「大佐、ホークアイ中尉からの報告です」
 ハボックがロイに耳打ちする。それに頷いて、ロイはゴールドウィンに向き直った。
「脅迫状は貴方が書いたものですね。どういうことなのか、説明していただきましょう」
 物腰は丁寧だが、有無を言わせぬ口調だった。エドワードは知らず、身体に力が入る。
 ゴールドウィンは言い逃れをするつもりはないのか、一切否定せずにゆっくりと頷いた。
「軍部の皆様をたばかったことは申し訳ないと思っている。しかし私はどうしても貴方がたをここへ招いて守っていただかなくてはならなかったのです」
「青銅の錬金術師を?」
 ロイがヘレンをちらっと見ながら問うと、ゴールドウィンはヘレンの側に近づいてその手をとった。
「……ヘレンを。彼女は軍に命を狙われている」
「どういうことだよ、だってあんたは大佐に助けを求めたんじゃないか」
 エドワードが口をはさむと、ロイは目で「黙っていたまえ」と制し、ゴールドウィンに答えるよう促す。
「あの事件のことをご存知ならば、当時、軍に所属する人間が関わっていたことも大佐もおわかりのはず。そして、関わりながら、なんのお咎めもなかった軍人がいるのです」
 追及から逃れるのは、その人間の階級が上であればあるほど容易だ。調査に際し、いくらブラッドレイの厳命がくだっていたとしても、彼とて軍の人間全てを掌中に納めているわけではない。派閥争いというものは少なからず存在する。
「ミズ・クライトンの口封じを狙う輩がいる、と。そういうことですね。でもなぜ今なのですか」
 やろうと思えば刑に服している間に出来たはずだ。セントラルといえど、牢獄に忍び込むのは不可能ではない。ましてや、見張りになってしまえば、他の目を盗んで、彼女を衰弱死に見せかけて殺すことも出来たわけである。内情をもっとも深く知る彼女の口を閉じれば、関わった者たちの安全は保障される。
 もし獄中で命を奪うことが出来なくても、釈放された直後を狙えたはずだ。それが一年の時をおいて今こうして命を狙ってくるのはなぜなのか。そして、どうしてそれが今日であるとゴールドウィンは知り得た。
「派閥争いのおかげです。当時、私どもは二つの派閥それぞれに属する方と手を組んでおりました。その方たちも情報部の追及を受けましたが、逮捕には至らなかった。そのうち、片方に属する方がヘレンの暗殺を目論んだそうです。そしてもう一方の方がヘレンをその手から守ってくださった」
 しかし、そのもう一方の人間がヘレンを心配してそうしたわけではないことを、その場にいる全員がわかっている。
「いずれ、相手を追い落とす切り札にしようと思っていたのでしょう。切り札にするにしては、諸刃の剣ですが。しかし結果的にその牽制がヘレンの命を救うことになった」
 感謝する筋合いではないことは充分知っているつもりですが、それでも私は感謝しているのです。とゴールドウィンは目を伏せた。
 ヘレンが彼の手を握る自分の手に力を込めた。
 ゴールドウィンは顔を上げ、再び話しはじめる。
「一年後の今、彼らが動き出したのは単純な話です。ヘレンを切り札に使おうとしていた派閥の長が一週間前に亡くなったからです」
 セントラルで一週間前に亡くなった将軍の名を、ロイは思い出した。階級は少将だった。二階級特進で彼は大将の称号をいただいている。
「己の罪を認めない人間が大将とはな。この国の軍は随分と見せかけだけのものになっている」
「大佐……一応言っとくけど、俺ら以外の人もいるんだぞ」
 エドワードが呆れて言うと、ゴールドウィンは困ったように微笑んだ。人に話したりしませんよ、と目が言っている。
「そしてつい昨日のことです。亡くなった方の部下だと名乗る方から電報が届きました。『明日、襲撃あり』と。どうして知らせてくれたのかはわかりませんが、あれだけの事件だったのです。いたずらでないことを私は信じて、東方司令部の方に助けを求めることにしました」
「私が襲撃を計画するほうの派閥に組していたら、とは考えなかったのですか?」
「イーストシティに居を構えてからまだ一年と短いですが、貴方の評判は聞いております。そして実際にお会いして確信した。……これでも人を見る目はいい方にも悪い方にも長けていると自負しております。貴方はあのような上層部の人間と手を組むような方ではない」
