blind summer fish 45

 ブレダは手に持ったそれを、落としたりはしなかった。ただ、一瞬ののちに我に返ったように、くまなく灯りにかざしてしげしげと眺めた。
「いつ頃のもんでしょうかねえ」
 見るからに博物館に飾られていそうといった古さのものではない。かさかさと乾いてはいない。ついさっきまで、肉がついていたと言ってもよさそうな、例えるならば骨付き肉を食べたあとに残った骨だ。
 監察医を連れているわけでもなし、他に法医学に明るい人間がいるでもなし、ブレダは答えはないものと思ったのか、ロイが口を開くと驚いたように見つめてきた。
「地下でほぼ密室の状態と考えて、二、三ヶ月より前。しかし十年以上経っているということはないだろう」
「中佐は意外な事に詳しいですな」
「人体については……いや、死体を作るのが仕事だからな、この手のことには慣れている」
 中佐、と咎めるホークアイの声がした。
 死体を作る、という発言のせいか。しかしいまさら取り繕うほどのこともあるまい。軍人とは国のため治安のために人を統制、管理し、時には屠る存在だ。この場にいる、まだ前線に行ったこともない部下にだって、それなりの覚悟はあるだろうとロイは考え、まだ何か言いたそうな彼女に言いたいことがあるなら言うように促した。
「先ほどからぴりぴりされているようですので」
 ホークアイは意外なことを言った。
「私が?」
「お気づきではなかったのですか」
 全く。一体何を苛立たしく思う必要があるだろうか。
 もしあるとしたら、予想外のこの地下室だ。ただでさえあちこち崩れかけている建物の調査と帳簿のまとめだけで時間がかかるというのに、いわくありげな地下室、そして人の骨。下手をすると、家族との夕飯返上で仕事に没頭せねばならなくなるかもしれない。
「まあ、いい。……問題は、死因だな。自然死ならばいいが、殺人なら困ったことになる」
 ブレダがいまだ持っている骨は、指のつながった手だった。間違えようがない。五本の指が手首の部分で、肘の部分まである一本の骨につながれている。そして、それが落ちていたところから数メートル離れたところに二の腕ともう片方の腕が投げ出されるようにして佇み、さらに奥に他の部分が横たわっていた。頭蓋骨は見当たらないが通路の隅にでも転がっているだろう。
 ここに動物がいて、白骨化した死体を加えてあちこちに散らばせたならまだいい。しかし、散乱した順番が逆ならどうだ。白骨化→散乱ではなく、散乱→白骨化であったならば。
 死体損壊の可能性、ひいては、殺人の可能性も出てくる。
 もう一つある。骨の塊が身につけているもの。普通ならば上下に服を着ているはずが、彼もしくは彼女がまとっているものは布きれ一枚だ。まだ風化せずに汚れたままで残っているタオル地。不自然だ。そのような形の人間がここで死んでいるなど。
「これは女だな」
 骨の構造を見て判断をつける。そして女ならば、タオル一枚でこのようなところに迷いこむとは考えられない。
 そして、ここが塞がれた推定年月と骨の主の死亡推定期間の不一致。
「どこかに別の入り口があるはずだ。探せ」
 暗い通路を物慣れないふうに散らばる部下たちを一瞥して、ロイは辺りを照らした。探し物は牢屋をふさぐ鉄の棒の前に転がっていた。暗くてよくわからないが、地面に血の跡はない。頭蓋骨を180度回転させて見てみても、陥没した形跡はなかった。死因は、殴打や出血によるものではなさそうだ。
 向こうを見て来ます、とホークアイに伴われて奥へと進んで行ったブレダが十分ほど経ってロイを呼びに戻ってきた。
 歩いてつきあたった先を右に折れてさらに歩く。遠くで水の流れる音がしたような気がした。灯りのない暗闇に、生きている人間の持つ懐中電灯が揺れてまるで人魂みたいだとロイはひそかに笑った。一つ離れた人魂が、ロイの視線の先で止まっている。近づくにつれ、腐臭がし、強くなった。これが、さっきブレダが不満を漏らした臭いなのだろう。
「腐臭の正体はこれですね」
 いつもよく通るホークアイの声がくぐもっている。見れば、彼女は軍服の袖で鼻の辺りを押さえていた。ロイも顔をしかめ、発火布を鼻の下にあてがった。
 行き止まりの通路の一番端に、息絶えた何かの生き物が積み重なっている。
 死臭には慣れているが、決して進んで嗅ぎたいものではない。加えて、変な甘ったるい匂いが漂っていて、それらが混じりあった空気を直接吸いたいとは思えなかった。ロイは軍服の内に突っ込んでいた大判のハンカチを取り出すと鼻と口を覆って頭の後ろで結んで、その物体を摘んだ。体毛がするりと抜け、明かりの中をひらひらと舞って落ちていく様子は醜悪というよりも憐れだった。鳥だ。本来なら、大空を舞って、こんな地下で朽ち果てるはずのない生き物だった。憐れな鳥が、一羽、二羽、三羽――途中で引っくり返して数えるのも嫌になった。
「どこから迷い込んで来たのやら」
 顔をしかめるロイの後を受けて律儀に鳥を退けていたブレダが、同じような大判のハンカチ越しに呟いた。
「あの人間が入ってきたのと同じ出入り口でしょうな。……九羽、十羽、十一羽、十二羽、……二人、っと」
「十二羽か。迷い込んだにしては随分多いな」
 上を照らしたり壁を照らしたりして扉らしきものがないか探していたロイは、ブレダの発言を危うく聞き逃すところだった。
「……二人?」
「ええ、二人目です。今度は骨だけじゃないですよ、身もちゃんとついてます」
「どれ、見せてくれ」
 ブレダがかがみこんでいた幅広の身体を避けると、代わりにロイがしゃがみこんだ。ホークアイがその上から覗く。
 先ほどの骨とお揃いでタオル一枚を腰に巻いた屍は、奇妙な形で鳥に埋もれていた。
「男、のようだな」
「中佐、これが頭の横に」
 ホークアイが拾って差し出したのは、包み紙だった。赤い薄紙を注意深く開くと、中から粉が現れる。匂いをかいだ。甘ったるい匂いが微かに鼻をつく。
「君は一体、どこから来たんだい」
 屍蝋化した男が、ロイの問いに答えることはなかった。