blind summer fish 79

 うだつがあがらない。
 それがヴァトー・ファルマン曹長の第一印象。
 紹介者にも本人にもいささか失礼な感想を抱いたロイは、それでも顔には快活な笑顔(ハボックには胡散臭いと評される)を浮かべて曹長の挨拶を受け入れた。
 結局ヒューズ経緯で彼について調べるのは間に合わなかった。
 必要であればいくらでもそうするが、基本的にロイはまだるっこしいのが好きではない。部下をからかうときは思わせぶりなことを並べるのに労は惜しまないが、少なくとも今は遊んでいる場合ではなかった。
「ファルマン曹長。将軍もマイヤー中佐も口を揃えて君の能力を褒めていた」
 だからロイは、引きあわせてくれた将軍の執務室から出て廊下で二人きりになったとたん、そう切り出した。
「もったいないことです。お褒めいただくようなことをした覚えはありません」
「謙遜をするな」
 しらじらしいようなやり取りだが、ファルマンの薄く張られた警戒にかまうつもりはない。
「単刀直入に聞こう。君の能力とはいったい何だ?」
 わずかに目を見張ったファルマンを促し、歩きだす。彼は迷うそぶりを見せたあと、遠慮がちに苦笑した。
「マイヤー中佐からお聞きになられているのだと思っていました」
「生憎、将軍も中佐も、本人に聞けばいいと言って教えてくれなかったものでね。曹長、私は彼らに信用されていないのだろうか」
「いえ、そのようなことは」
 細い細い目は表情をあまり読み取らせないように見えるが、意外にも雄弁だった。
 ファルマンはロイの自嘲を真面目に否定しようとしている。ファルマンのひそめた声を聴き逃すまいとロイは集中した。
「能力、というほどのものではありません。ただ、人より少し記憶力がいいというだけですから」
 というのは聞いていくうちにわかったことだが、ひどい謙遜だった。
 聞き終えたロイは思わず呟いた。
「情報部が欲しがるだろうな」
 だがある意味諸刃の剣だ。
 一度目にした、耳にした情報は絶対に忘れない、かつ即座に提供してみせる。そんな能力など。
 ファルマンに覚えさせれば、資料を持ち去った形跡を残すことなく情報だけ奪うことが出来る。元のデータを破棄しても、復活させられる。使いようによっては恐ろしく有用だが、扱う内容如何では内部をゆるがすものになりかねない。
「しかしなぜあっさりと私に教えた? 聞いておいて言うのもどうかとは思うんだが」
「マイヤー中佐が……マスタング中佐ならばと太鼓判を押されたので」
 廊下を歩いて中庭に差し掛かる頃だった。今の時間、この辺りに人は少ない。
「なるほど。私ではなくマイヤー中佐への信頼ゆえか」
 まあ、初対面の相手を理由もなくまたは直感であっさり信じるような人間でも困るのだが。もちろん、時と場合にはよる。
「情報部に配属された自分を他所へ引き抜いてくださったのがマイヤー中佐でしたから」
 驚いたことにマイヤーは以前、情報部に籍を置いていたことがあるという。ファルマンの能力に気づき、自分の配置換えにかこつけて一緒に異動させたと。
 以来、吹聴することなく彼の能力を秘匿し続けているとあっては、ファルマンが信じるのも当然だ。
 ファルマン自身に出世欲があるのならば話は別だが、下手に利用されて使い捨てられるよりは目立つことなく軍人であり続けるほうを選択したのだから、ファルマンにとってはマイヤーはいい上官だったのだろう。
 ただ、ファルマンは決して己の能力を腐らせたままでいたいわけではなかった。せっかくあるのならば活用したい。そのことをマイヤーは理解してくれていたのだそうだ。そして、彼自身にはファルマンを扱うだけの器がないと思っていたのだとも。
 そこで白羽の矢が立ったのがロイ・マスタングだった。
 光栄ではあるが買いかぶられているのではないかとも思う。
「中佐はこうおっしゃっていました。マスタング中佐は甘いから、君をうまく使うだろう、と」
「……駒として、ね」
「そう出来たら楽なのだろう、ともおっしゃっていましたが」
「……まいったな」
 興味のないふりをしてずいぶんと観察してくれているじゃないか。マイヤーもとんだ食わせ者だ。
 ロイはファルマンに気づかれないよう、溜息をついた。
