blind summer fish 53

 午後になってイーストシティーの中心にある駅のホームで待っていたロイは、似合わないちょびヒゲを生やして眼鏡をかけたヒューズが迎えを探してきょろきょろしているところに手を挙げて注意を引いた。
「ヒューズ!」
 親友はロイの姿を見とめると、小さな荷物を抱えた姿で驚いたように近づいてきてこう言った。
「よう、パパ!なんだその不景気な面は」
 パパ。なんていい響きだろう、パパ!
 ただ、そう呼んでほしいエドワードとアルフォンスではなく、呼んだのがちょびヒゲ眼鏡男だったので、嬉しさは欠片もない。
 ロイのそんな心の内はちっとも気にとめず、ヒューズは「車か?」と聞きながら出入り口に向かって歩き出す。
「まさかお前が迎えに来るとは思わなかったな。パシリさせられてんのか?それともサボりの口実か?」
「冗談じゃない。これは将軍のご厚意だよ。ちょっと問題が起こってな、お前に頼みたいことがあるんだ」
 わざわざ汽車に長時間乗ってやってくるのだから、電話ではすまない用事なんだろう。おまけに彼が面会の許可を取っている相手は東方司令部の司令官である。
 何の件であるかすら言わないのだから、周りに伏せておきたい内容と思われる。場合によっては、司令官に会ってとんぼ返りの予定かもしれない。
 そういうロイの予想は、後半だけあっさりと覆された。
「休暇取って来たからちょうどいいな。あ、お前んち泊めてくれ」
 あっさりと。
「何しに来たんだ、お前は」
 車の前で拍子抜けして鍵を取り落としたロイに構わず、ヒューズは「やっとおチビちゃんたちに会えるのかー、嬉しいなー!」などと喜んでいる。
 二度ほど鍵を挿すのに失敗してロイがようやく扉を開けると、ヒューズは荷物を後部座席に放り込んで助手席にさっさと座った。
 運転席にロイが座るなり、口を開く。
「用件はまだ言えないんだけどな、代わりにお前の頼みごとってのは聞いてやるよ。休暇は一週間取ってきたからその間な」
「それ、一週間分の荷物か。少ないな」
「タオルはお前んとこで借りるだろー、さすがに下着はお前のなんて借りたくないから別として、服は足りなくなったらお前の適当に着るし」
「うちはホテルじゃないぞ」
 下着だって頼まれたって貸してやるか!と幾分むっとしたロイは、ようやく本題に入った。せっかくの休暇だが、ヒューズはすぐにセントラルへ戻ることになるだろう。
「NDという薬と開発に携わった者達について調べてほしい。リーダーはすでにこの世から消えてるそうだがな」
 タガートから教えてもらった名前を告げると、ヒューズは「そりゃ大物だ」と口笛を吹いた。
「名前はよく聞いたことがある。つーか、エーゲルのジジィが事ある毎に名前出してたんだよ。虎の威を借る狐だな。話によればお前と共通点がないでもないぜ、ロイ」
 嫌な予感がするが、ロイが本題を続けるより先にヒューズが余計なことを言う。
「女癖の悪さで有名だったそうだ。まあ、俺らが生まれるよりも前の話だけどな」
「それのどこに共通点があるんだよ。私は女癖は悪くない。いつも、誠心誠意、相手の女性のことを考えておつきあいしている」
「嘘つけ」
 人の言葉を一刀両断したヒューズにどうにか拳を振り下ろすのを我慢して、ロイは真面目な話を続けた。NDに関してざっと説明をし、タガートのこと、地下室での死体のこともかいつまんで話す。
「せっかく東部まで来たのにご苦労だが、用事が終わったらすぐに取り掛かってほしい」
「いや、セントラルには戻んないけど?」
「じゃあどうやって調べるって言うんだ」
 件の将軍閣下は元セントラル在住であるし、彼の名前が載った膨大な名鑑は中央司令部にあるはずだ。しかしヒューズはあっさりと答えた。
「アームストロング少佐に頼むよ。そんで資料をこっちに送ってもらう。その将軍閣下の生家、イーストシティーにあるし。墓もこっちだ」
「戻れよ、セントラルに」
「お前ひょっとして、おチビちゃんたちを俺に会わせたくない?」
「当然だ。何を吹き込むかわかったものじゃないからな」
「吹き込むって何をだよ。引き取る前は遊び歩いてたことか?士官学校時代、気に食わない教師のベッドにふくらましたカエルを入れたことか?あれは結構スプラッタだったな。ああ、それとも、一時に最高何人とつきあってたかとか?確か最高はえーと――」
「黙れこのろくでなし。今すぐ消し炭になるか車から飛び降りるかどっちがいい?選ばせてやるさあ選べ!」
