※やたら大佐と豆が一緒にいますがハボエドです。間違いなくハボエドです。

クローズゲーム


 エルリック兄弟がイーストシティにとどまって六日目の朝。空はそのほとんどがどんよりとした灰色の雲に覆われていた。
 持病のある者が身体の調子から明日の天気を予測することがあるように、空の様子からその日の行く末を暗示する人々もまた、存在していた。今にも雨を零してしまいそうな空を見上げて、街の商店主たちは早くも今日の客足が鈍ることを考えて眉を顰めている。
 そして、街を望む広大な敷地を擁する東方司令部でも、一部の人間たちが同じように空を見上げてため息をついていた。
「こういう日って何かが起こりそうな気がするんですよねえ」
 以前に拾った、今はホークアイ中尉が飼い主となっている黒い子犬を抱きながら、曹長は呟いた。彼の言葉に頷くようにして腕の中の子犬が一声、ワンと鳴く。
 その愛らしさにわずかに口元を緩めたホークアイが次の瞬間、廊下へと続く部屋の戸口に目を向けた。廊下をばたばたと慌しく駆けてくる軍靴の音が聞こえる。
 その足音は戸口の向こうで一旦やみ、騒々しく扉が開け放たれた。
「犯行予告です!」
 部下の手には一枚の紙が握られている。軍に届いた封書の類はまず余程のことがない限り検閲を受けるから、中身を確認してすぐ、彼が走って伝えにきた、というわけだった。
 大佐に知らせるように、とホークアイが命令するより早く、ハボックが廊下へと出て行き、伝達に来た部下も元の受け持ちに戻って他に予告の類がないか調べます、と言って同じように出て行った。
 残った面々は犯行予告の紙を広げるホークアイを囲むように輪になって覗き込む。
 文面を見た途端、ブレダが呟いた。
「へったくそな字」
 普通、こういうものは筆跡を鑑定出来ないようにタイプライターで打つか、新聞の文字を切り貼りするものだ。それがなぜか堂々と、しかもすばらしく汚い字で書かれている。しかしこの、どう見てもペンで書いたとは思えない太かったり細かったりする文字は一体どんな筆記用具で書いたのだろう。あえて似ているものを上げれば画家のサインだが、それでは筆で書いたというのか。なんでわざわざそんなことを。
「紙がやたらとぺらぺらなのも気になるな」
 仮眠室で休憩を取っていたところをハボックに呼ばれてやって来たロイも、部下と同様に紙をのぞき込んで言った。
 言われてみれば、と部下たちも注意深く見る。光に透かさずとも容易に透けて見える。何か特殊なことに使われる紙であるとも考えられるが。
 全員が首を傾げたところで、雑学王の名をほしいままにしているファルマン准尉が口を開いた。
「ひょっとしたらこれは、東の方の国で使われるという『書道』というものかもしれません」
「説明してちょうだい、准尉」
「かの国では文字を書くことが文化の一つとしてさかんなのだそうです。この薄い紙に、墨を磨って水で溶いたものを筆を使ってさまざまな言葉を書くとか」
「でもこれ、そんなごたいそうなもんに見えねえなあ。大佐の落描きの方がまだましだぜ」
 大佐に睨まれたが、ハボックは気にしない。
「ハボック少尉。君は私の絵がそうとうに下手だと言いたいようだが、君自身はどうなのかね」
「大佐よりはましっスよー。なんせ、大佐は犬描いてもブタに見えますしね」
「失礼な。私がブタを描いていたかもしれないじゃないか」
「ブタなら尻尾がくるくる巻いてあるでしょーが」
「特殊なブタなのだよ」
 てゆーか、犬だろうがブタだろうがどっちでもいーんだけど。
 くだらない言い合いになっている上官と同僚に呆れた目を向けながら、残りの面々は再び紙面に視線を落とした。どうもこの、字とも取れない妙な物体が本来あるべき緊張感を削いでいるような気がする。だから上官もハボックとくだらない口げんかを続けているのだろう。普段なら一言で部下を黙らせるロイが、こんな風にだらだらと言い合いをするのは気が乗らない証拠だ。そんなときの彼の相手は、常ならばハボック。鋼の錬金術師がいるときは彼と決まっている。
