blind summer fish 7


 「あれ?まだ休暇中じゃなかったんですか?」
 司令部に顔を出すと、ロイがイーストシティを発つ日には死にそうだったブレダが、驚いたように声をかけてきた。顔色がいつもの調子に戻っている。
 兄弟を迎えるには準備が要る。その最たるものが、自分の仕事中に彼らの面倒をみてくれる人間で、適当な人物が知り合いにいないかどうかを尋ねようと司令部に顔を出したロイである。ロイ自身、顔は相当広いが、いざ探すとなると条件に当てはまる人間がなかなかいない。五人のこどもを育てた、いわば子育てのプロといえる近所のパン屋の女主人などもいるが、彼女は今、六人目のこどもを出産したばかりでとても頼めそうになかったのだ。
 しかし出迎えてくれたなじみの部下はハボックとブレダだけで、最もあてにしていた副官の姿が見つからない。
「ちょっとした相談事があったんだが。ホークアイ少尉はいまどこにいる」
「少尉は先日の件の裏づけ操作に必要な分析サンプルを取りに研究所に行ってますよ」
 ついでだからこの書類にサインを頼みます、と言われ、ロイは受け取って一読すると、末尾にさらさらと署名した。
「事件というものは、解決するまでが大変なものだと幼い頃は思っていたが、解決した後も面倒なのだと、この仕事をするようになって知ったよ。まったく、大人になるとは嫌なものだな」
「何言ってるんすか。大変なのはホークアイ少尉でしょうが」
 ハボックの適切な指摘が耳に痛い。
「ところで中佐の相談事って何ですか?」
 勤務時間中に喫煙をしているハボックを咎めることもせずにロイは言った。
「こどもを二人引き取ることになってな。世話をしてくれる人を――」
 探している。誰か心当たりはないか。と続けようとしたロイの言葉は、部下二人の大声でさえぎられた。
「あんた、なにやってんですかー!!」
 相手の女性は?中佐、子持ちだったんすね、しかも二人も!と興奮する部下をロイはうんざり顔で眺めた。
「早とちりするな。私にこどもはいない」
 引き取るのは会いに行ったホーエンハイムの息子たちだと教えると、ハボックはもう一度「あんた、なにやってんですか」と呆れたように言い、ブレダはブレダで「それでもホークアイ少尉が知ったらどうなることやら」と背筋をふるわせた。壁の弾痕がニ、三増えるかもしれない。
「引き取るっていったって、中佐にこどもなんて育てられるんですか?その年で?」
 もくもくと煙草の煙を吐く部下を見て、ロイはこどもたちとハボックが会うことがあったら、そのときだけは喫煙をやめさせようと胸の内で思った。
「だから面倒を見てくれる人を探している。それを聞きに来たんだ。誰か心当たりはないか」
「ないっス」
「ありませんな」
 部下の返答はにべもない。
「しかしなんでまたこどもなんか引き取ることにしたんですか?」
「ホーエンハイムでしたっけ。中佐のお知り合いで?」
 ロイのこどもではないとわかっても、どうしてそんなことになったのか、二人は興味深々らしい。それまでの暇そうにしていた様子が嘘のようにいきいきとしている。
「詳しいことは少尉が戻ってから話す」
「では、今すぐ話していただきましょう」
 少々の怒りと大量の呆れを含んだ声が戸口から聞こえた。
 ハボックとブレダはおそるおそる振り返り、そろそろと彼女の前に道を開ける。
 一方ロイは一番あてにしていた人物の登場に、嬉しそうに話しかけた。
「待っていたよ、少尉。四、五歳のこども二人の面倒を見てくれそうな知り合いがいたら紹介してほしい」
「つまり、それは中佐と結婚の噂が立つ恐れのない、ある程度お年を召した方でなおかつ身元のしっかりしている女性ということでしょうか」
「有能な部下を持てて嬉しいよ」
 私はこんな上司を持って大変不幸せです。ホークアイの顔にはそう書かれている。
「引き取られるこども二人とはエルリック兄弟のことですね」
「あれ?少尉はご存知なんですか?」
「中佐の元に彼らから手紙が来たのよ。父親のホーエンハイムの居所を知らないか、と」
「ホーエンハイム氏は一部では有名な錬金術師なんだ。そのこどもたちならばさぞかし将来に期待できそうな才能を持っているだろうと思って会いに行ったらこれが期待以上で――」
「それで後先考えずにお約束をなさったわけですね」
 ぴしりと言うホークアイの顔に、どっと疲労の影がやどった。
「心当たりはないこともありません」
 ため息をついたホークアイとは対照的に、ロイの顔は明るくなる。
「私の隣に住んでいる女性が、ちょうどその条件に当てはまりそうです。名前はメリッサ・アームストロング」
「アームストロング……ひょっとして、夫はアームストロング家の人間かね」
「本人も遠縁だそうです。少佐にお尋ねになられればよろしいかと」
「早速少佐に電話をしてくれ」
 ホークアイは近くの受話器を取り上げ、交換手に中央司令部の情報部につなぐように告げた。
「アームストロングといえば、代々優秀な軍人を輩出している名門ですな」
「そんな名門の息子さんと知り合いなんて、けっこうなツテですね」
「イシュヴァールで知り合った。彼も国家錬金術師だ」
 豪腕の錬金術師、アレックス・ルイ・アームストロングは、かの地で死闘を共にした仲間だった。死闘……いや、あれは虐殺だった。「少佐ですか……」とブレダが不思議そうに呟いたが、それはきっとイシュヴァールを経験したものがいまだ少佐の地位にあることを疑問に思ったのだろう。
 イシュヴァールの内乱を経験した軍人の、その後の地位は三つの道に分かれる。
 一つは、昇進。また一つは、殉死による二階級特進。そして最後は、軍規違反による降格。
 アレックス・ルイ・アームストロングがたどるべき道は、本来なら一番後者のはずだった。しかし名門の肩書きと、彼自身の国家錬金術師であることの価値が、少佐の地位に留まることを許した。少佐本人は不本意というより、むしろ後悔の念しか残らない人事だっただろう。彼の性格からして、特例措置というものは好まないだろうから。
「どんな人物かは会ってみればわかるよ。少々暑苦しいが、信の置ける人物だ」
 電話の向こうにアームストロング少佐が出て、「おお。お久しぶりですな」と記憶に染み込んだ声が流れて来た。