会って合って遭って逢った


 ハボックがロイ・マスタングという男についてきているのは、その意志の強さと実力、心のあり方と野望に心を打たれたからであるが、そういうメインの理由からわずかばかり引いたところにちょこんとたたずむもう一つの理由があった。彼は決して、部下を駒という物として扱わない。そういうところが最終的な決めてだった。
 普段はともかく、とりあえず、部下が負傷した際のマスタングは非常に部下想いの上司である。怪我の箇所は動かし難いもののとりたてて普段の仕事に支障はない程度なのだが、「明日は鋼のが本を運ぶのを手伝うのだろう?今のうちにゆっくり休め」と非常にありがたい言葉をかけてくれ、ハボックは素直に従って、帰り支度をしていた。
 もし上司がマスタングでなく、ハクロ少将あたりだったら、手当てもそこそこに働かされるか、それとも用済みとばかりに打ち捨てられるか。そのどっちかだ。直接言葉を交わしたことはないが、彼の部下の愚痴ならかなりの頻度で耳にする。
 まったく、あのおっさんときたら、自分が怪我をしたときは軍の高官であるがゆえの、いわば有名税だの名誉の負傷だのとぬかすくせに、部下が負傷したら無能よばわりだ。同じ無能でも、あのおっさんの口から出たのとホークアイ中尉の口から出るのとでは響きが随分違う。
 そんなことをつらつら考えながら廊下に出ると、そのハクロ少将の部下のさらに部下から声をかけられた。厄介なことに、ちょうど東方を訪れる予定の少将に、今回の事件についての統括が任されたのだ。ニューオプティンの支部でおとなしくしていればいいものを、と上司が面倒くさそうに言っていたのを思い出す。
「軍医がお呼びですよ」
 怪我、大変でしたねと、とてもおっさんの下にいるとは思えない人当たりのよい青年は、「渋い顔してましたから、早く言ったほうがよさそうですよ」と忠告までくれて、去って行った。
「さて、軍医が何だろね」
 実は傷がもっと深かったとか、全治一ヶ月が二ヶ月になるとか、そういうことじゃないだろうな、と危惧しながら医務室のドアをノックもせずに開くと、中で医者が青年の言った通り、渋面を作ってハボックを迎えた。
「そこに座れ」
 へいへい、と座ると、途端に渋面の医者に睨まれた。悪いことをした覚えはないので(ものすごくあるが、この医者に対してはまったくないはずだ)、一体なんなんだよこのやろう、と思いながら視線を返すと、医者の渋面は途端に霧消する。霧消ついでに、すまなそうな顔になった。
「すまん」
 何に対しての謝罪なのか、そもそも謝るくらいなら睨まないでほしいのだが、医者はそんなことは気にしないらしい。
「どう考えても私のミスとは思えないのだが、どうも君の怪我、思ってたより軽いみたいなんだよね」
「軽いに越したことはありませんが」
 医者のミスでもいい方向のミスならば願ったりかなったりだ。しかし、診察ミスをすること自体、のちのちの信用に関わってくるが。
「で、全治二週間だ。半分に減ったわけだな。おめでとうハボック少尉」
 確かにめでたいのだが、この医者に言われてもめでたい気分が全くしない。怪我が軽くてめでたいのは、これでエドワードの気が少しは楽になるかもしれないな、ということくらいだ。
 医務室を出た足でそのまま来た道を戻り、上司に報告したが、「よかったな」と安心してくれこそ、休みを取り消されたりはしなかった。降ってわいた半日の休みを睡眠と、ちょっとした部屋の整理に当てるつもりで家に帰ったものの、一眠りして起きたら窓の外の日が寝る前よりも高かった。時計を見ると午前11時。確か、ここに帰って来たのは午後1時を過ぎていたはずだ。
 そういえば、帰って来てシャワーを浴びているとき、妙な寒気に襲われたのに、今は比較的すっきりとしている。ということは。
 ほとんど丸一日眠ってしまっていたらしい。
 とりあえず新聞を見るためと一階へ下りようとベッドから立ち上がったところで、控えめなノックの音がした。
「ハボックさん?」
 おっとりとした声は大家のものだった。
「お休み中のところ、ごめんなさいね。リザさんからお電話よ」
「中尉から?」
 ホークアイから私用の電話など来るはずがないので、きっと仕事だろう。今日一日休みを貰っている上に、午後早くにエドワードとの待ち合わせで顔を出す予定だったにも関わらず連絡があるということは、何か急を要することが起きたのだと想像がつく。
 長くかかるようだったらまたエドワードに予定を先延ばしさせることになってしまうと、嫌な予感が頭を掠めた。