 二人を放っておくことにして文字の解読を試みたホークアイたちだったが、これが犯行予告であるかどうかすらわからない。しかし検閲係の者が言うには「犯行予告」だそうなのである。
「フュリー曹長。さっきの彼を呼んできなさい」
「わかりました!」
 ぴしっと敬礼して走っていくフュリーなど目にも入らないのか、ロイとハボックはいまだ、くだらないやりとりをしている。そろそろ止んでもいいはずなのに、今日はどうしたことだろう。大佐が、というよりハボックが絡んでいるようにも見える。ここ数日の彼はおかしかったが、今日も引き続いておかしいらしい。おかしくなる原因にホークアイは全く心当たりがないのだが。
 あまり待つこともなく検閲係をともなってフュリーが戻って来ると、非常に個性的な文字の羅列をすらすらと読み出す検閲係の声にようやく二人は言い合いをやめ、真剣な面持ちになった。
「親愛なる軍部の皆さまへ、ってどこが親愛なんでしょうね。今宵十一時、南にある商家に、黄金の聖杯をいただきに参上する。阻止出来ると自負なさるならその鈍い足でもって……めんどくさ。要するに、止められるもんなら止めてみろ、ってことですね」
 直属の部下も部下なら、検閲係も検閲係である。他の司令部だったらとっくにやめさせられているだろう。
 しかし今現在の上官はロイであるので、誰もそんなことは気にしなかった。わかりやすい要約をありがとう、といったところである。
「商家の名前は?」
 短くロイが問うと、検閲係は首を傾げた。
「それが……名前が書かれてないんです。多分、ここから下にある――あ、ここまでの部分ですね、この辺りの文章がヒントなんだと思います。私は今走っている。行け!そこに線路があるから!――」
 よどみなく読んでいく彼に、一同は尊敬の眼差しを贈った。よくもまあ、こんなへったくそな字をすらすら読めるもんだ。検閲係という、職業軍人の魂を見た気がした。
「――私はあなたのファンです。ここまでで終わりです」
 一同は拍手をした。
「それを解けってことか」
 面倒なことを、とハボックが肩をすくめながら、先ほどから机に乗っかったままのブレダを見た。なぜそんなところにいるのかといえば、ブラックハヤテ号がフュリーの足元で嬉しそうに擦り寄っているからである。自分を拾ってくれた人を覚えているのか、彼によく懐いていた。机の上は、ブラックハヤテ号がいるときのブレダの定位置だ。
 しかしそんな状態でも、頭は回るらしい。
「でもおかしいな。テロの予告ならわかるけど、盗みに入るのに軍に犯行予告を送りつけるってのは」
「ええ、そうね。これまでにもなかったとは言えないけれど数は少ないわ。……とりあえず犯行時刻まではあと――」
 時計に目をやったホークアイは瞬時に予告時間まで残された猶予をはじきだす。
「七時間ね」
 ホークアイの言葉にかぶるようにして、扉が開かれた。
「大佐!この人があんたに用があるって」
 部屋に入ってきたのはエドワードで、後ろにともなわれてやって来たのは、いかにもいい暮らしをしていますといった身なりの男だった。それほど悪印象ではないが、一言で言ってしまえば金にがめついといった形容詞が似合う風貌である。
「その辺で迷ってたから連れてきたんだけど。……忙しそうだな。なんか事件?」
 だったらこの場は引き取ってもらおうか、と続けようとしたエドワードをさえぎって、男がずいと前に進み出た。
「どうかお助けください。我が家の家宝を盗みに入るなどという手紙が来たのです。あれを奪われたら我が家は没落してしまう……」
 少々大げさなくらいに目頭を押さえた男は、どう見ても演技のへたな俳優を思わせる仕草でその場にへたりこんだ。胡散臭そうな視線をやる面々の中、ブラックハヤテ号が無邪気にワンと吼えた。
 男のへたくそな演技めいた仕草には興味の欠片もないが、一同はそれでも男を見つめた。唯一その中でエドワードは、なんで男にそんな熱い視線を送るんだ、と不思議に思ってその場に留まっている。
「私は藁にもすがる思いでここまでやってきました。どうか皆さん、力をお貸しください……!!」
 俺らって藁?
