blind summer fish 44


 埃が舞い上がる。
 長い間塞がれていたのか、湿った嫌な臭いのする空気が流れてくる。
「意図的に塞いだようだな。いつ頃のものかわかりますか?」
 鑑定士は考えるときの癖なのだろう、顎をさすりながら答えた。
「確定は出来ませんが、三十年くらい前でしょうか」
「そんな短期間でここまで崩れるものとは思えませんが」
 がらがらと崩れた塊は、軍靴で少し体重をかけるとすぐに砕けて粉が舞い散った。
「三十年程前にある建築資材が流行ったんです。今でいうコンクリートと同じようなものですが、渇くのが早かった。突貫工事に最適だというのであちこちで使われたんですが、強度に問題があるとわかって流通しなくなったのです」
 戦乱と復興を繰り返すこの地域では、少しでも工事を早くする用材はさぞかし歓迎されたことだろう。
 鑑定士の話によれば、それらの建物の多くはすぐに取り壊されるか新たな災いによって破壊たが今でも一部には残っているそうである。
 この階段を塞いだ者は、欠陥品であることを知らなかったのだろうか、それとも長い間隠すつもりがなかったのか。
 そして、なぜ隠す必要があったのか。
 リーランドから渡された建物の見取り図は、元々あったものに診療所を作った時と補修工事の際に書き加えたものだったと聞いた。ここに診療所が開かれたのは三十年よりずっと前のはずだから、鑑定士の言うことが確かならば、ここが塞がれたのはその補修工事中の可能性が高い。
 そして、工事中ならば、その工事を担当した者が疑わしい。
 単に、地下が崩れそうで安全のために入り口を塗り固めたのならば良し。そうでない場合は――。
「中を調べる必要があるな」


 その一角を封鎖する旨をリーランドに告げると、現場を見た彼は「ああ、やっぱりおかしいと思ったんですよねー」とまったくそんなことは思ってないような口調で言った。
「壁が崩れそうだったんですけど、取り壊して作り直す予算もなかったんで、僕が補強したんですよー」
 この薄い方の壁は彼の仕業だったようだ。
 おかしいと思ったということは、彼は背後の部屋までの距離に対して壁の位置が合っていないことに気づいていたはずだ。それならそれで、早く調べればいいものを。
「と言われてもー、中から何か出てきたら怖いじゃないですか」
 まあ、わからなくもない。
「ドクターは地下室があることはご存知ではなかったのですね?」
「もちろん」
「では、その件についてはまたあとで伺います。診察に戻っていただいて結構ですよ」
 部下に向かってこれからこの地下を調べる旨を告げ、先頭に立って入ろうとしたロイは、すぐ後ろからホークアイに止められた。
「私が先に行きます」
「いや、人の気配はない。それにほら、発火布もあるし」
 ロイが両手をひらひらと振って見せると、ホークアイは声をひそめて言った。
「こどもたちにいいところを見せようという気持ちはわかりますが、何があるかわかりませんから」
「君だってあの子たちにかっこいいところを見せたいんじゃないか?ずるいぞ、少尉」
「私はそんなことは考えておりません」
「嘘つけ」
「嘘などついていません。大人げありませんよ、中佐」
「ていうか、二人とも後ろに筒抜けですから」
 呆れたようなブレダの声に二人が振り返ると、小さい兄弟は首を傾げ、少女は「何この人たち」というように怪訝そうに眉をひそめ、リーランドは相変わらず眠たそうな目をしていて、メリッサとランディは「しょうがない人たち」と言いたそうに笑っていた。
「中佐はともかく、少尉。俺の夢を壊さんでくださいよ」
「あなたの夢が何だかは知らないけれど、その程度で壊れる夢なんて捨ててしまいなさい」
「……だーもう、俺が先行きますから」
 結局ブレダが先頭に立ち、それぞれ懐中電灯を手に、狭い階段を一歩ずつ下りていく。一段一段の奥行きも狭く、軍靴の足音の合間に、転びそうになって焦る声が混じった。
 十五段ほど数えたところで地下の地面に足が着く。石畳のでこぼことした地面を一歩進むごとに灯りに埃が反射した。
「下水道ではなさそうですね。水路がありません」
 イーストシティの地下にめぐらされている下水道に似た雰囲気だが、それならば本来あるべき溝が見当たらない。首を傾げるホークアイが電灯で照らした先を見て、ブレダが声を上げた。
「げっ、檻だ檻」
 壁際を照らす灯りが、地面にストライプの模様を作る。片方にずらりと並んだ部屋は全て鉄の檻で蓋がされていた。一つ一つの広さは、東方司令部内にある留置所のおよそ二倍といったところだ。しかし、形状からいって個室には見えない。おそらく、数人をまとめて閉じ込めておいたのだろう。
 牢屋だ。
 塞がれていたのは、牢屋の入り口だったからだろうか。しかし、嫌な予感がする。第六感とでも言うべきか。勘に頼るのは好きではないが、ここ数年の経験で、それなりに信がおけないとは言い切れないものがある。危険を察知するのならなおのこと。
 牢屋の続いた一角が過ぎた頃、先頭を歩くブレダが鼻をつまんだりその手を離したりしだした。何か気にかかるようだ。 
「……なんか、においますね、ここ」
「それはそうだろう。埃だらけで空気が澱んでいるからな」
「いえ、そうじゃなくて、なんていうか、嫌な臭いなんですよ」
 埃ではなく、かといって、どぶのような臭いでもない……とブレダはぶつぶつ呟いた。犬が苦手だという彼の鼻は、まるで犬のようによく利く。彼はしばらく嫌な臭いだとしきりに不満を漏らしていたが、ふとその足を止めた。
「間違いなく、何かいましたね」
 ブレダがぴんと背筋を伸ばして姿勢を正すと同時に、ロイの鼻にもその臭いが届いて来た。何か物が腐った臭いだ。物が。生き物が。
「もう、死んでますけど」
 ブレダの足が何かを蹴った。手に取って明かりにかざす。ロイは息を飲んだ。
 人の骨、だった。