blind summer fish 24
さて、どうしたものか。
自身に割り当てられた仕事部屋に帰ってきたロイは、ホークアイの珍しく温かな笑顔に迎えられ、すみませんが追加の案件が、の言葉とともにデスクにつかせられた。笑顔で仕事を増やすのはやめてほしい。ついでに言えば、笑顔もあまり見ないのでちょっと怖い。
アルフォンスは歩き疲れと泣き疲れとで司令部に戻る途中、ロイの背中でうつらうつらしはじめ、今はソファで眠っている。
ロイが怒ったあと火がついたように泣き始めたアルフォンスは、散々まわりの視線を集めたあとで、差し出された飴にどうにか泣き止んだ。エドワードも欲しそうにしていたので、ニエト伍長はもうひとつをポケットから取り出すとエドワードの手に握らせた。膨らみ具合から、ポケットの中にはまだまだお菓子の類が入っていそうだ。こどもにあげるためなのか、単に本人が甘党なのかは図りかねる。
ぐすぐすと少し鼻をすすったアルフォンスは、自分を捜してくれたのだという軍人たちに向かって、とても丁寧に頭を下げた。
『ありがとうございました。ごめ、ごめいわく?かけました』
たどたどしくも礼儀正しいアルフォンスに軍人たちも敬礼で返す。そしてアルフォンスはロイの元に戻ってきて、
『ちゅうさ、ありがとう。だいすき』
小さな手で軍服をつかんで背伸びをすると、しゃがんだロイの頬に可愛いキスをした。母親が生きていた頃はよくしていたというキスは、イーストシティーに来てからは、兄にしているところしか見たことがなかった。
どうしよう、顔が緩む。顔が。
これが世の父親たちが体験できることなのか。
絶対グレイシアをおとして結婚して可愛いこどもと家族で暮らすんだ!を目標にしている親友より、一足早い父親体験だ。
そのうち絶対パパって呼ばせよう!
密かな決意を胸に、ロイが静かになった周りに気づいてふと顔をあげると、「よかったなあ」「うん、よかった」「こどもっていいなあ」「いいだろう」と軍人たちが言い合っている中、フュリー軍曹が一人だけ、
この人ほんとに大丈夫かな……
と言いたげな表情をしていた。
なんだか、余計なことまで思い出してしまった。これではしばらくは敷地内でフュリー軍曹に会っても内心動揺してしまいそうだ。
ベルベリー小隊には幼子の養い親としてしっかり頭を下げ、もしつまらないトラブルに巻き込まれたらこちらから手を回すことを約束した。気のいい彼らはしきりと恐縮して、「そんなことなさらなくても!」と言っていたが、彼らはあれでこの東方司令部でやっていけるんだろうか、と心配になった。いままでやってこられたのだから大丈夫なのだろうが。
忘れないうちに、彼らの名前を漏らさず紙に書き付けて引き出しにしまいこんだ。頭の中にもメモしたが、何かの拍子に忘れてしまわないとも限らない。
エドワードはしばらくは眠るアルフォンスのそばで寝顔を見つめていたが、そのうち何を思ったのか机の前にやってきて、机に寄りかかってロイの仕事を眺め始めた。じーっと。
両腕にあごを乗せて見上げてくるさまは愛らしいが、なんだか落ち着かない。
さて、どうしたものか。
人に見られるのは慣れているが、間近で、しかも相手はつい半日前まではつれない態度だったこどもだ。気にするなという方が無理。
書類に走らせる視線とチェックを入れる手が止まりがちになるのにエドワードが気づいた。
「おれ、じゃましてる?」
邪魔なわけがあるか!
と、叫びそうになる自分を抑えてどうにか嘘をつく。
「邪魔ではないよ」
でも、気になる。かといって、見るなと言ってはエドワードが暗い顔をしそうなのでためらわれる。
私にどうしろと。
ロイが迷っていると、アルフォンスに毛布をかけてそのまま室内で書類整理をしていたホークアイが手をとめてロイに無言で「どうします?」と問いかけた。
助けてくれ。
了解しました。
視線の会話の結果、頷いたホークアイは、エドワードの頭にぽんと手を置いて言う。
「その格好じゃ疲れるでしょう。中佐のお仕事はまだかかるから、ソファに座っていたら?」
「おしごとみてたいんだけど、だめ?」
「駄目というわけではないけれど……」
ここでロイはひとつ大きな発見をした。エドワードにじっと見つめられたホークアイは、いつもきびきびきっぱりした風情が薄まり、珍しく動揺している。
ホークアイ少尉はこどもに弱い。
多分。いや、きっと。
エドワードとよく似た色の髪の少尉は、そうやってエドワードと二人でいると年の離れた姉弟のようだ。してみると、今の状態は、末っ子に甘えられて言うとおりにしてあげようかどうか迷う長女というところか。
どう出るかロイがひとごとみたいに興味深く待っていると、ホークアイはエドワードをいきなり抱えあげるという、思いもよらない行動に出た。エドワードのわきの下に両腕を差し込んで、足を宙ぶらりんにさせたまま運び、デスクを回り込む。
「中佐、椅子を引いてください」
いったいなにを、と問い返せず、びっくりしたままのロイが椅子を引くと、彼女はロイのひざにエドワードを下ろした。
ちょっと待ってくれ、これはひざ抱っこ?
ロイがぽかんとすれば、下ろされたエドワードもぽかんとしていた。二人を前に、ホークアイは一人納得した表情だ。
「これならエドワードくんは中佐の仕事を見られますし、中佐も視線が気にならないでしょう。 多少の重さは我慢してくださいね」
これならば仕事の能率が落ちることもないだろうと言わんばかりの態度で、ホークアイは書類を抱えて晴れ晴れと退室して行った。
後に残されたエドワードは、間近のロイを見上げ、ロイもまた、ひざの上の幼子を見返した。
「……エドワード、見えるか?」
「みえる。……ちゅうさ、オレおもくない?」
「大丈夫だよ、重くない」
エドワードはひざに乗せられたことを嫌がっているふうでもないし、ロイも別に嫌じゃなかったので、このままホークアイの提案を受け入れることにした。こどもをひざに乗せたまま仕事をするというのは、とても妙な具合ではあったけれど。
そして、部屋にこどもが二人いて、片方は自分のひざに乗っているというかつてない環境の中、ロイは黙々と仕事を続けたのだった。
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