 とはみんなが思っても、誰も口にはしなかった。そんなことより、彼らはタイミングの良さに首を傾げていた。どう考えても、軍に送りつけられた手紙とこの商人の家に届いた手紙の差出人は同一人物だ。あるいは、同一グループ。
 軍へ来た手紙には、商家の名前は挙がっておらず、ヒントを与えて探し出すようにしている。しかし手紙を見た商人が軍部へきて話をすれば、自ずと犯人もしくは犯人たちが標的にした家がわかるではないか。
 いったいなんのためにヒント書いたんだ。
「ところで、よくこの字が読めましたね」
 変なところにロイが感心していると、商人は胸を張った。
「私の店は数多くの品を扱っていますが、その中に東方の書もありますからな。これしきのこと、読めずして商人は務まりません」
 暗に、お前らこんなのも読めないのか、と言われているようで腹が立たないでもない。商人に気づかれないよう、互いに目配せしあうのを見て、エドワードはため息を吐いた。
 そんな中で、検閲係は一人、手紙にあるヒントがライナス・ゴールドウィンと名乗った商人を示しているかどうかを検証していた。
 答えがわかってしまえば、暗号自体はひどく簡単なものだった。
 意味の通らない詩のようものの各文の末尾一文字を繋ぎ合わせるとGOLDWIN。なんとも単純だ。
「ちょっと聞いていいかな?」
 検閲係が声のした方に視線をやると、いつのまにかすぐ側にエドワードが立っている。
「ええ、どうぞ。私にわかることでしたら」
「あの人んとこに来たのと同じようなのが司令部にも届いたのか?」
「その通りです。軍に届いた方には犯人たちがどこに押し入るのかは書いていなくて、ヒントだけがあったんです。しかし先ほどエドワードさんがお連れになった人が同様の脅迫状をお持ちだったので――」
「ヒント書いた意味ないじゃんってことね」
「またまたその通りです。一応同一人物を指しているか考えてみたんですけどね」
 エドワードが見やすいように紙の向きを変えてやる。覗き込んだエドワードはさっと文字を追った。
「念のため、文頭の一文字ずつも並べてみたんですが、そっちは人の名前にはどう見てもなりません」
「よく読めるね……。もう一つ聞いていいかな。東方の書って言ってたけど、これまでにその手の脅迫状を見たことってある?」
「私がこちらに配属になってからは初めてですね。仕事とは全く関係のないところで、東方の書自体は見たことがあります。数少ない経験から言わせていただければ、これを書いた人物は字がへたくそですね。私が見たのはもっと美しいものでした」
「道具は簡単に手に入るものかしら」
 すっかり自慢話に入っている商人と、うんざりしながら左耳から右耳に聞き流している面々から抜け出したホークアイが問う。
 書そのものを扱っている商人に聞いた方が話は早いのだが、饒舌なロイや有能なホークアイが口をはさむ隙間もないほどに商人はとうとうと喋っている。
「値段的には一般家庭なら充分手に入りますし、案外扱っている店は街中の小売業者に多いですよ。あの人の店でも取り扱っていますね」
 あの人、と彼の示した先には喋り続ける商人がいた。
「ゴールドウィンといえば、イーストシティでは上の部類に入るけれど、こちらに来てからはまだ一年ほどしか経っていないはず。短期間に随分手広くやったと評判ね」
「どうでもいいけどよく喋るなー。商人は話し上手が多いけど、大佐とどっちがよく口が回るんだろうな」
 他人事のように言ってエドワードは肩をすくめ、苦笑いをした。ホークアイを見れば彼女もエドワードに苦笑を返す。
「だいぶ押され気味のようね。それにしても……調べるのには骨が折れそうだわ」
 いずれにせよ、商家の警備と並行して出所も調べないと。とホークアイは結論付け、エドワードに向き直る。
「ありがとう、エドワードくん。ここからは――」