 誉められてるじゃん、大佐。とエドワードがからかい、アルフォンスが「兄さん」ととがめた。
 ゴールドウィンに認められたロイは、仕事となるとよく回転する頭でもって考える。
「……ということは、貴方は我々が偽の脅迫状だと見破らなければ、襲撃犯を盗賊とみなして撃退させるつもりだったのか」
「申し訳ありません」
 にしても疑問点が残る。どうして墨と筆で、しかもへたな字で二通もの脅迫状を偽造したのか。
 それに対するゴールドウィンの答えに、四人はがっくりと肩を落とした。
「普通の脅迫状では、そんなものは軍部の出る幕ではない、と一蹴されてしまうかと思ったのですよ。珍しいものなら、興味を持って動いてくださるかと」
 それだけ必死だったといえるのかもしれないが、その点だけはどうにも首を傾げてしまう四人だった。ヘレンが小さくくすくすと笑っている。
 気を取り直してロイがハボックに命じた。
「ホークアイ中尉に伝えろ。頭数の半分を敷地の外の、屋敷が見える位置に配置しろ。屋敷内が危なくなったら援護させるように。そちらの指揮はブレダに任せる。もう半分は司令部に待機。襲撃犯に指示した者を吐かせたらその者の捕獲に向かえ」
 短く了承の旨を伝えたハボックは、すぐに身を翻して扉へと向かった。
 ホークアイに伝えに無線のところまで戻ったら、そのまま持ち場につくことになっている。ハボックはエドワードの方をちらりと見たが、エドワードは気づかぬ振りをした。


 ハボックが無線でホークアイに大佐からの指令を伝えると、短く「了解」と言ったあと、彼女にしては珍しく任務の遂行とは関係ないことを付け加えた。
「守るものが増えて大変だろうけれど、一つもおろそかにしないように」
「中尉……?」
「しかしあなたが最終的に守るべきは大佐よ、ハボック少尉。これを忘れるな」
 返事は?と問われてハボックは即座に応えた。
「アイ、マム」
 通信を切って、外に出た。門から玄関までの中庭は、そのほとんどが芝に覆われている。草を踏みしめる音はよほど耳を澄まさない限り聞こえない。その点では、石畳というのは非常に有用である。
 中庭にはそこここに花が植えられ、花に詳しい部下の話では、一年中何かしら咲いているように種類を選んでいる、とのことだった。この中庭は、ヘレンの部屋からよく見える。ライナスが彼女のためにあつらえたのだろう。
 灯りの消えた窓を見上げると、夕陽に照らされて小さな人影が映った。すぐにエドワードだとわかった。これだけ離れていれば、見つめていられる。
「守るもの、ねえ……」
 中尉が言ったのはやはりエドワードのことだろう。守るもの、と言われて咄嗟にエドワードの顔が頭に浮かんだ。そういうときに、ふと実感する。思考がとらわれていることを。
 正直に言ってしまえば、エドワードと一対一で戦うことになったら負けるのは自分だ。戦闘が長引けば勝てる要素もあるが、おそらく早々に勝敗は決するだろう。エドワードは生半可な軍人相手では太刀打ち出来ないほど体術に優れているし、接近戦に強い。離れていても銃を防ぐ壁は錬成出来るし、大砲すら作ることが出来る。あの小さな身体であの戦闘能力だ。必要に迫られて身につけたとはいえ、軽々と職業軍人の平均の上を行く。
 しかしそれでも、人を守る能力はきっと自分の方が上だ、とハボックは思う。
 エドワードの戦い方は、己自身はいくら傷ついてもいい、と身体全体で主張しているやり方だ。何かを守るには、己自身も出来るだけ傷つかずにいる必要がある。最後の最後で、他に取れる手段がなくなったときだけ己の身を犠牲にするのだ。
 エドワードは、常にその身に傷を受けている。日々、小さな傷が耐えず増えて、時折大きな傷を負って、そうして生きている。
 癒すことが出来なくても、せめて一緒にいる間だけは傷を増やさないでいられればいい。
 多分、そういうことなのだ。守りたい。
 いとおしい。あの少年が。
 ハボックは窓を見て微笑んだ。エドワードからはきっと見えない。見えなくてもいい。あとで本人の間近に顔を寄せて笑いかけてやるのだ。
 がたっと窓が揺れた気がしたが、ハボックは気にせず時計を見た。正確に合わせた長針はあと数時間で十一時を示すだろう。


