blind summer fish 71

 しばらくしてホークアイがアルフォンスを抱いたまま横に並んだ。
「多分、屋根に上ろうとしたんです。音に気づいてメリッサと庭へ出たときはもう、梯子の下敷きになっていました。……理由はわかりません、何故屋根に上ろうとしたのか」
 脳裏には診療所で梯子をあっというまに錬成して小窓から顔をのぞかせたエドワードの姿が蘇る。梯子から飛び降りたこどもをしっかりと受け止めたのが随分前のことに思えた。ついこの間のことなのに。
「命に別状はないそうです。正式な検査結果はまだ出ていませんが、医師の見立てでは夜には目を覚ますだろうとのことでした」
「そうか」
「ですから中佐は一旦司令部に戻られたほうがよろしいかと」
「……すまなかったな」
「罰ゲームを考えておきますので御覚悟を」
 罰ゲーム。あまりにもホークアイに似つかわしくない表現なのでロイは驚いた。彼女は少女のように可愛らしくくすくすと笑うと、まだ腫れの引かない目を細めた。腫れが引いていない。泣いたあとなのだ。泣かせたのは自分だ。ホークアイが何も言わずとも、彼女とこどもたちの間にどんなやりとりがあったのかはわかった。予測していたのに彼女を行かせたのだから。
 それを、こんな酷い仕打ちをした自分を、彼女は笑って許してくれようとしている。見限られても文句は言えないというのに。ホークアイの懐の深さを知る思いだった。抱きかかえられたアルフォンスは彼女の服をしっかりと握っている。軍人の象徴のような軍服を、だ。それだけで、二人の間に何かしらのつながりが保たれていることがわかる。うらやましい、と思った。浅ましくも、自分を棚に上げて、うらやましいとすら。
 規則的な寝息を立てるエドワードをアルフォンスがじっと見ている。言わなければ、と口を開いたが言葉が出てこない。何から言えばいいのか、言わなければいけないのか。ついさっき何度も零した謝罪は、繰り返せば繰り返すほどまるで嘘みたいになって、誰の心にも伝わらなくなってしまうように思う。
 元に戻せないことを謝ること自体、勝手なことだ。でもそれすら、嘘だと思われたら。言えば言うほど、相手との距離は広がってしまう。こどもたちがどんどん離れていってしまう。
 一から順に、たとえば士官学校に入るところから話せばいいのか。どこから話せばいい? ただ事実だけを挙げればいい? 合間に何一つ、言い訳をはさまずに話せるか?
 答えはNOだ。何をしたって言い訳にしかならない。もう、何から始めればいいのかわからない。資料室で埃をかぶりながらの些細な決意は、所詮些細なものでしかなかった。こどもたちを前に、ほら、もう足がすくんでる。身体が震えてる。
 なんていう体たらく。
 目の前が翳った。
 小さな手が、ぺちんと額をたたく。
 アルフォンスの怒りが込められた平手打ち――と思ったら、存外にそれは優しくて、アルフォンスは二度、三度とぺちぺち叩いた。単に自身に注意を向かせるためだけみたいに。
「あのね」
と小さなこどもは言った。
「にいさん、だいじょうぶだって。おいしゃさんが言ってた。だからね、ちゅうさもなかないで」
 泣いてない。泣く権利もない。泣くという行為にすら値しない存在だから。涙だってこぼれていない。それでもアルフォンスはロイが泣いているのだと言う。「さっきのしょおいとおなじ」と言う。自分のほうが温かいくせして、ロイの手を温かいと言って握る。ぎゅっと握って、頭を撫でてくれる。ホークアイの腕の中から精一杯身体を伸ばして撫でてくれる。そのうちロイに抱っこをせがんで、戸惑いながらロイが腕を広げるとアルフォンスはぎゅっとロイを抱きしめた。
 目の前が霞んだのは気のせいじゃない。

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