「もちろん、君も手伝ってくれるね」
 ホークアイの言葉をさえぎるようにしてロイから声がかかった。大佐であるロイが「手伝ってくれるね」と言うのならそれはすなわち――
「命令?」
 頷くロイを見てからエドワードがホークアイに視線を移せば、彼女はエドワードを頭数に入れてもいいなら、とすでに分担を割り振っていた。ひょっとしたら上官がエドワードをこの件からはずすかもしれない可能性を考えていたのだろう。
「エドワードくんは、商家の警備をお願い」
「私も現場に行こう」
 デスクワークよりは現場を好むロイである。
「大佐はお仕事がたまっていますが」
 冷静なホークアイの発言をロイは聞かぬふりをした。
「ハボック少尉も同行しろ」
 エドワードはそれを聞いてさりげなく顔をそむけた。
「ホークアイ中尉は、ブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長を連れて聞き込みに当たれ。何かわかったら逐一、報告するように」
 いつの間にか、フュリーを除く全員がこちらに来ていた。気の毒な曹長は一人で商人の相手をさせられている。
「犯人が一人で、しかも現行犯で捕まえられれば話は早いのだがな」
「複数いて、盗みに入るのはその一部だったらややこしくなるってことか。で、アルは?いま思い出したとこなんだけど、ゴールドウィンって確か――」
「気づいたか、鋼の」
 ロイは片眉をあげて、人の悪い笑みを浮かべる。
「ヘレン・クライトン、元・青銅の錬金術師のいる家だ。よく覚えていたね」
「だってあんたが前に言ってたじゃん。一年前、その資格を剥奪された国家錬金術師がいるって」
 自分で言ったところで、エドワードは気づいた。ライナス・ゴールドウィンと男が名乗ったとき、検閲係を除くその場にいた全員が怪訝とも呆れともとれる表情をしていたことに。
 エドワードの記憶の中で、ヘレン・クライトンの印象はあまりよいものではない。当時、その事件が起こったとき、ロイは出来るだけ主観を交えずに話をしてくれたが、客観的な視点からでもヘレンの起こしたことの不味さがわかるには充分だった。
 ヘレン・クライトンはその二つ名の通り、青銅の錬成に長けた錬金術師である。青銅とは銅と錫とを混ぜた金属であり、主に美術品に使われることが多い。青銅を錬成するだけなら金属の錬成を得意とするエドワードの方が一度に大量に錬成出来る分、ヘレンより優れている。たとえそれがロイであっても、おそらくヘレンよりは多くの青銅を一時に錬成出来るだろう。
 しかしヘレンの優れている点はそこではなく、美術品に応用できる点だ。元は細工職人である彼女の錬成にかかると、微に入り細にわたって壷やら瓶やら像にメッキをすることが可能だった。どちらかといえば職人芸に通ずる技になぜ国家錬金術師の資格が与えられたのかといえば、十年ほど前に制定された文化保護法のためである。
 戦争で美術品や芸術品の数々がその価値もわからぬまま葬られていくのはこれまでに幾度も繰り返されてきた。そのたびに新たな文化が起こるが、古くから受け継がれてきたものが次々と失われていくのは芸術を愛する者として身を裂かれる想いである。
 一人の文化人が発したその主張に、賛同する人々がいた。古美術商などの商人だ。
 彼らの多くにとって、美術品とは愛でたり感動の対象となるものではなく、単なる商品という金づるだが、それだけに商人の間に文化を保護する法律を制定してほしいという気風が広まるのは早く、珍しく軍上層部も早足で決定した。
 軍事には金がかかる。税率を引き上げて国民から不満を集めるよりも、少数の金持ちから多めに寄付してもらった方が軍部に対する不満は減る。そういう軍部の思惑と、商人魂が見事に一致したことから、前述のような法律が制定されたわけである。
