blind summer fish 63

 何があっても必ず夜は明ける。大地も空も、ちっぽけな人間の感情になどおかまいなしに、陽は昇るし風は吹く。
 一晩中カーテンは開けっ放しで、窓の外には薄紫がかった朝焼けが見えた。朝焼けを見るのは別に珍しいことではない。夜勤明けで天気が良ければ簡単にお目にかかれる。
 いつもの朝焼けと、少しも違うところはなかった。赤みがかったのが薄紫に変わって、青い空になる。いつもと同じ。
 ロイは立ち上がると下着だけ替え、客用の寝室へ行った。扉を叩くより前に、中からヒューズが出てきた。おはよう、と声をかけると「おはよう」と返ってきた。疲れた声だった。
 示し合わせたわけでもないのに、まっすぐ玄関へ向かうロイにヒューズは「朝飯は?」とは聞かなかった。朝食の席で顔を合わせるのが気まずくて、結局兄弟が起きる前に逃げ出したのだ。お互いに。
 玄関のドアノブに手をかけたところで、家中で誰よりも早起きのメリッサに
「先延ばしにすればするほど、辛くなりますよ」
と言われたが、昨日の今日で心の準備をするのは無理だった。
 彼女の言葉は正論だけに胸に痛い。
 司令部につくとまず、ロイはヒューズを仮眠室に放り込み、司令室には顔を出さずに執務室へ入った。少しもしないうちにホークアイが来て、おはようございますと頭を下げたが、明らかに不思議そうにしている。
「早く目が覚めて、することもないから出てきた」
というのは嘘だったが、ホークアイにはばればれだったようで、彼女は「毛布持ってきます」と言ってさっさと退室してしまった。事実、昨夜は一睡もしていない。普段なら一晩くらいの徹夜ならなんともないが、身体的な疲労と精神的な疲労が重なっては仕方がない。
 戻ってきたホークアイは両手で枕と毛布を抱えていた。
「仮眠室にヒューズ大尉がいらっしゃいましたが、昨日何があったのか聞いてもよろしいですか?」
 元々とそう無口というわけではなかったが物静かだったホークアイは近頃少し饒舌になった。こどもたちは確実に彼女にも影響を与えている。
 髪に水をしみ込ませるように。
 彼女はこどもたちから、ヒューズに投げられたのと同じ疑問をぶつけられたらどう答えるのだろう。素直な彼女のことだから、正直に答えるだろうか。それとも感情を抑制して嘘をつくか。
 聞いてみたいと思ったが、はばかられた。
 沈黙を否定と受け取ったのか、彼女はさしでがましいことをいたしましたと謝り、ソファーに持ってきたものを置いて出て行った。
 入れ替わりにハボックが来て湯気を立てるカップを置いて、やはりすぐに出て行った。ありがとうを言う間もなかったのは、ホークアイに言い含められていたからに違いない。
 カップの中身はコーヒーでも紅茶でもなく、ホットミルクだった。
 寝る前にカフェインの入っているものは良くないと気を回してくれた結果だろう。
 飲んでみると普段より甘い。砂糖が入っていた。
 優しい味にほっとする。エドワードが嫌いな飲み物にほんの少しでも癒されているという事実は皮肉なものだった。
 皮肉といえば、今回のことで嬉しかったことが一つある。
 こどもたちは人を殺めることをいけないことだとわかっていた。英雄だとはしゃいで喜ぼうものなら、きっと今以上にどうしてよいのかわからなくなっていた。
 だからそれだけは、本当に良かったと思うのだ。
 カップの底にとけきれなかった砂糖が残っている。かきまぜるのも忘れるほど、急いでくれたのだろう。口には出さない部下の優しさがありがたかった。
 けれどその甘さは、心に少し苦くもあった。
 アルフォンスが迷子になってようやく探し出したあと。アルフォンスもエドワードも眠ってしまって、その寝顔を眺めながらホークアイと話したことがあった。
 人の命を救うために人を殺す矛盾を、これからもずっとねじ伏せ続けていくと決めていた。
 偽善と誹られようと、矛盾と罵られようと上を目指すことを誓った。
 それがどうだろう。これほどまでにあっさりと、簡単に崩れてしまいそうになっている。矛盾の上に成り立つ信念は弱い。いや、自分という人間が弱いのだ。
 罪滅ぼしより、偽善より、なお悪い。
 自分のためだけに幼いこどもを利用して、家族になれた気がして、幸せな時間を過ごした。そんな資格があるわけがないのに。
 一晩中考えたことは頭にこびりついて離れない。彼らに注いだ愛情すら疑わしい。どこまでが本当の愛情なのかわからない。もうわからなくなった。


  仮眠室に放り込まれて、ヒューズは途方にくれていた。いくつもあるベッドは半数近くが埋まっていて静かな寝息といびきが周りを取り囲んでいるし、一睡もしていなくて身体は疲れてもいるが、何も考えずにひたすら眠りを享受するほど疲れているわけでもない。いっそ今から30kgの荷物を背負った10km行軍でもして、気絶するように眠りたい気分だ。気絶すれば何も考えずにすむ。逃避にしか過ぎないが。
 顔を合わせた瞬間、ロイも眠れなかったのだと知れた。ダイニングに寄らないのを見て、すぐにこの家を出て行きたいのだとわかった。ヒューズもまた同じ気持ちだった。
 好きな人がいる。最初は少し気になる程度だった。容貌が好みだった。軽い気持ちだった。
 店に通ううちに話をするようになって、彼女がしっかりとした自分の考えを持ち、他人を思いやる性質であることを知った。本当に好きになった。ふとした仕草に目を奪われる。微笑まれるとそれだけで心が温かくなった。ますます好きになった。
 少年から投げかけられた言葉を、彼女から渡されたら。考えた瞬間、怖くなった。軽蔑でも嫌悪でもいい。けれどあの優しい目に恐怖が浮かんだら。
 いまさら思い悩むこと自体が愚かで、罪悪だ。取り返しのつかないことを、すでにしてしまっているのだから。
 ヒューズは起き上がると仮眠室を出た。どうせ眠れないのだから、せめて仕事をしているほうが気がまぎれる。受付でロイに伝言を頼むと、司令部の門を過ぎ、当初の予定とは違う方へと歩いた。予定していた区画にはあの学校がある。今はどうしても、そこは避けたかった。