 って言っても発火布してないだろ今、と冷静なヒューズの指摘に舌打ちしながら、ロイは乱暴にハンドルを右へと切った。
「で?何でへこんでんだ?」
 親友にはお見通しだったらしい。
 気づいてほしかったというか、ほしくなかったというか。言えば絶対にからかわれる。でも誰かに聞いてほしい。となれば、気心の知れたヒューズは相談相手として適任なんじゃないか。いや、でもこどもたちに過去の醜態を吹き込む危険性のある奴だ。
 この期に及んでまだぐるぐると考えあぐねているうちに、車はどんどん司令部へと近づき、結局へこんでいる理由を話せないまま、ロイは車から降りる羽目になった。回り道をすればよかったと思っても、あとの祭りだ。

 先に用を済ませる、とヒューズはロイに司令官の執務室へ案内させた。階級の差は元から二人とも気にしていない。廊下をすれ違う者たちは、マスタング中佐の肩をばんばん叩いて気安く言葉を交わす尉官をぎょっとした顔つきで見て行ったが、二人にとってはそれも気になることではなかった。
 友人との親しい空気は、執務室に入ると途端にきりっとしたものになった。
「中央情報部所属、マース・ヒューズ大尉であります。閣下にはお時間を割いてくださったこと、感謝いたします」
「ヒューズ大尉、かたくるしいのは嫌いなんでね、用件を言いたまえ」
 敬礼を解いたヒューズは、ロイをちらっと見た。
 席をはずせ、という目配せにロイが執務室を辞すより先に、ファニングがのんびりと言う。
「それはマスタング大佐に関わることかい?」
「いえ、彼個人に関することではありませんが」
「なら、いいだろう。プライベートなことではないのなら、実際に動くのはマスタングくんなんだからね」
 すっかり隠居ジジィを気取っているファニングは、年若い士官二人にソファーを勧め、手ずからコーヒーを入れる。ロイはそういう将軍にはもう慣れたし、ヒューズの方はこういう人なのかあだったらいっか入れてもらおう、くらいにしか思わなかったようで、慌てることもなく座っている。
 ミルクは?と言われてロイはつい「多めに」と答えた。ミルクの匂いがするとエドワードが嫌がるので、家ではコーヒーにミルクを入れられない反動なのか、司令部に来るとなんだかこれでもかというくらいに入れてしまう。紅茶に入れるミルクは平気なのにコーヒーには駄目、というエドワードの好き嫌いの基準もよくわからない。
 嫌い。
 ……嫌いという言葉はきついなあ。とロイはため息をつく。
 ファニングはロイの希望通り、ミルクをたっぷりと入れ、コーヒーというよりはもはやコーヒー牛乳と呼ぶしかないそれをテーブルに置いた。ヒューズのほうはブラックのままだ。
「さて、話を聞こうか」
 コーヒーを一口飲んだヒューズは、頷いて話し出した。
「今回、こちらに参った表向きの理由は、近いうちに異動の命令が下され、東方司令部に多少の組織変更が必要であるとの連絡をするためです。ですから、私一人で参りました。このことを将軍にお伝えしたあと、そのまま休暇に入ってよいことになっています」
 表、と称したからには裏がある。
 こいつ、ひょっとして休暇どころかこっちでこそこそ調べまわるつもりなんじゃないか?だからこそ、セントラルには戻らない、と言った――。
 ロイは自分の頼みも本来の任務のついでに引き受けてくれたのだと悟り、教えてくれなかった友人にひそかに腹を立てた。
 しかし彼は情報部所属の軍人であり、情報を秘すことの大切さをよく知っている。たとえ、それが親しい友人であってもだ。
 こういう点では徹底的に公私の区別をつける器量をロイは気に入っているし、ヒューズを信頼する要因でもある。だがそれでも、隠し立てするなよと思ってしまうのだ。
 ロイのそんな思考が表情に出てしまったのか、ヒューズがロイに向かって肩を竦めた。ごめんな、の意だ。
「ファニング中将、マスタング中佐。私はあくまでも、異動の通達と休暇のために滞在する、という名目になっています。そのことをどうか、念頭に置いていただきたい」
 ファニングはカップ片手に頷き、ロイも同じように首を縦に振った。
 ヒューズは二人が聞く態勢に入っていることを確認して、声を潜めた。万が一、扉の向こうに漏れたらすべてが終わるとでもいうように。
 二人は身を乗り出して、ヒューズの言葉を待った。
「東部で不穏の動きがある、との情報をつかみました。そして今、セントラルの下町で蔓延している麻薬との関わりが指摘されています。どうやら、マスタング中佐に聞いた件と無関係ではなさそうです」
 奇妙な二つの死体は、大きな事件の幕開けに。