 ヘレンの体調が思わしくないことは、おそらく向こうも承知している。しかし、だからといって手を抜いてくれるわけではない。こちらも油断はできない。
 最終的にロイが敷いた布陣は、門と中庭にはゴールドウィンの家の警備員、ハボックともう一人の部下を置き、残りを屋敷内に配置する、というものだった。部下には射殺許可を出したが、出来れば息のあるまま捕らえろと命じてある。
 ロイ自身はエドワードを従え、ヘレンの部屋にいる。雨降ってないんだから外行った方がいいだろうに、とエドワードは思ったが、ロイは最終的に責任を取る立場だ。守る対象のすぐ側にいたほうがいいのだろう。
 ライナスもこの場にいる。ヘレンの手を握っている。
 照明を消した部屋の壁にもたれて、エドワードは窓の外を眺めた。軍服を脱いだ彼を見ることは滅多にない。こんなときなのに咥え煙草をしている男を見て、その瞳が歪む。
 この事件が終わって、明日になれば否が応にでも顔を合わせなければならない相手。
 本当に好きなんだろうか。本当に。
 あれだけ考えたのにまだ迷いのある自分に、エドワードは自嘲気味に笑った。そのときだった。
 庭にいるハボックが、自分を見て笑ったような気がした。無意識に右手が窓ガラスにぶつかって、がたっと音を立てた。
 エドワードはかぶりを振って意識を緊張状態に戻そうとした。
 ベッドに横たわるヘレンが、小さく、しかしはっきりと言った。
「エド。失っても取り戻せるものもあれば、もう戻らないものもあるわ」
 エドワードの心を読んだわけではないだろう。かといって、機械鎧の手足のことを言ったのではない、とエドワードは感じた。
 おそらく、窓ガラスを通して外を眺める、エドワードの眼差し一つを見てヘレンは言った。
「そして私のように半分戻ってくる場合もある。ただ、全てを掴み取る努力を最初から捨ててはいけないのよ」
 ヘレンの半分。それはきっと――
 エドワードは、ヘレンと、彼女に寄り添うように立つライナスを見た。
 ロイは、二人が恋人の関係にあるかもしれない、と言った。二人が師匠とシグに似ているのなら、多分そうなのだろう。
 でもエドワードには、もしこの明確に名前をつけられない想いがハボックに通じたとして、そしてハボックがエドワードと同じ想いを抱いてくれているとして、それで二人が恋人になるかといえば、そうではないような気がする。想像がつかない。相手の全てがほしいわけではない。
 恋なのか、わからない。
「わからないよ、俺には。あの人の全部がほしいんじゃないんだ。だから、全てを掴み取る努力をしたとしても、それをあの人にぶつけてしまっていいのかわからない」
「エド。こっちにいらっしゃい」
 引き寄せられるようにベッドに近づくと、もっと側までと手招きされ、エドワードは絨毯に膝をついてヘレンの視線の高さに合わせた。意外にもしっかりとした手つきで頬をはさまれる。
「それはとても簡単なこと。その人がいなくなったら嫌だと思う?」
「……うん」
 いなくなったら悲しい。いなくなったらさみしい。目を合わせられないのに、側にいて平静を保つのも大変なのに、近くにいられるのが嬉しい。
「だったら――エドワード。自分の心に従いなさい。その人がいなくなったら嫌だと思う、自分の心に」
 静かに優しくものを映すだけだったヘレンの瞳が、その一瞬だけ強い輝きをはなっていた。


 日が落ちた。月明かりに照らされ、門の辺りもエドワードのいるところからよく見える。
 警備員はいつもより少しだけ門に隠れるようにして立っている。狙い撃ちの危険性を考えてだ。
「大佐」
 じっと目を凝らして窓の外を見ていたエドワードの目に、チカチカと何かが光っているのが映った。ロイを呼ぶ。
「あそこ」
 指し示すと、光が一定のリズムを持って瞬いたのが見えた。電灯で合図を送っているのだ。
「来たな。では、任務開始」
 ロイが宣言した途端、敷地の一角で小さな爆発が起こった。植えられていた花々が空中に舞い上がって土煙に埋もれる。せっかくの花を、襲撃者たちは無情にも吹き飛ばした。ヘレンのための花を。
 爆発から一拍置いて、周囲の家々の灯りが次々とつく。予め周辺の家には「ここで何かが起きても屋敷の外へ出ないように」と命令を発してある。何の罪もない市民を巻き込むわけにはいかない。
