blind summer fish 28

 アルフォンスが見つかったことはその日のうちに連絡をしたし、イーストシティーの駅に着いたら迎えをやるので電話をくれるように伝えていたけれど、セントラルと東部をつなぐ電車の中から当初は夕方に着くはずのメリッサが要求したのは迎えの車ではなくエルリック兄弟だった。まさか兄弟を二人きりで行かせるわけにもいかず、メリッサの要求はイコール部下の運転する車またはロイ自身にもなるものの、その矛盾を指摘するほどロイは野暮ではなかったので、直接つなげてもらった己の専用電話を前に、受話器に向かって「一時間後ですね、わかりました」と答えた。受話器を置いた途端、「ではあと三十分で終わらせてください。終われば昼休みは一時間延長なさってけっこうです」と優しいんだか鬼なんだかわからない副官がロイの目の前で落書きの犠牲になっているそれほど重要でない書類を示して言った。昼休みの延長は、つまりどこかでメリッサと兄弟とともに昼食をとる時間が出来るということで、それは確かに嬉しいのだけれど、嫌がらせのように回ってくるつまらない書類を延々と読まされたあとでは、三十分であと十枚というのもつらいのだった。なにせ、嫌がらせなので要点はわかりづらいし、文法に間違いもある。おまけにスペルミスまで。それを全部訂正して報告書に仕立てろというのだから、学生時代に馬のあわない陰険な先生に出された宿題を思い出してしまって余計に気が滅入る。
「ホークアイ少尉、君も一緒に迎えに行くか?」
 ならば副官を巻き込んでしまおうと思って誘うと、「中佐が時間内に終わらせられなければ、私が代わりに行ってまいります」と副官は平然としている。すっかりとはいかないまでも、以前よりはふっきれた彼女は、兄弟と関わることを自分に良しとしたようだった。
「つまり、私はこれを終わらせなければ迎えに行けないということかね」
「そう申し上げたつもりですが」
 そして昼休みの延長もパーだ。
 それは数日ぶりの全員揃った食事が夕食に持ち越しになることをも意味し、さらにはここ数日のごたごたで他の部署に回った仕事がひょっとしたらこちらに戻ってくるかもしれないので夕飯もパーになる可能性がある。それでは踏んだり蹴ったりだ。
 このままではいけないとロイが焦って書類に目を通し始めると、ホークアイが満足げに笑んだのがわかった。日常ではどうしてこうも簡単に彼女に操作されてしまうんだろうか。
 普段は八割方ロイに恐怖を強いているホークアイは大変有能な副官であったので、ロイが室内のあちこちに投げ捨てた紙切れを根気強く拾い集めると、まとめてゴミ箱に捨てた。
 と思ったら、くしゃくしゃになったのを精一杯皺を伸ばした紙が机に静かに置かれる。これは?と問うまでもなく、それは必要書類だった。気づかずにうっかりロイが憂さ晴らしに使ってしまったのをホークアイは見逃すことがなかったらしい。こういうしっかりしたところが彼女が彼女たる所以だ。先日のように自身を悩ませることにもなるのだが。
「ちゅうさー、はいっていい?」
 扉の低い位置からノックの音がして、ロイが一拍置いてから「どうぞ」と答えるとすぐに扉が開いて隙間からこどもが二人入ってきた。
 一度来てしまったことだし、昼に家に帰ってまた仕事場に戻る時間も惜しいことだし、と理由を挙げてこども連れで出勤したロイを部下たちは「この人、とうとう……」という目で見てきた。ロイがこどもを引き取ったという噂を自ら肯定する行ないに、今朝は司令部が少し沸いた。
 若造のくせにこどもを引き取るだと?
