててるわけないじゃん!」などと言われていたが、軍曹が見てきた限りでは、中佐はちゃんとお父さんだった。いなくなったこどもを心配し、隣にいるこどもを気遣うさまを思い出し、軍曹の口元は自然とほころんだ。
「軍曹殿。一同、整列いたしました」
 伍長の言葉に顔を上げると、皆一様に何があったか聞きたそうな顔をしている。それはそうだろう。あともう少しで出動というときに、自分たちの直接の上官ではなく、別の上官に呼ばれたのだから。軍曹自身も驚いた。先日無線機を修理した折にジャン・ハボック准尉とはいくつか言葉を交わしたが、マスタング中佐とは直接はなんの関わりもない。間接的に、今隣でやっぱり何があったか問いただしたくてうずうずしている伍長の恩がある相手として知っているだけだった。
 フュリー軍曹は、一つ小さく咳払いをすると、ようやく話し出した。
「一五○○をもって出動するのは先に言った通りだが、捜索人数が一人増えた。名前はアルフォンス・エルリック。年は四歳で金髪金目。顔はこの通りだ」
 フュリーが紙を広げて見せる間もなく、あちこちから声が上がる。
「その子ってマスタング中佐が引き取ったとかいう子っすか?」
「じゃあ、中佐から直々に頼まれたんですね?」
「駆け落ち令嬢よりよっぽどやりがいがありますな」
  中でも隣にたたずむ伍長の目は輝いていた。燃えているといったほうがいいかもしれない。彼はがしっとフュリーの肩を掴むと、ものすごい勢いで揺らした。
「マスタング中佐から直々に頼まれたんですね!お任せください!絶対にアルフォンヌエルリックを見つけてみせます!私の可愛い娘のエミリーを助けてくれたご恩返しをせねば!」
 勢いつきすぎて、アルフォンスって言えてないよ伍長……と呟いたら舌をかみそうになった。
 娘をこよなく愛するニエト伍長は気の済むまで人をがしがし揺らしておいて、晴れやかで使命感に満ち溢れる声でもって全員に宣言した。
「本日一五○○をもってアルフォンス・エルリックくんの捜索を開始する!日が暮れるまでに身柄を安全に確保するように!」
 いやそれ、僕の科白なんだけど……というフュリーの声は小さすぎてニエト伍長の耳には聞こえない。このままだと街に出た途端、金持ちの駆け落ち令嬢捜索の引継ぎなんて忘れてアルフォンス捜索に散ってしまいそうだ。その前に、どこを捜索するかもまだ話していないというのに、みんなもうやる気満々。
 ベルベリー小隊は実質、ニエト伍長が支えている。兵学校の先輩だからと、少し頼りないベルベリーを盛り立て、丁寧な口調に男気をにじませる伍長を、小隊に属する軍人たちは慕っている。フュリーとしては、いったいどうしてこの小隊に配属されたのか首を傾げてしまうくらいに彼らとは温度差があるのだが、特にトラブルが起こったことはないので気にしないことにしている。この暑苦しさも慣れてしまえばなんということもない。基本的に素直で人のいい連中だ。
 そんなベルベリー小隊の柱である伍長はマスタング中佐に恩がある。
 ある日、伍長は妻と二人の娘とともにレストランに食事に行ったのだそうだ。そして、「お父さんの誕生日だから今日は私のおごり」と言ってくれた娘が会計を済ませて出てくるのを、家族三人、店の前で待っていた。普通なら、「お待たせ」と娘はすぐに出てくるはずだった。が、愛しい娘が出てくる前に、店内で爆発音がした。彼自らが語った話では、入り口からもくもくと煙があがり、火の勢いで通りに面したガラスは割れ、さんさんたる有様だったという。
 当然彼は取り残された娘を助けるために中に飛び込もうとした。しかし入り口も開いた窓も火に舐められ、少しの隙間もない。それでも火傷を厭わず飛び込もうとした。
『愛するエミリーのためなら火傷の一つや二つ!いえ、命さえ失おうとも構いませんとも!』
と、大変熱く語った彼は、そのあと感嘆のため息をついて言うのだった。
『そのときですよ。ロイ・マスタング中佐が颯爽と現れたのは!』
 マスタング中佐はニエト伍長の肩を押さえ、中にいるだいたいの人数を聞いた。伍長が覚えている限りの人の数と位置を答えると、中佐はそれはそれは男くさい笑みを浮かべ言った。
『ここで待っていたまえ。あとは私がやる』
 それがもうものすごくかっこよかったんですよ!と伍長が思い出し笑いならぬ思い出し叫びをその後何度も繰り返したので、フュリーもさすがによく覚えている。その後の、伍長曰く「ものすごくかっこいい」救出劇も。
『中佐が白い手袋を――ああ、錬成陣とかいうのが描いてあるやつですよ、赤いサラマンダーの。それをこんなふうに、パチンと鳴らすと、ボウッと焔が走ってですね、燃え盛る火にぶつかった瞬間、あんなに激しく燃えていた火がすうっと引いたんですよ。どんな原理になってるんでしょうね、私にはわかりませんけど、とにかく蜘蛛の子が引くみたいにすうっとね。そこを中佐がツカツカと進んでいって、少しもしないうちに中に取り残されてた人たちが出てきたんですよ。最後にエミリーをお姫様抱っこした中佐が出て来て、それがもうものすごく(以下略)』
 そこまで聞いた時点で、フュリーはその錬金術に興味を覚えたが、少しだけつっこみたくもなった。鍛えた体のいい年した男が「お姫様抱っこ」と言うのはどうなんだろう、とか。
 とにかくそんな伍長が愛する娘のことで非常に世話になったのがマスタング中佐だった。というわけで、機会があれば中佐の役に立ちたいと思っていた伍長である。そして伍長を慕う小隊の面々も以下同じ。
 あと三十分もしないうちに出動なので、熱くなる男たちを淡々と集めたフュリー軍曹は、預かってきた地図を広げてやっぱり淡々とアルフォンス・エルリック捜索範囲を指示した。ついでに他に探さなくてはいけない行方不明者の説明もしなおしたが、多分彼らの耳には入っていない。
 ついさきほど会ったばかりのロイ・マスタングは、イシュヴァールの戦歴を噂に聞いてフュリーが想像していた焔の錬金術師とも、伍長が目を輝かせて口からつばを飛ばし飛ばし語るマスタング中佐とも違った。もちろん、女性との浮名を流しまくる女たらしという噂の主とも違う。こどもを心配する父親のような、誠実で柔らかい雰囲気を纏った人物だった。だからこそフュリーは、あんな提案をしたのだ。伍長の件は頭の隅に確かにあったものの、それはほとんど口実で八割方は、噂とは違うロイ・マスタングに興味を覚えたからだった。
 次の隊と交代するまでの五時間が、フュリーがロイ・マスタングに協力できるタイムリミットだ。