blind summer fish 36

 言葉が、つまる。
 彼女が何を言うか、予想は出来た。けれど、実際に音になって突きつけられたそれは、ロイから言葉を奪う。
『……失礼ながら言わせていただくと、中佐が二人を引き取られたのは罪滅ぼしのためかと思っていました』
『そういう考えがなかったとは言えないがね。すぐに失せたよ。こどもを育てようが育てまいが、場合によってはこれからも手にかけることには変わりないからね』
 ホークアイに答えたように、思っていることを言えばいいのに。
 目の前の女性が、彼らの母親に似ているから?
 自分の中身を見透かすような視線に晒され、ロイは息を呑んだ。
「……私は、……」
 今になって、どうしてこどもと一緒に生きようとするのだろう。 男を殺し、女を殺し、老人を殺し、こどもを殺した。なぜ今ここでこどもの手を取る?共に生活し、育て、慈しむ?
 全てを始まりに戻して、考え直して、自分自身に意味を問うならば。
『母さんはおれたちに、さいごに、わらっててっていった。ずっとわらってなさいって』
 幼子から泣くことをやんわりとさらっていった彼らの母親の言葉が、ふと頭に浮かんだ。
 ずっと笑っていてほしい。いつでも、ずっと。幸せになりなさい、と。
 優しい呪縛は、母親の何よりも強く願う想いの表れ。
 人の幸せを願う気持ち。
 そうだ。全ては原点。自分が何を求めて今の道を歩み始めたか。
「標、かもしれません」
 道標。
 戦っていくための。生きるための。この世にしがみついて行くための。
 あの子たちが幸せに暮らす未来が、標。
「それならば、間近で見ていなくてもいいのではないかしら?」
「……もしこの先、彼らが私の元から去って行ったとしても私はずっと彼らを見ている。しかし今は、すぐ傍で見ていたい」
 彼女は座ったまま、もう一度居住まいを正した。
「もう一度聞きます。あなたは何故彼らに触れるの?」
 すっと息を吸い、ロイは彼女を見据える。
「私が私であるために」
 重圧に押し潰されないように。権力に溺れぬように。巨大な壁に立ち向かっていくために。
 目標を見失わないために。
 大切な人を守りたいから。
「随分と勝手な物言いね」
「申し訳ありませんが、これが今の私の本心です」
 嘘偽りのない気持ちだと率直に告げると、彼女はゆっくりと笑みを浮かべた。
「いいえ、気にしないでいいわ。あなたの言葉を借りるなら、『人間とはそういう生き物』だもの。わたくしも、もう少し前を見てみることにするわ。あなたを見習って」
 何を考えているか本心を掴みがたい目の前の女性は、おそらく大切だった人のことを思っているのだろう。好きだった人――きっと、いまでも好きな人。
「お迎えが来たようですよ」
 ロイが気配を感じて数瞬後、芝生を踏みしめる音がして、執事が現れた。
「お嬢様、そろそろ中へお入りください。外は冷えてまいりました」
 ランディがかけているストールよりさらに厚手のものを手にした執事は、先ほどと同様に彼女に咎めるような視線を向け、ご自分の体を云々と叱り始める。ランディはといえば、ある意味でロイを翻弄していたのが嘘のように身をすくめていて、執事に叱られる様はまるでこどものようだった。
 片付けをする執事を置いて屋敷の中に入ろうとしたランディは、扉の手前でくるりと振り向く。
「不躾……いえ、人として常識のないことを伺ってしまいました。ごめんなさい」
 ランディ=ローズは、深々と頭を下げた。茶色の髪が肩から落ち、彼女の顔を隠す。
「いえ。顔を上げてください」
 それ以外ロイに言えることはなく、いつまでも深く礼をしたままの彼女の肩に手を添えて、そっと起こした。


 車で送るという申し出を歩いて帰るからと断り、門への道を歩くロイに、敷地の向こうからこどもの声が聞こえた。聞き覚えのある声は。
「……エドワード?」
 急いで前庭を抜けると、門の傍でハボックが困ったようにエドワードをなだめている。
 ロイが近づくと、足音に気づいたハボックが顔を上げた。
「中佐」
「ハボック、どうしてエドワードを連れてきた?」
 軽い叱責に少尉は頭をかく。
「それが、不可抗力でして……」
 ほとほと弱り果てたハボックから離れたエドワードが、振り返ってロイの元へと駆けてくる。必死な表情に、何かあったのかと緊張感に包まれた。
 五メートルもない距離を走ったエドワードは、ロイにぶつかるようにして止まり、小さな手でロイのジャケットの裾を引っ張る。
 その口からこぼれたのは、思いもよらない言葉だった。
「っ、ちゅうさ!おれはどこにいってもいいから、アルはちゅうさといっしょにいさせてあげて!」