 とりあえず司令部本棟にいるホークアイたちに引きあわせた後、研究室棟に向かう。途中で仕事の内容を説明すると、ファルマンは「何かあっても弾よけ程度にしかなりませんよ」と自信なさげに眉を下げた。
「弾に当たってもらっても困るんだが。出来ればドクターと君の頭は無事に守り通してくれ」
「……結構無茶なことを軽く言いますね」
 特に無茶とも思わなかったのでロイは首を傾げた。
「そんなに心配しなくても、これまでの様子からするとドクターの護衛というよりは雑務の手伝い、といったところだよ。一応、入口では所属やIDのチェックを受けるが、フリーで抜けられるように頼んでおくよ。私の研究資料をドクターのところに置いているということになっているから、出入りしてもそう不自然じゃない」
「マスタング中佐は国家錬金術師の資格もお持ちでしたね。専門は焔の錬金術、とか」
 論文を読んだというファルマンにロイは驚いた。
 試しにいくつか質問してみたが、ファルマンはすらすらと答える。
「内容は覚えているんですが、理解はまったくしていません」
 理解していないのに答えられるのがすごいのだ。これがファルマンの能力か。
 ロイは表には出さずとも感嘆した。よくこれだけの人材が埋もれていたものだ。
 研究室にてすっかり助手と化しているブレダに紹介すると、交わされたのは「彼女は?」「いません」というなんともしまりのないものだった。もうちょっと、互いに警戒するとかしてもいいんじゃないか。どうもたるんでいるような気がする。
「新顔のようだが、どこから連れて来た?」
 そろそろ佳境に入ったとだるそうにつぶやくドクターにロイは笑って答えた。
「マイヤー中佐からお借りしました。データ整理に向いているタイプなのでハボックより先生のお役に立つでしょう」
 ここにいない部下をこきおろすと(彼は護衛としては有能だが頭脳労働には滅法不向きだ)ブレダが若干遠い目をした。
「データ整理なあ……」
 タガートはじろじろとファルマンを眺め、引き継ぎはブレダに押しつけた。
 相変わらずどっさりと本や資料に占領されているテーブルセットにロイを招くと、自分は適当にソファを邪魔している資料をばさばさと落として座る。まさか同じようにするわけにもいかないので、ロイはそれらを揃えて自分の場所を確保した。
「お前んとこのちびっこはどんな具合だ?」
 まっとうに世間話から入るドクターに珍しいものを見るような視線を向けてしまったのか、ドクターはいやそうな顔をした。
「俺がちびっこの心配をしちゃおかしいか」
「い、いえ……経過は順調ですよ。頭を打ったので検査では問題なかったようですが一応様子見ということで入院しています。足も骨折してますし」
「走り回りたい年頃には辛いな、骨折」
「ベッドを抜け出さないように本を与えてありますから」
 疲労がたまっていたこともあってか、エドワードは日頃よりよく寝た。といっても日がな一日寝ているわけではなく、アルフォンスの世話と家事があるメリッサが常につきそっているわけにもいかず、こどもは早くも暇をもてあまし始めた。だから、夜ふかしはしないように、としっかり言い含めて錬金術の本を置いてきた。あの年頃で錬金術の本(それも入門者用ではなく、少し難度をあげたもの)をお見舞いに持って来られてあんなに喜ぶこどももそうはいないだろう。ああいうのを早熟の天才というのだ。二十歳すぎればただの人、とはよくいったものだが、エドワードやアルフォンスはきっと長じても天才と呼ばれるだろう。もっとも、彼らを導く役割はロイが担っているのであり、責任重大だとは思っている。が、指導者の良し悪しなど関係なしに彼らは伸びて行くはずだ。というのは親馬鹿かもしれない。
 こどもたちの将来を考えてにやにやしているロイをタガートは胡乱げに見やった。
「そんなに可愛いのか」
「可愛いですよ。世の親が子の写真を見せびらかしたがるのもよくわかります。……そうだ、写真撮らなくては!」
「馬鹿じゃないか……?」
「撮ったら見せますね」
「いらんわ」
 世間話など振るんじゃなかったと後悔したタガートは、ロイの自慢をようやくさえぎって本題に入った。

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