blind summer fish 46

 代わりとばかりに高い音がする。
 コンクリートと石の壁に反響し消えて行くそれは、建物の外部から聞こえてくるようだった。全員で耳を澄ますと、部下の一人が言った。
「……ディ、……てよ。……リンディ、待てよ、と言っているようです」
「エドワードかアルフォンスだな……どこから聞こえるかわかるか?」
 彼は目を閉じてしばらくすると、その目をぱっと開いて上を見た。
「あそこに小窓があります」
 地下の天井自体は低いが、この道路のつきあたりの壁に沿って30cmほどの幅だけ天井が高くなっていて、もし断面図を描くとしたらL字型になる。
 この場から見て5mは上、地上から見て一階と二階の中間辺りだろうか、Lの先端にあたる部分に、言われてみれば小さな窓がある。こどもがどうにか通れるくらいの大きさの四角い窓だ。昨日、建物の周りを一周した際、側面にちょうどあのくらいの小窓がいくつもある場所を見つけたのをロイは思い出した。単なる空気口だと思っていたが、地下とつながっていたのか。
 小窓から入る光は到底地下を照らすには至らず、地階部分は暗いままだが、音は違う。わずかな隙間から入りこんだ音は壁に反響してここまで届く。
 窓の外から聞こえる声は大きくなり、そこで止まった。エドワードの声だとわかった。
 ロイは一同に耳を塞ぐように言うと、窓に向けて大声を張り上げた。
「エドワード!」
 呼びかけを数回繰り返したのち、小さく高い返事がした。
「中佐ー?どこー?」
「上に小さな窓がないかー?」
「いっぱいあるよー!」
「私の声が一番よく聞こえる窓の下で待っててくれー!」
「えー?よくきこえなーい!」
「そこで待ってなさーい!」
「わかんないー!ちょっとまっててー!」
 だからお前に待っててほしいんだが、と思ったロイがもう一度声を張り上げようとすると、小さな窓の向こうで独特の青白い光が瞬いた。それから10秒ほどしてエドワードの声がさっきよりずっとはっきりと聴こえた。
「なあにー?」
 ロイが壁に張り付くようにして高い天井を見上げると、ちょうど小窓からエドワードが小さな頭をちょこんと出すところだった。
「エ、エドワード。どうしたんだい?」
 まさかそんなところで養い子の顔を見るとは予想もしなくて慌てるロイに、こどもはけろりと答えた。
「はしご作った」
 ちょっとまっててー!から錬成時に輝く光が見えるまでは30秒もかかっていない。紙とペンを持ち歩いていたとしてもこの短時間だ。式を構築するのは一瞬だっただろう。間違いなく上達しているエドワードの腕に、ロイは養い親、そして錬金術を教える先生として彼を誇らしく思った。
「中佐、顔緩んでますよ」
 まったくだらしのない、とでも言いたそうなホークアイの忠告にも、ロイのしまりのない顔は元に戻らない。
「では、ホークアイ少尉。私は外から見てくるから、あとは頼んだ。エドワード、今からそっちに行くからそこで待ってなさい」
「わかったー!」
 ロイは蝋化した屍に目もくれず、振り向いて足取り軽く地上への出口へと歩いた。歩いたというよりほとんどスキップだ。背後から「親馬鹿だ……」「あれが親馬鹿なんだ……」と複数の呟きが聞こえたが、微塵も気にはならなかった。

「エドワード!」
 地上に出てからはほとんど走るようにして建物を出て、裏手に回りこんだロイは、すぐに目的の場所――否、こどもを見つけた。言われた通りにはしごの上で待っていたエドワードが、そこからぴょーんと飛び降りる。
「中佐ー!」
 すんでのところでエドワードを受け止めたロイは、いきなり飛び降りてきたことを咎めつつ、素早い錬成が出来たことを小さな頭を撫でて褒めた。
「お前はほんとに飲み込みが早いね。教え甲斐があって嬉しいよ」
 エドワードも嬉しそうにロイに撫でられるままだったが、突然はっと気づいたようにじたばたとしだした。何事かと思ってみれば、はしごの脇にリンディが立っている。
 いや、さっきからずっとそこにいたのかもしれない。どうも自分の目は時々節穴になる傾向があるようだとロイは苦笑した。
 エドワードを地面に下ろしてやると、彼はリンディの方をちらちら見て恥ずかしそうに錬成陣を描いた紙をたたんだ。つまり、同年代の女の子の前で、保護者に甘えてしまったのが恥ずかしくなったのだろう。男の子とはそういうものだ。少しさみしいが。
 こうやって親は子離れしていくんだなあと、見当違いのことを考えながら、ロイは当初の目的をどうにか思い出した。地下室と地上とをつなぐあの窓の辺りに何か手がかりがないかを探しに来たのだった。
 手始めにはしごに上って窓を眺めてみたり、一段ずつ下りながら壁を注意深く見ていく。色が変わっているところはないか、押すと開くからくりはないか。
 何も見つからないまま最後の段になり、とうとう両足が地面についた。
 エドワードがはしごを錬成するのに土と草を使ったために、地面は少しえぐれている。そして、これまで地面の下におさまっていた壁の一部が日の光の下に顔を出していた。
「エドワード、よくやった」
 褒められたエドワードのほうはきょとんとしているが、ロイは構わずさっきのようにその頭を撫でた。
 土で湿った壁の片隅に、見逃してしまいそうなほどに小さな錬成痕。
 地下へのもう一つの入り口は、おそらくここだ。