 ヘレン・クライトンのような、古美術の修復に有用な力を持つ錬金術師は国家で保護すべきだ、という意見が出てくるのも不自然なことではない。
 その彼女が、たった五年間で国家錬金術師の資格を剥奪されたのが一年前のことだ。
 端的に言えば、金の錬成である。
 錬金術の禁忌は人体錬成だが、金の錬成に関しては国家が禁止していることの方が大きい。人体錬成は、すればエドワードのように手足やその他、内臓、目、耳などを代価に失うが、金の錬成は、やったからといって錬金術師自身が代価を払わなければいけないわけではない。要は、人にばれなければいいのだ。
 通常は、金の錬成が明るみに出た場合、その者が国家錬金術師なら資格を剥奪され、さらに一年以上の禁固刑に処せられる。資格を持たない錬金術師なら半年以上。国家錬金術師の方が科せられる刑が重いのは、誘惑へ抗う義務がより大きいからという点に求められる。しかも以降、再受験の資格すら剥奪され、二度と国家錬金術師に戻ることは出来ない。ただし、最長でも五年の懲役に留まっているのは、一度国家錬金術師になった者にとって、その資格を剥奪され、また二度と資格を得ることが出来ない、そのこと自体が非常な不名誉だからであろう。
 ロイが語ったところによれば、ヘレンがそれまでと同じように美術品の修復だけに真面目に取り組んでいたのは、資格を得てからたった一年だったそうだ。
 その後彼女は、さまざまな商人と手を組み、ある商人がたいして価値もないものを高値で買い、その代価として彼女の錬成した金を支払う、という方法で出所のしっかりした金にして次々と報酬を得た。やり口の巧妙さに、当時調査した軍情報部は舌を巻いたという。
 通常なら、彼女も一年以上の禁固を科せられるはずが、上層部の思惑あって、三ヶ月に短縮された。しかも誰かが多額の保釈金を積み、彼女は一回も牢に入ることなく放免されたのである。その彼女が、イーストシティの、ゴールドウィンという商家に引き取られたという話はロイも小耳にはさんでいた。
 彼女の身柄がそのような経路をたどったのは、事情聴取で吐いた彼女の証言により、大規模な窃盗グループが逮捕出来たことにある。また「これは私の憶測だが」とロイが前置きして話したのは「軍内部の人間とも手を組んでいたのではないか」ということだった。
 ただでさえ、錬金術師よ、大衆のためにあれ、という原則を破って軍の狗と蔑まれる国家錬金術師が、まるっきり己の欲のためにのみ錬金術師を行使して、それを反省することがないというのはなんということだろうか。
 話を聞いてそう感想を抱いたエドワードだったが、その一方で、自分も己の欲で動いているのだから、と自嘲の笑みを浮かべた。そのとき、ロイはエドワードの表情を一瞥するだけで何も言わなかった。彼とて、大衆のためにあるべき錬金術で多くの命を奪ってきたのだ。二人と彼女をへだてるものがあるとすれば、己の欲を満たすために世俗の権威や地位を求めていたか否かである。そして、ヘレンが逮捕前に言ったという言葉だ。
 そのヘレンがゴールドウィンに引き取られたことについて、詳細までは知らされていないが、保釈金を積んだ人物がへたな演技をするあの男と同一人物とも考えられる。佐官であるロイが危険を冒してまで調べるような範囲ではなかったことでこれまで手をつけてこなかったが、今回の事件がその件に介入する糸口になるかもしれない。部下たちがロイの顔を見、ロイもまた彼らに頷いた。
 エドワードはその様子を、まーた弱み握るネタにしようと思ってんな、とだけ思って苦笑する。
「ドロボウたちが盗みに入るんなら、さすがにターゲットの家を調べるだろ?」
「錬金術師がいるとわかっているなら彼らも錬金術師を連れているかもしれないね。だとしたら、こちらも人数を揃えるに越したことはない。アルフォンス君にも手伝ってもらおう。アルフォンスくんは宿屋か?」