 マスタングには案外、そっちの趣味があったりな。
 そんな陰口を叩く者もあったが、ざっと眺める分には好奇心に満ちた視線とこどもへの優しい視線、それにまったく関心が無い者とが大半だった。
 仕事をしている最中、ずっと部屋に置いておくわけにもいかないので、朝からずっと顔なじみの売店の夫婦に預かってもらっていたのだが、元気なこどもたちがこの広い建物内を探検せずにいられるはずがない。一時間ほど前に売店に顔を出したときは、夫婦から見える範囲をうろちょろし、中庭へ飛び出しては戻っていくという有様だった。そして今もまた、ちょうど書類を運んでいたフュリー軍曹を廊下で捕まえてここまで連れてきてもらったのだそうだ。
 そのフュリーは部屋の前まで二人を送って、同じ階の別のところへ向かったという。
「ぐんそうにもらったの」
 飴を舐めているアルフォンスがポケットから別の、オレンジ色の包装紙に包まれた飴を取り出してロイとホークアイにくれた。
 おとなしくしているからここにいてもいいかと言う兄弟のお願いにロイは習い性のようにホークアイを見て、彼女が「しょうがないですね」という顔をしたので、ソファーに座るように促した。はたして、ホークアイの判断は正しく、こどもがいるとなると俄然張り切るロイが、数分前よりもさらにスピードを上げて目と手を動かし始めた。
 上司の親バカぶりを眺めつつホークアイが
「お昼にはメリッサさんが帰ってらっしゃるから駅まで迎えに行くわよ」
と言うと、ソファーでおとなしく本を開いた兄弟は飛び上がり、互いに手を合わせて喜んだ。

 汽車はホームへ時間通りに着いた。
 減速した車両の一つに大好きな人の姿を目ざとく見つけたのはエドワードで、すぐ隣のアルフォンスをひじでつついて、「ほら、メリッサあそこ」と教える。彼女の乗った車両は、二人の前を少し通り過ぎて止まった。彼女は汽車が間違いなく止まってから席を立ち、帽子を押さえて数段のタラップを降りる。
「メリッサ!」
 綺麗な二重奏でもって駆け出した兄弟は、ほとんど体当たりの状態でメリッサに抱きついた。
「おかえりなさい!」
 再度の二重奏で、老婦人を出迎える。メリッサは元気なこどもたちをそっと抱きしめると、荷物の主を探す駅員に手を上げて、自分の居場所を知らせた。行きは小ぶりのトランク一つだった荷物は、少し大きなトランクが一つ増えている。案外と旅慣れているらしい彼女にしては、荷物が多すぎる。
「随分と久しぶりに思えるわ。ほんの少し会っていなかっただけなのにね」
「メリッサ、ごめんなさい。しんぱいかけて」
 メリッサは、勢いがついたあまりに地面に頭がつきそうなくらい深いお辞儀をするアルフォンスを「とにかく顔をよく見せてちょうだい」と肩に手を添えて起こした。
「無事でよかったわ」
 改めてアルフォンスを抱きしめたあと、メリッサの口元がわずかに厳しくなったのを見て、ロイはアルフォンスに気づかれないよう、メリッサに合図をした。もうちゃんと叱ったから、と。
 メリッサは心得顔で頷くと、見上げるアルフォンスとエドワードに「お土産をいっぱい買ってきたわ」と言って、二人を喜ばせた。
 再会とそれに伴うあれこれのやり取りが終わって、ホームから駐車場へ移動する途中で、エドワードがメリッサの腕を引っ張った。促されて少しかがんだメリッサの耳元にエドワードはこそこそと囁く。内緒話のように見えて、というよりそれはあからさまに内緒話だったのだけれど、聞いたメリッサの顔がしかめられることもなく困った様子もなく、ほっと安心したみたいだったので、悪い話ではないのだろう。
 しかしそれはそれで、じれったい。
 例えば今の話がなんだったかさり気無く聞いてみてもエドワードに慌てて「ないしょ!」なんて言われてしまっては、問いただすにただせない。メリッサに目線で拝むようにして説明を求めてもエドワードがすかさず「ちゅうさには言っちゃだめ!」と言うので、その線も無理だ。
 もし双方のどちらかでも深刻な表情を浮かべていれば、まだ問いただしようもあるというのに。
 少し仲間はずれにされた気分で部下を見れば、ホークアイはホークアイでアルフォンスにがっちり捕まったままで、おまけに「いっしょにすわって」と後部座席に引っ張られている。
「いいよ、少尉。私が運転しよう」
 一人あまったロイは部下に後部座席を示すと運転席のドアを開けた。