blind summer fish 8


 今でも時折夢を見る。焔と煙と砂埃、そして赤にそまった大地。
 いつ敵が出てくるとも知れない街に、無防備に足を踏み入れ、胸に銃弾を受ける。痛みに胸をかきむしると、真っ赤な世界は遠ざかり、暗闇が視界を満たす。ああ、夢だったのか、と気づいて大きく深呼吸をする。そんなことを何度も繰り返した。
 イシュヴァールの内乱のみならず、戦争というものは、人の、人としてのあり方を無残に押しつぶしていく。無事に五体満足で生き延びて銃後の世界に戻って来ても、精神に異常を来たす者は多かった。上級の士官ならばともかく、下級兵士はわずかばかりの報奨金を与えられ、心の救済など考えられもせずに捨てられる。まさに使い捨てということばがぴったりだった。
 彼らの一部は徒党を組み、戦争を続ける大総統以下軍部にゲリラ的な戦闘行為を仕掛けた。ロイもその鎮圧に赴いたことは何度もあった。不毛だと思った。戦争から生き延びて、なおも無意味な戦いを挑み続けることなど。
 ただ、彼らを馬鹿げているとは思えなかった。もちろん、ただ日々を生きている民を巻き込んで傷つけることに賛同は出来ない。その意味では彼らは間違っている。
 しかし、武力を持って国内の、あるいは他国に対抗するのが国のやり方ならば、国民がそれを真似るのを避けることは出来ない。この国は、そうやって無限の負の連鎖を担っていく。
 ある種、戦争で狂ってしまうのは正常なことなのかもしれない。あの異常な状況で平静を保っているほうがおかしいのだ。人を殺すことで表彰され、人を殺すことで仲間から称えられ、敵を滅することで己の身の安全を得られることに安堵する。そんな世界を受け入れて生き延びた自分も、多分どこか精神の歯車が狂っているのだろう。いくら、この国の頂点にのぼりつめて、無意味な戦争を終わらせようと思っているにしても。
 何度も見る夢は、狂った歯車を少しずつ正常へと押し戻していくきっかけなのかもしれない。恐怖と不安、深い悔恨が夢を見るたびに押し寄せ、あの戦いがどんなものであったのかをまざまざとつきつけてくるのだから。
 東の、シンの国をさらに超えた先にある国では、昔、不思議な形態の戦争があった。ロイは古い書物でその記述を読んだとき、驚愕した覚えがある。
 戦争は多数対多数で行われるのが通常だ。しかしその不思議な戦争は、互いに一人の将が大勢の部下を連れて対峙する。しかし戦うのはそれぞれの将だけ。一騎打ちで片がつく。民に、ひいては部下にも無用の犠牲を強いない、武力を争いで解決する場合の最善の方法だと思った。
 イシュヴァールの地に張ったテントの中で、アレックス・ルイ・アームストロングにそのことを話したことがある。
 鍛え上げられた筋肉に反して顔が幾分やつれたアームストロングは、『それはいい方法ですな』と久しぶりに笑顔を見せた。
『それが武力ではなくじゃんけんになればもっといい。そして最終的には話し合いで解決できることになればいいと我輩は願っています』
『いつか、そんな日が来ればいいな』
『ええ』
 同じ少佐という地位にありながら、アームストロングはロイに対してとても丁寧に接した。幾度もそう堅苦しくしないでくれと頼んだのに、彼は出会った頃からずっとこうだった。
 元来、この手の人間はロイは不得手だったが、アームストロングに関してはすんなりと受け入れられた。彼の暑苦しくも優しい気質が、心地よかったのかもしれない。
 しかしその優しさが、この地では仇となる。前線で一瞬でも気を抜けば、死あるのみだ。本人だけでなく、周りにいる仲間も。ロイにはアームストロングに厳しいことばをかける必要があった。
『だが今は、目の前の彼らを倒さなければならない』
『わかっています』
『今だけは、情けは無用だよ、アームストロング少佐』
『わかってはいるのです。わかっては……』
 アームストロングが幼いイシュヴァールの少女を助け、軍規違反としてセントラルに送り返されたのはそれから間もなくのことだった。


『我輩は、それでも軍人をやめようとは思わないのです』
『私も君にやめてほしくはないと思っているよ』
『しかしこのまま軍人で居続ければ、いつかまたイシュヴァールのようなことが起こります。……夢を見るのです。悪夢を。この手で何の罪もない人々の命を奪ったときのことを』
『君だけではない。私も戦地から戻って以来、何度も夢を見た。皆そうだ』
『マスタング中佐もですか?』
『なんだね、私が悪夢にうなされるなんて想像がつかないかな』
『いえ、そういうわけではありませんが……中佐は夢を見たあと、どのような気持ちになりますか?』
『どんな気持ちか……そうだな、自分の中の狂ったところが、だんだん正しい状態に戻っていくような気分だろうか。恐怖と不安、悔恨の情が押し寄せてきて、あの内乱が決して正常なものじゃなかったことを教えてくれるんだ』
『我輩、そのような考えは初めて聞きました。……決してあの夢は悪いものではないんですな』
 アームストロングは憑き物が落ちたみたいな笑顔を浮かべ、ロイも笑い返した。ちゃんと笑えていればいい、と思いながら。