blind summer fish 51

 フュリーに謝ってからロイはその足で一人、将軍の執務室へと向かう。入室の許可を得て扉を開けると、彼は二人用の小さなテーブルに着いて一人でチェス盤とにらめっこをしていた。
「ああ、ちょうどいいところに来たね、マスタング中佐。さあ、ここに座って相手をしたまえ」
 ロイのチェスの腕は習いたての頃よりは上達したので、ごくたまに勝利をもぎ取るようにはなったが、仕事の話をしながら片手間に出来るほどにはうまくない。誘いは恐縮しながら断って、テーブルの脇に立った。
 まだ確かなことは掴めていませんが、と前置きして、今日診療所で見つけた死体のこと、白い粉のことを軍内部の人間が関わっている可能性を含めて手短に告げる。養い子の錬成の上達については、かろうじて思いとどまることが出来た。ホークアイ少尉がこの場にいたら、誉めてくれるかもしれない。
「ドクター・タガートか。研究所勤めが随分長いようだね。今の所長より長いんじゃないかな。私がここに赴任したときに所長と一緒に挨拶に来たよ」
 しかし、東部出身でも東方への配属は長い間なかった将軍――ファニングがタガートと顔を合わせたのは、そのときが初めてだったという。
「君は彼を信用したのかね?」
 ロイが己の疑念も述べたことを受けてか、ファニングは改めて尋ねた。
 東部での生活が長いなら、それなりに軍人との関わりも多く、又深いだろう。はたして、彼が信用に値する人物かどうか、ロイが抱いた印象も判断材料にしたいらしい。
「100パーセントというわけではありませんが、仕事はきっちりしてくれるものと思っています。職人タイプと言いますか」
「そんな感じはするな」
 まるで大工や金物職人のような印象を受けた、と初対面時の感想を述べたファニングは「しかしまあ、よく引き受けてくれたものだ。ああいう人間は君のようなタイプは好かないものと思っていたが」と首を傾げた。
「面と向かって、嫌いだと言われましたよ」
「君もまた、年上やら上官やらに嫌われる要素を沢山持っているからねえ。次から次へと枚挙に暇がない」
「そのようなことは本人を目の前にしておっしゃらないでください」
 すまなかった、と悪びれたふうでもなくファニングは苦笑した。
「誤解されるような言動は慎みなさい、と言いたいところだが、上に従順な君なんて君らしくない」
「従順でなければ、出世は出来ませんよ」
「その理屈でいうと、私も従順だったということになるな。私の場合は、従順というより、イエスマンなだけだったがね」
 言われたことを言われた通りにやる。そして年齢を重ねれば、自動的に将軍職まで昇格する。自らの履歴を揶揄するファニングに対して、ロイはコメントを差し控えた。ただのイエスマンがこの椅子に座れるものか。
「先の内戦のあとで君の昇進が一階級に留まったのは、当時話題になったものだよ」
「死んでませんからね」
 自分を追い越して行った者など大勢いる。死者の列に加わって、大佐の地位を得た者など。山のように。
「そういうことではないよ」
「わかっています。……申し訳ありません、少し感情的になりました」
 気にするな、というようにファニングはひらひらと手を振り、気分転換にチェスでもしないかと再度誘ってきたが、ロイも再度丁重にお断りした。
「クローズ中佐もあれで出世欲だけはあるんだがな。いかんせん、能力が伴わないようだ。今回の件に関わりがなければ、とっととセントラルに戻ってほしいものだね」
「……同感です」
 人にちょっかいをかける暇があったら、その分働けというのだ。
「関係がないほうがいいんだがね。軍内部の人間が関わっているとすれば、私はうかつに動けないから。任せるよ、マスタング中佐」
 ファニングは、にやりと笑った。
「好きなように動いてみなさい」
「よろしいのですか?」
「ネズミを狩る猫になってみたまえ」
「猫、というより狗ですが」
  以前と似たようなやり取りを繰り返すと、ロイはこれまでに幾度も幾度も繰り返した敬礼をし、決意を改めた。
「何事もなければ、それでよし、なんだがねえ。たいして役に立たなかった私の勘も、今度ばかりはきな臭さを感じとっているよ」
「ならば、確かでしょう。今の位にまで上られたのですから、勘をお信じにならなくてどうするのですか」
 長年の経験は、直感を育てる。年を取るにつれ五感は衰えるが、この手の直感については同じようには衰えないものだ。ロイは自分に年の上で経験がない分だけ、長く生きている人のことが羨ましいと思った。
「ところでマスタング中佐。当時のこの地域で何か起きた事件がないかについては、私もセントラルにあたってみようかと思っている。この司令部に残る資料は損傷が激しいようだからね。時期によってはごっそり抜けている」
「ドクターからの結果報告を待って、その結果如何では私も情報部の友人に頼んでみるつもりです」
「情報部?……そういえば、明日、その情報部から人が来ることになっている。目的は知らされてないがね」
 将軍は机の上を探り、名前を書き付けたメモを読み上げた。
「マース・ヒューズ大尉だ。明日の11時に駅に着くことになっている」
 よりによって、向こうから来てくれるとは。眼鏡にひげ面の友人の顔が頭に浮かぶ。
「その顔からすると、友人というのはこのヒューズ大尉のことかな」
「ええ、はい。士官学校時代からの友人でして」
「秘書にでも迎えに行かせるつもりだったが、じゃあ、君に行ってもらおうかな。積もる話もあるだろうしね」
 駅から司令部までの道のりで、何か算段することがあればしてくればいいということだろう。有用な計らいをありがたく受け取り、ロイは執務室を辞した。