blind summer fish 20


 時間になって小隊全員が揃って司令部の敷地を出ていくらもしないうちにフュリーはくるりと後ろを振り返った。隠れきれなかった体が半分、道端にとまった車の陰から見えている。
「エドワードくん?」
 先ほど会ったばかりの幼いこどもが、そろそろと顔を出した。
 フュリーは軍部内では背の低い方なので、現場にいるといつも回りを見上げているからか、ほとんどまだ司令部の敷地のような場所で自分より小さい者を見下ろすのはちょっと新鮮だった。
「エドワードくん、一人かい?マスタング中佐は?」
 逃げるに逃げられないそぶりのエドワードに近づくと、フュリーの背後の男たちもぞろぞろとついてくる。大きな男たちに囲まれたらやっぱり恐いだろうか。遠ざけておいたほうがいいだろうか、とフュリーが迷ったのは杞憂だったらしい。エドワードは怯える様子もなく、フュリーの問いに首を横に振った。
「ちゅうさはダメっていったんだけど……おれもいきたい。つれていってください。おねがいします」
 ちょこんとお辞儀をするこどもを、さらにぞろぞろと男達が取り囲む。エドワードとフュリーを中心にして、大きな壁が出来ている。その壁の中でフュリーは、いったいどうしたものかと頭を抱えた。
 マスタング中佐の目を盗んでここまで駆けてきたのだろう。呼吸が少し乱れている。
 中佐も心配しているだろうし、普通なら、勝手についてきてしまったこどもを保護者のところに送り届けるべきだ。けれど、弟を心配して必死な兄の様子が、人のよい曹長の心に訴えかけてくる。
「……ダメ、ですか?」
 ダメ、と言えたら。いや、言わなきゃいけないんだけど。
 悩むフュリーに助け舟を与えたのは、子育て経験のあるニエト伍長だった。
「曹長、この子はアルフォンス・エルリックの弟さんですか?」
 助け舟というより、ある意味で泥舟だった。エドワードが自分がアルフォンスより小さいことを気にしているのはフュリーのあずかり知らぬところだったが、ニエト伍長がそう言ったとき、エドワードの小さい手が一瞬腹立たしげに握りこまれたのをフュリーは確かに見た。
「いや、この子はアルフォンスくんのお兄さんだよ。さっき見せた似顔絵の向かって右のほうの」
「ああ、じゃああの似顔絵を描いた人はたいした腕ですね。そっくりだ」
 ニエトは腕組みまでして妙に感心したあと、こう言った。
「名前はえーと、エドワードくん?エドワードくんも連れて行きましょうよ曹長。我々は背格好と、似顔絵で顔はわかりますが、遠目に見てすぐにそれと判別がつくわけではありません。お兄ちゃんならば、ぱっと見てすぐにわかるでしょう」
 効率、という点では確かにニエトの言う通りだった。しかしそれはマスタング中佐もすでに考えただろう。見慣れた者が探すほうが効率がいいことくらい。出来れば中佐だって自分で捜索に出たかったに違いない。それなりの地位を持っていて、しかも勤務時間中だから自分で探し回ることが出来ないだけだ。
 それらをすべて考慮に入れたうえで、彼はエドワードを司令部に留めたのだ。そうすると、はたしてエドワードを連れて行くのは理にかなったことなのだろうか。
 けれど。
 かみしめるくちびると握り締める手。そして何よりも、ちょっと珍しい金色の眼が真剣にじっと見つめてきて、その視線に捕らえられて顔をそむけることも出来ない。
 結局フュリーは、こどもの必死な目に折れることとなった。あとで中佐に謝らなければ、と苦笑いを浮かべる彼の前で、エドワードがニエトに肩車をされている。
 周りより頭一つ分抜きん出た高さで早速辺りをきょろきょろとする姿は、こんな状況でもなければ微笑ましかっただろうに。


 予定より早く東方司令部に戻れることになったリザ・ホークアイは、「ついでだから射撃訓練の教官代理をやっていかないかね」などのさまざまな誘いを丁重に断って帰途についた。過去に多少世話になった人物であっても今はしかたがない。なにしろ直属の上官があれだ。こどもにメロメロ。副官の自分が手綱をしっかり握っておかないと、あとできっと面倒なことになる。
 上司のたちの悪いところは、その面倒が「壊滅的な事態」ではなく、あくまでも「あとでどうにか尻拭いの出来るぎりぎりの状態」におさまってしまうところだ。嫌な意味で羽目のはずし方を心得ている上司を持つと、部下は必然的にしっかりと己や他を管理できる人間になる。……ひょっとしたらロイ・マスタングという男はそこまで考えてあのようなサボリ癖を発揮するのだろうか。
 いいえ、それはないわね。
 ホークアイはすぐさま穿ちすぎな思考を切って捨てると、イーストシティの駅のホームに降り立った。出張用の荷物を抱えてそのまま直行するか、それとも家に寄って置いてから行くか。彼女にしては珍しく少し迷うと、ホームの壁面にある大きな時計を見上げた。
 一旦帰るか。
 もし書類の束が山になっていたら上司の代わりに残業をしなければならないことになる。帰りが遅くなるなら、先に荷物を置いて身支度をしなおしてから司令部に行ったほうがいいだろう。
 それにしても上司があれほどこどもに入れ込むとは思ってもみなかった。まだ十代を抜け出したばかりの若い彼は、あの内乱のあと、こどもを見ると時折悲しそうに目を伏せる。あちこちから持ち込まれるようになった縁談も片っ端から断り、こどもどころか結婚もまだまだ先のことと考えていたようだったのに。うきうきと会いに行って、そのまま引き取ることを決めてきて、その後の行動も素早かった。多少信頼を得るのにとまどっているようだが、いずれ勝ち得るだろう。
 その様子を見てホークアイは、罪滅ぼし、という言葉が何度か頭をよぎった。土に返したこどもたちの代わりに、命あるものを育てようというのかと。
 そんな考えがよぎる度に、純粋にこどもたちを慈しんでいる上司の表情が浮かんだ。若いくせに鷹揚で、鷹揚さで苛烈さを押し包み、笑顔の下で無能な将軍たちをあざけ笑い、一方で憤っていたのが、あのこどもたちが来てからというもの、士官学校で出会った頃の柔らかさや穏やかさ、そして科学者につきものの好奇心が表に出るようになった。最近部下たちが「中佐がなんか違う」と口々に囁き合っているのはそのせいだ。少々行き過ぎて、親バカになっているのが困り者だけれど。
 彼女はメリッサを自宅まで送り届ける際に数度会ったこどもたちの顔を思い出すと、なんとなく買ってきてしまったお土産を、直接渡そうか、それとも上司に預けることにしようかと考えながら、自宅への道のりを歩き始めた。
 と、道の向こうに、見覚えのある金色の頭を見つける。
「エドワードくん?」
 軍服を身につけた体格のいい男に肩車をされてきょろきょろとあっちを向いたりこっちを向いたりしている。ホークアイが手を振ると、気づいたエドワードは少し首を傾げてそれから、「ホークアイしょおい?」という形に口が動いた。