 危惧していたやじ馬根性の持ち主は住んでいないのか、それともその根性を上回る不安感にさいなまれているのか、誰もこの屋敷をのぞこうとする者はいなかった。
 今度はさっきとは反対の方角で爆発音が聞こえた。土煙がおさまらないうちに、複数の足音がその向こうから響く。正門も裏門も関係なかった。奴らは塀を壊して入ってきた。
 躊躇なくその場で散開し、一部は一階の窓を破り、残りは屋敷の外で警備員らと相対する。
 ヘレンの部屋に一番近い階段にはトラップを仕掛けてある。ヘレンの助言を得てエドワードが錬成したもので、近くにアルフォンスが待機し、もし敵が昇ってこようとしたらそのトラップで足止めをする手はずになっていた。
 屋敷内に残っている使用人は、この場にいる執事とヘレン付きのメイド、そして警備員のみ。守る対象は全員この部屋にいる。
 ロイは入り口近くに構え、廊下の様子をうかがっていた。
 窓の外からも、廊下の離れた先からも、銃撃の音が聞こえる。像や壷の割れる音で、今どの辺で戦闘が行われているかがわかる。まだ二階に上がってくる様子はない。
「鋼の。そっちの様子は」
 短く問うと、エドワードは「こっちがやや優勢」と答えた。二階から見渡す光景は、決して好んで見たいものではない。門の脇で仰向けに倒れている男がいた。この家の警備員用の制服を着ていた。胸の辺りに濃い染みが出来ているように見える。血、なのだろう。
 そこからわずかも離れていない位置には、見覚えのない服装の男がうつぶせに倒れている。銃を片手に握ったまま。
 粉塵にまみれて花が舞っている。月の光に色の薄い花びらが反射して、まるで血なまぐさい行為を厭うかのように、音もなく地面へと落ちていく。
 ―――ッ!
 その銃声は、敷地のあちこちで戦闘が行われている中で、やけに響いた。
 爆弾が投げ込まれないように窓の外を目を凝らして見ていたエドワードの目に、彼が肩を押さえる姿が映った。一発の弾丸がハボックの肩を掠めていた。
 その隙に背後から狙う敵を見とめて、エドワードは窓枠に足をかけ、勢いよく外へと飛び出した。二階の高さから飛び降りるというのに何のためらいもなかった。ロイの制止の声もエドワードの耳には聴こえなかった。
 持ち場を離れることへのためらいもなかった。
 ハボックまでの距離はたったの20mなのに、走っても走ってもたどりつかない気がした。エドワードの目の前で、ハボックに鉄棒が振り下ろされる。写真を高速で切り替えるように、いやに瞬間瞬間の姿が目に焼きついた。あとハボックの頭まで数十センチだった。手を伸ばしても間に合わない。どうしよう。間に合わない。
「少尉―――っ!!!」
 振り絞るように叫んだエドワードの声に、ハボックは頭を逸らし、銃身を掲げた。その直後、鉄棒がぶつかる嫌な音がした。
 間一髪で、自分の頭と鉄棒の間に銃を滑り込ませることに成功したハボックは、痺れる腕を叱咤して棒を跳ね除けると、そのまま敵の鳩尾に銃身の先をたたきいれた。
「よかった……」
 そのままへたりこみそうになったエドワードは、当のハボックから怒鳴られて正気に返った。
「ばかやろう!ぼーっとしてんな!」
 はっとして、自分の背後へと振り向きざまに足蹴りをお見舞いする。腹を押さえて敵の一人がうずくまった。
「少尉!怪我は!?」
「掠り傷!それよりお前、持ち場離れんなよ!」
 エドワードは泣き笑いのような顔になって、「そっちこそ気ぃ抜くんじゃねえぞ!」と言い返して持ち場に戻っていった。ロイが怖い顔をしていたが、エドワードがゴメンと短く謝ると、「言い訳はあとでいい」と言って続けた。
「部下の命を救ってくれたことには礼を言う。ただしもうよそみはするな」
 どうにも優しい声音だった。どうしてこういうときだけこども扱いをするのか。ハボックも、自分の命が危険だった直後なのにエドワードをちゃんと見て、注意をしてくれた。
 いや、こども扱いではないのかもしれない。これが、同じ危険を冒す仲間への対応なのかもしれない。
 エドワードは、気を引き締めなおして、ヘレンの部屋に侵入しようとする敵に、鋼の刃を振るった。
 戦闘は世が白み始めるまで続き、ヘレンを守る側の勝利に終わった。

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