blind summer fish 29

 こどもっていいもんだなあ、と食後にメリッサの入れてくれた紅茶を飲みながら、ロイはしみじみとかみしめた。朝はいってらっしゃいと頬にキスをしてくれて、帰ると駆けてきておかえりなさいの言葉とともに抱きついてくる。彼らは怒ったり、悲しんだり、笑ったりと忙しい。表情がくるくると変わって、とてもにぎやかだ。
 しかしさすがにペンがころころ転がりだしただけでけらけら笑うという行動は理解できなかったが。そういう年頃は自分にもあったかもしれないが、およそ15年は昔のことなので覚えていない。
 引き取ってから数ヶ月も経っているので、兄弟はこのあたりのだいたいの地理には詳しくなったし、近所のこどもとも仲良くなってあちこちに遊びに行っている。行くときは必ずメリッサに行き先を告げ、迷子になることはなかった。一度約束したことは必ず守る。ロイが教えなくても兄弟たちはその大切なことをちゃんと知っていた。母親や、幼い頃から兄弟を見てきた周りの人々から学んだのだろう。
 いまでも少し、悩むことがある。本当に、あの美しい田舎の町からこどもたちをここにつれてきてよかったのかと。リゼンブールで、幼馴染の少女と遊んだり小柄な老女に見守られたりしながら穏やかに暮らしていたほうがいいのではないかと。
 しかし、錬金術の勉強をして真剣に、そして心底楽しそうにしているこどもたちを見ると悩みも吹き飛んでしまう。彼らには二つの道があって、一つの道を提示したのは自分だけれど、選んだのは彼らだと思っている。それは決してロイ自身の責任逃れではなく、彼らが他人に流されてものごとを決めるような人間じゃないことを信じたいからだ。たった五つや六つのこどもに求めるには高すぎる基準かもしれないが。
「中佐、この封筒の束はお部屋に運んでおきましょうか?」
 お茶のおかわりを注いでくれたメリッサが、棚の上に積み上げられた封筒を見て言った。
「え、あ、いや、……あれはいいんだ。私が運ぶから」
 げんなりとするロイに、メリッサは「中身が何か当ててみせましょうか」とくすくす笑う。
「ろくでもないものだよ」
「よくあれを断るネタを坊ちゃまに教えたものですわ」
 は?
と、ロイは目を丸くした。
「中身はすべて、写真でしょう?だいたいこれくらいの大きさが多いですけど、他にはこれくらいのとか。中には革張りのものに収められていたりするものもありますね」
「……正解です」
 メリッサが「これくらいの」と言いながら見覚えのある大きさを両手で示してみせるので、そのたびにロイの顔は渋面を形作り、とうとう肩まで下がって落ち込んでいく。
「原因は、あの子たちですか」
 メリッサは声をひそめた。視線の先では兄弟が、ロイの出した宿題を頭をつきあわせて解いている。
「ああ……」
 頷くロイは、大きなため息をついた。
 このところ、急激に見合いの話が増えた。
 今までは、結婚はまだ考えていないと言うと、なぜかと聞かれるので「まだ所帯を持つ余裕がないから」と答えていた。たかだか二十歳を少しだけ上回った程度の若造を見込んでくれるのはうれしいが(好悪の感情は別として、ある程度は実力を認められているという一種のバロメーターでもあるので)、あまりに続くと鬱陶しい。そして、たいていの人間はロイがそう答えると「では、そのうちまた」といったん引き下がってくれていたが、こどもを引き取ったとなると所帯が云々とは答えづらい。それでも比較的自分に好意的な人々は、そうしつこくせず、ロイにその気がないと見て取ると申し出をなかったものにしてくれるが、問題はその範疇に収まらない人間だった。
 彼らの意見は総じてこうだ。
『こどもには母親が必要だろう』
 ロイは自分が妻を迎えるときの情景がまざまざと手にとるように浮かんだ。きっと、娶ってからそう時も経たないうちにこどもたちはなんやかやと理由をつけられて遠くへ追いやられるに違いない。どこどこの寄宿学校がとてもいいんだとか。そういうものだ。
 冗談じゃない。
 それに二人の兄弟の母親が亡くなってからまだ一年も経っていない。そんなこどもを相手に、どの面下げてなじみのない女性を母親だよなんて引き合わせられると思っているのか。毎日、母親の写真に「おはよう」と「おやすみ」を欠かさないこどもたちに。
 そんなこんなで、日々持ち込まれる縁談に、ロイの機嫌はものすごい勢いで下降の一途をたどっていた。この場合、一番迷惑をこうむるのは彼の部下だ。ロイの最低最悪に機嫌が悪いときを何度も経験しているホークアイは、まだまだ余裕あり、と見ているが、可哀想なのは他の部下たちである。日に日にぴりぴりしていくロイの執務室近辺にはホークアイ以外、誰も立ち寄らなくなった。
 そこでホークアイが一度ロイに冷たくて硬い物体をつきつけたので状況は少しだけ改善されたが、代わりにロイの大人げない憂さ晴らしの標的にされたのはブレダ准尉だった。何につけても要領の良い彼だが、今回はタイミングが悪かった。見合い写真が少しずつ増えてきた頃、複数枚まとめてロイの元に運んできたのが彼だったからだ。
 ブレダが写真入りの封筒をまとめて運んできた翌日、東方司令部の中庭に野良犬が住み着いた。そして奇妙なことに気づいた。ブレダが中庭に出たがらないのだ。こういうことにロイの鼻はよく利く。
 こいつは犬が苦手に違いない。
 そこでロイは冗談半分本気半分で中庭での演習を命じたり、部屋に犬を連れ込んだりした。当然ブレダは涙目で、犬がいる間は机や棚の上に避難したり、演習中はさすがにしゃんとしているが始まる前はへっぴり腰でおそるおそるやって来て、終わった途端逃げていったりする。
 ロイには犬のどこが怖いのかさっぱりわからないのでたいした害はないと思っていたのだが、数日もそんなことをしていたらブレダの仕事の能率がものすごく下がってホークアイにブレダではなくロイ自身が叱られたので、以来、中庭での演習をさせるだけにとどめている。
 なんていう大人げないことをロイがしているとは思いもしないメリッサは、ため息をつくロイに同情的だ。
「理由ならいくらでも用意してさしあげられますわ。先方にお会いする前に断っていらっしゃい」
「ありがたいんだがね、今回ばかりはこちらから一方的に断るわけにはいかないんだよ」
 困ったことに。