「もうそろそろ来るよ。四時頃になったら来る約束してたから」
 ほら来た。エドワードが廊下を見ると、ガシャガシャと足音が近づいてきて、開きっぱなしだった戸口からひょこっと鎧の頭が飛び出た。中が空洞といっても、少年らしい可愛い仕草である。
「アル。入れよ」
 やって来たアルフォンスは、まずはいつもの面々に挨拶をする。大きな鎧が丁寧にお辞儀をして「こんにちは」と言う姿はやはり可愛らしい。その点、兄のたたずまいとは全く異なっている。この場にいるほとんどの人間に「乱暴(大佐にたいして)、生意気(ホークアイ中尉以外にたいして)、トラブルメイカー(行く先々で騒動を起こしては東方司令部にツケが回ってくるから)」と認識されている兄が、弟を手招いた。
「今日の予定、キャンセルになった。軍の仕事の手伝いで。お前も手伝え」
「うん。でも僕たちはいいとして、ハボック少尉。明日はお時間ありますか?」
 予定、とエドワードが言った時点で、いつもの街中への資料探索のことかと思っていたロイたちは、アルフォンスの発言でその予定がハボックに関わることを知って驚いた。確かに兄弟と司令部の自分たちの関係は良好だが、個人的に予定を立てるほど親しい人間はロイ以外にはいないと思っていたからだ。
 問われたハボックは、皆の視線を集めたが気にしないそぶりでアルフォンスに答えた。
「この事件がとっとと解決すれば、明日の夜ならオフだな。……ですよね、中尉?」
 大佐に聞かずに中尉に確認する辺り、普段の司令部での上下関係が見て取れる。
「ええ、解決すればね」
「ということだ。手伝い、頑張ってくれよ」
「はい」
 元気よく返事をしたのはアルフォンスで、エドワードはその間、一言も発しなかった。そもそも彼はハボックを見てさえいない。ここに来たときから、彼が話した相手といえばゴールドウィン、検閲係、ホークアイにロイ、そしてアルフォンスだ。
 一方、ハボックの方もつとめてエドワードを見ないようにしていた。見ないように、というかエドワードが視界に入った途端、首が動いてしまうのだ。エドワードがいない方向に。
 その場にいた半数はそのことに気づいていたが、半数の中に入るロイはいまさら受け持ちを変えようとは思わなかった。実際、仕事に入れば二人とも気持ちを切り替えることが出来るからだ。ただロイの、エドワードに対しての評価が若干甘くなっていたことは否めない。
 つい昨日までだらだらしたムードが漂っていた司令部とはえらい違いだ。しかも、テロや誘拐ではなく、たかが窃盗事件の予告である。にもかかわらず、誰もそれを指摘しなかった。
 大まかなことが決まれば、あとは迅速に動くことが先決だ。ロイたちは、用意よく敷地内の見取り図を持参したゴールドウィンと警備の位置やこまごまとしたことの打ち合わせに入り、ホークアイは部下を指揮して聞き込みへと出て行った。筆記具の類に詳しい検閲係は、本来の仕事場から借り出される形となって彼らについていった。
 最初の割り振りより別働隊の方に多くの人数が割かれたが、それはゴールドウィンの意向だった。曰く、盗賊が入るだのどうのということが知られれば商売に差し障りがある、と。
 屋敷内にはすでに買い手のついた商品が保管されている。購入を決めた客に不安を与えるのは好ましくない。
 屋敷に赴くのは、ロイとハボック、それにエルリック兄弟。加えて部下が二人。
 目立ってはいけないというので、一同は出入りの業者を装うことにした。この場合の常套手段である。ただし、どう見ても業者に変装できない兄弟は、通常の客を装って商人とともに先に行くこととなった。

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