全てが明るみに出た後、ライナスは軍をたばかったことへの罪を甘んじて受けると申し出た。ヘレンが捕まった当時の事件は再調査が為されるという。
「それが終わるまでは貴方の身柄を拘束することはしない」
 とロイは言った。ただし、他の町への外出時には軍の許可を取るように、と付け加えた。
 普通なら拘束するのだろう。逃亡を防ぐために。しかしライナスにはヘレンがいる。彼女の身体ではもう、再調査のための尋問にも拘留にも耐えられない。結局、ロイはライナスの身柄を自分に預けてくれ、と中央に要請した。万が一、逃亡した場合にはその責任はロイに降りかかることとなる。
「要は、彼らが逃げなければいいんだ。私には何の咎も降りかからないのだから」
 軍の内部に巣食う利権に絡む糸口の一つを引き寄せたのだから、これは昇進への足がかりとなる。その代価にそれくらいのリスクは負っていい、とそう思ったのだろう。
 部下たちは皆、「青銅の錬金術師が女性だからじゃねえの?」などと言っているが。
 どちらにしろ、ライナスに外出の許可を出す必要もないだろう。 ヘレンはイーストシティを動けない。ヘレンが動けないのならライナスも動けない。言葉の上でも現実でも、拘束の必要はないのだった。
 墨と筆から犯人を追っていたホークアイたち別働隊は、ライナスが脅迫状を偽造していたことを伝えると同時に、その目的を襲撃者たちに命令している者の捕獲に切り替えた。
 屋敷を襲撃していたグループは軍のごく一部の幹部が雇った者たちだった。直属の部下を使っては、捕らえられたときに関係が真っ先に疑われてしまうからだろう。
 しかし、いくら金で釣っても、のちのちの身の危険を盾に脅しても、口を割るものは出てくるのだ。プロフェッショナルを自認する集団にも、その心を持たないものが一人や二人はいる。
 その点は敵もしっかりと計画に入れていたのか、直接彼らに指示を出していたのは彼らの部下の尉官だった。もし失敗した場合は自らの身体に引き金を引くように命じられていたという。しかしホークアイたちの方が行動は早かった。別働隊の素早い働きで尉官の身柄を確保し、そののちの経路をたどって、事は表層にさらされることとなった。
  ロイの裁量内で収まるのは少佐までで、その上はもはや軍公安局や情報部の仕事だ。ただ、犯人たちの身柄が拘束されたからには、ヘレンはもう、身の安全は約束されたも同然だった。
 事の経過を告げられたライナスが大きく息を吐いてヘレンをそっと抱きしめたのを、報告に来たロイとハボックは柔らかな眼差しで眺めた。


 事件がとりあえずの終息と、大きな始まりを迎えたその日――エドワードがイーストシティに留まってから七日目。
 兄弟はとりあえず、一旦宿に戻った。エドワードはアルフォンスが目を見張るほどの食欲を見せて食事をたいらげ、あとは糸が切れたようにベッドに倒れこんでぐーすかと寝息を立てた。昨日までとはえらい違いだ、とアルフォンスは嬉しそうに微笑んだ。
 エドワードが起きたのは日が沈みかける頃で、二人は一旦司令部に顔を出してからまた宿に帰った。
 幸いにもハボックの怪我は銃弾が肩を掠めただけで、入院の必要もないとのことだった。本を運ぶのは手伝えないけれど、明日家に案内するよ、と昨日の朝、別れ際にハボックは言った。運び手としての彼の代わりに、フュリー曹長が手伝ってくれることになっている。
 予定より一日遅れたのは、事件の事後処理を考えれば当然だ。予定自体がなくなってしまうかもしれない、と思っていたのでエドワードは単純に喜んだ。
 当日の昼、出かける仕度をするエドワードにアルフォンスが問いかけた。
「兄さん、あのあとヘレンさんとどんな話をしたの?」
 エドワードは、昨日の朝のことを思いかえす。
 事後処理に走る軍人と、荒らされた部屋や廊下の片付けに奔走する使用人とで、邸内は慌しかった。その騒がしさの中、ヘレンの部屋だけは静かだった。その場にいるのは、ヘレンと、そしてエドワードのみ。
 精神的なものと身体的な疲労で、ただでさえ白いヘレンの顔は、ますます白くなっていた。白い寝具はまるで花のようで、ベッドは棺のようだった。そんな状態でヘレンは手招くのだ、エドワードを。
 ヘレンは身を起こして、近づいたエドワードの頬をそっと両手で包み込んだ。
『大切なものを守ることが出来たのね』
 ヘレンは全てを見ていた。エドワードが窓から飛び出して行くのも、人の名を叫んでいるのも。戻って来てロイに短く言われ、泣き笑いの顔になったのも。
『……ごめんなさい』
 任務で守るべき人の守りを放棄し、駆け出してしまったことを謝ったが、ヘレンは静かに笑った。
『自分が守りたいものをあなたがわかったのなら、それでいいの』
『でも俺は……!……少尉は俺に守られたいなんて思ってないし、俺は迷惑かけてばっかりだし――』
『守りたいと、そう思った気持ちを大事にしなさい。エド』
 ピナコのようだと思っていた。いずれ、故郷で出迎えてくれる親代わりの人のようだと思っていた。
 違った。それは。
 ――母さん。
 温かさと優しさと、そして少しの厳しさと。
 涙は出なかったが、確かにそのとき、自分は泣いていたのだと思う。年を取った指先が、そっと目元をぬぐっていったから。
 かさかさとした手のひらが頬にあたった感触を、これから先、きっと忘れないだろう。
「ねえ、兄さんってば!またぼーっとしちゃって、どうしたの?」
「え?あ、アル。ごめんごめん、なんでもない。ほら、早くしないと少尉との約束の時間に遅れるぞ」
 エドワードはアルフォンスの背をたたいて歩き出した。ぐずぐずしてたのは兄さんの方じゃないか、とくすくす笑いながら弟があとを着いてくる。
 もう一度、もう一度ちゃんと伝えよう。かもしれない、なんてつけないで。しっかりと。
 好きだ、って。

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