blind summer fish 5


 それにしても興味深いのは、エドワードの反応だった。
 「あのやろう」なんて言いながら、父親の本を大事そうに扱っている。こころよくは思っていなくても、嫌いになりきることは出来ないのだろうか。ひょっとしたら、父親としては尊敬できないけれど錬金術師としては敬っているのかもしれない。考えてみれば、そのほうがすんなりと納得がいった。
 それを証拠に、ロイが前々から疑問に思っていたホーエンハイムの論説についていくつか質問すると、エドワードは父親の本を丁寧に開いて該当箇所を探し、出来うる限りの回答を寄越した。彼は隅々まで読んだのだろう、父親の著書を。おそらくこの親子の関係は、端から見ればとてもねじくれていて、けれどある種の確固たる絆が結ばれている。それを悲しいとみなすか否かは、彼ら親子にとっては何の意味もなさないに違いない。
 一方アルフォンスのほうはといえば、父親の不在に対する寂しさはあっても、エドワードのようにひねくれた感情は持っていないようだった。少しずつ話を聞いていくうちにホーエンハイムが具体的にいつ頃消息を断ったのかがわかって、その時期を知ると、なるほどアルフォンスが父親を純粋に慕うわけがロイにも飲み込めた。幼かったのだ。エドワードも同じように幼いといっても、一年の差というものは大きい。生来のものかそれとも必要にせまられてか、弟を気遣う気持ちがエドワードはとても強くて、それがホーエンハイムへの感情を複雑なものにしている。
「それにしてもすごいね。この暗号は私もなかなか解けなかったのに」
 すらすらと暗号の下に隠された文章をたどるエドワードの手が、ふと止まった。見開きのページをのぞきこんでいるために顔が見えない。応答もない。なにかまずいことでも言ったか、とロイが焦ったところで、アルフォンスがのん気に言った。
「とうさんがヒントをのこしてってくれたんだよ」
「アル!」
 慌てたエドワードがアルフォンスを制したが、もう言ってしまった後だった。ロイはその慌てようがなんとなくおかしくて、口元がほころぶのを抑えながらアルフォンスに尋ねた。
「ヒント?」
「うん。これです」
 元気よく返事をしたアルフォンスは、机の引き出しから一冊のノートを出して持って来た。開くと中には、本のタイトルと暗号の初歩的な手ほどきが、幻の二冊の筆跡と同じ字で書かれていた。
「エドワードくん」
「エドでいい」
「では、エドワード。顔を上げてくれないか」
「……やだ」
「何か私は失礼なことでも言ったかな?」
「……べつに」
 多分仏頂面で言っただろうエドワードは、しばらく経って決まり悪そうに呟いた。
「なんか、ずるしたみたいでヤだ」
 今度こそ、ロイは笑いを抑えきれなかった。くすくすどころか盛大に笑った。
 ずるしたみたいでヤだ。
 このこどもは、自分の四倍の年齢の大人、しかも仮にも国家錬金術師を相手に「ずるをしたみたいで恥ずかしい」と言ったのだ。つまり、ロイと対等であろうとしたということで、これがおかしくないはずがない。ロイの質問に可能な限り答えていた、まるで大人みたいな対応との差があまりに大きい。
「なんだよ、わらうなよ!」
 頬を膨らませて小さな手でぽかぽかとたたいてくるエドワードを、ロイは好きなようにさせた。エドワードが疲れて、拗ねたようにそっぽを向くまでロイは笑い続け、何が起きたのかわからないアルフォンスが不思議そうにその様子を眺めていた。
「それは、ずるとは言わないよ、エドワード。著者自らが正当にヒントを与えてくれたんだからね」
 どうにか笑いをおさめたロイが目尻に浮かぶ涙をぬぐいながら言うと、エドワードはロイの頭をぽかりとたたいて「もういい!」と不毛な戦いに自分で幕を下ろした。



「ところで、この本は持っていくのかな?」
  ロイは一軒家に一人暮らしなのでスペースは充分にあまっている。この書斎丸ごと持っていってもなんとか押し込めるだろう。
「ううん、もってくのはトランク一コ分くらいでいい」
「父さんの本はぜんぶもってくんだよね?」
「ばらばらになってる紙きれも持ってきたいな」
「けっこうかさばりそうだよね。ほかは?」
「あとはウルシュの本かな」
 ウルシュ、とは医術を学んだ錬金術師で、その著書はロイの蔵書にもある。
「それならうちにあるから、それを貸そう」
「じゃあ、父さんの本も――」
「いや、それは持ってきなさい。だいぶ書き込みもしてあるようだし、なじんだ本の方がいいだろう」
 さっと辺りを見渡した限り、明らかに一番読み込まれていそうな父親の本は、やはりこどもたちが持っていたほうがいい。
 トランクを取ってくるという兄弟に手伝おうかと申し出ると、それは自分たちでやるからいい、とはっきり断られた。書斎から出てすぐの居間で待っていて、と言い残し、二人は部屋を出て行った。