blind summer fish 2


 階段を降りてくる足音が聞こえた。
「なんだよ、アル」
 最初に小さな足が見えて、手が見えて、顔が見えた。すぐ目の前にいるこどもよりも明るい金色の髪。つりあがり気味の目。
「だれ?」
 兄さん――間違いなくエドワード・エルリックは、遠慮もなく聞いた。弟と違って少々礼儀に欠けた物言いだが、不快な感じはしない。知らない者に対する警戒心をあらわに弟を自分の側に引き寄せ、ロイを睨むように見上げる。不快に思わないのは弟を守ろうとする気概が微笑ましいからだ。
「ろい・ますたんぐさんだって」
「てがみの?おやじがどこにいるか知ってるのか!?」
 小さな両手がロイのズボンを引っ張って揺らす。どこにそんな力が秘められているのか、結構な強さだった。
「すまないが、君たちの父上の居場所は知らない。それとは別の用件で来たんだ」
 真実を告げると、弟は期待に満ちた目を沈ませ、エドワードはロイのズボンをますます強く握り締めた。エドワードにそうされて、ロイは動くこともままならない。こんな様子の兄弟に例の錬成陣のことを聞くのもためらわれ、ロイは珍しく心底困り果てた。
「エド、どうかしたのかい?」
 救い主は、エドワードが降りてきた階段からやってきた。背の低い、めがねをかけた老齢の女性だった。動作はゆっくりだが雰囲気が厳しい。
 エドワードはロイから離れ、心もとなげなアルフォンスの手をとってしっかり握った。さっき、弟をかばったことといい、今といい、エドワードは兄としての意識が強いらしい。
 老齢の女性――おそらくピナコ・ロックベルは、ロイを一瞥して、眼鏡の奥の目を訝しげに細めた。
「軍人が何の用だい?」
「申し遅れました。私は東方司令部所属のロイ・マスタング、中佐を拝命しております」
「二十歳にも満たない年で中佐かい」
 ピナコの言葉に、ロイは内心でため息をついた。普段から実年齢より若く見られるが、さすがに十代と間違われるのは勘弁願いたい。せめて、二十歳そこそことか。
 といっても実際はそれに一、二年を足した年なのでたいした変わりはない。
「先日ホーエンハイム氏の件でこちらのお子さん方から手紙をいただきました」
「知ってるよ。署名はこの子たちだが文面を書いたのは私だからね」
「その手紙について伺いたくて参りました。軍の人間としてではなく、錬金術師として」
「あんた、錬金術師なのか?」
 弟の手をしっかりと握ったエドワードが、意外なことを聞いたとでも言いたげな目でロイを見た。ロイは頷くと、ピナコに向き直る。
「エドワードくんとアルフォンスくんに手紙のことで話があるのですが、よろしいでしょうか」
「いいよ、入りな」
 軍務で来たわけではないからか、ピナコは案外と簡単にロイに家へ入ることを許した。
 扉が開いた瞬間に中から油の匂いがもれてきたが、中に入るとよりいっそう匂いが増す。ロックベル家は玄関を入ったすぐのところが作業場になっていた。機械鎧の部品と見られる金属片やボルトがあちこちに見えた。
「ウィンリィ。大丈夫だよ、出ておいで」
 ピナコが声をかけると、作業用具が置かれていた棚の後ろから、肩の少し下まで金髪を伸ばした少女がおそるおそる出てきた。
「お孫さんですか?」
「そう。孫のウィンリィだよ」
「はじめまして、お嬢さん。ロイ・マスタングです。驚かしてすまなかったね」
 ロイが微笑むと、ウィンリィはそわそわしてピナコの側へ行き、エドワードが面白く無さそうにふくれっ面になった。どうやらエルリック家の長男は、この愛らしい少女のことを気に入っているようだった。
 その様子が、いましがた敵意を向けてきたのとは180度違って愛らしい。ロイが思わず小さく笑いをもらすと案の定、敏感なエドワードは気づいてますますふくれっつらになった。
 ピナコが案内した先は台所にあるテーブルだった。ロイが勧められた椅子に腰かけると、向かいにエドワードが座り、その隣にアルフォンスがよいしょとよじのぼった。そのさらに隣にはピナコが椅子を引っ張ってきて腰を下ろし、ウィンリィは迷った結果、ロイの隣の席に決めた。
「早速だが、これを描いたのは君たちか?」
 手紙を取り出して錬成陣を示すと、兄弟はつかの間相談するように顔を見合わせ、それから頷いた。
 文面は大人が書いたもので、すると錬成陣も同じ人物が描いたものと考えるのが普通だ。しかし陣の中に書かれている一文は明らかにこどもの字で、それならば陣そのものをこどもが描いた可能性が高く、実際その通りだった。
「この陣の意味は知っているか?」
「しってるよ。幸せの陣っていうんだ。なにかを錬成することはできない、おまもりみたいな錬成陣」
「これはどこで知ったんだい?」
「あのやろうののこしてった本」
 あのやろう、とは父親のことだろうか。その一言で、エドワードはホーエンハイムに対していい感情を持っていないのだとわかる。それはそうだろう。幼いこどもを残して、母親の死すら知らずに放浪しているような父親なのだから。
「本のタイトルを覚えていたら教えてくれ」
「古代錬金大全の第一巻。たぶん、初版」