「あなた確か、引っ越す前は南地区に住んでいたわね?」
 ホークアイが挙げた南地区のとある地名は、確かにハボックの前の住所だった。些細な事件がきっかけで今の下宿の大家と知り合い、こちらに越してきたのはたった三ヶ月前のことだ。
 ハボックが肯定すると、ホークアイはなおも耳になじみのある固有名詞を挙げる。
「ああ、知ってますよ、そこなら。よく買い物に行ってました」
「よかったわ。それでは申し訳ないけれど、今すぐ司令部に来てくれるかしら」
 案の定だ。取った受話器からはホークアイの申し訳無さそうな、それでいてほっとしたような声が聞こえてくる。
 手早く支度をして仕事場に顔を出したハボックに、珍しく上司までもがすまなそうな顔で謝って来た。
「すまんな」
 ハボックは、この人、変な物でも食ったんじゃないか、という失礼な驚きを内心に隠して敬礼する。
 そして何気なくソファーに目をやってさらに驚いた。赤いコート、金色の髪。
「あれ?大将?」
「早めに来たら少尉はまだ来てないって言われたんだけど、大佐が呼び出すっていうから待ってた」
 そう言ってにっこりと笑う。あまりに屈託なく笑うので、一瞬目の錯覚かと思った。自分だけかと思って周りを見渡せば、ホークアイも驚いたようで目を丸くしている。
「兄さんは少尉のことが好きなんだなあ」
「実にわかりやすいね、君の兄さんは」
 のどかなアルフォンスとそれに苦笑を漏らすロイの、小さな声で交わされた会話が耳に入って、ハボックは上司がすまなそうな顔をしていた理由がわかった。エドワードの予定がつぶれてしまうことになって、そのことを多少なりとも気にしているのだろう。大佐もこのこどもには存外甘い。
「ああ、兄さんは大佐にはああいう反応返しませんもんね」
「アルフォンス君……それは鋼のが私を嫌っていると言いたいのかね」
 嫌ってなんかいませんって。ただ単に苦手なだけでしょう、とフォローにもならない言葉でロイを落ち込ませたアルフォンスは「僕は兄さんほどじゃありませんよ」と追加してさらにロイをどん底に突き落とした。兄さんほどじゃなくても僕も大佐は苦手です、と言っていることにアルフォンスは気づいているのだろうか。
 上官とアルフォンスの掛け合いを聞くともなしに聞いていたハボックは視線を感じて、エドワードが自分をじっと見ていることに気づいた。
「ケガは?」
 心配そうなエドワードに、ハボックは笑って小さな頭をぽんぽんとたたく。
「平気平気。ホントに掠っただけだからさ。見て確かめるか?」
「いいよ、見せなくていいって!」
 エドワードは慌てて、上着を脱ごうとするハボックをとめた。
「大佐から聞いてたんだけどさ、腕も動くみたいだし大丈夫でよかった。ホントは昨日確かめたかったんだ。でも少尉はきっと疲れて寝てるだろうからって」
 あからさまに安心した顔を見せるエドワードは、やけにこどもらしくて可愛い。普段との差が大きいだけに、たまに見せるそういう姿がよけいに際立つ。本人が知ったら怒りそうだが、生意気さに本気で憎らしく思わせられることもあるのだからおあいこというやつだろう。
「ではそろそろ仕事に戻っていただきたいのですが」
 微笑んで四人それぞれの様子を眺めていたホークアイが時計に目をやって、皆に司令室へ行くように促した。


「複雑な事件じゃない。いつものあれだ、東部解放戦線――」
「東部平和希求同盟です」
「……とにかくその類だ」
 間髪いれずに訂正するホークアイに、ロイは決まり悪そうに咳払いをした。横のエドワードがハボックを見上げて何か言った。口の形からすると多分「む・の・う」
 その通りだと思って頷く代わりに笑いかけると、エドワードは照れたように顔を背け、少ししてからハボックに笑い返してくれた。
 エルリック兄弟は当然のようについてきて、ごくごく自然にロイの説明を聞く輪の中におさまっている。立っている者は親でも使え、というタイプの上官だから、使える人材は迷いなく作戦に加える。
「犯人たちは南地区にある精肉店に立てこもって、店の主人を人質にしている。犯人たちの要求はただ一つ。今捕らわれているやつらの仲間の釈放だ」
 何から何までセオリーどおり。
 別に新しさとか面白みを求めているわけではないが、何とかの一つ覚えのように繰り返されるこの手の事件にはうんざりだ。
 店の従業員――異変を察した主人が妻子とともに逃がした――の話によれば犯人は全部で10人。
「ここに店を含めた一帯の地図がある。ハボック、ここに何かつけくわえることはあるか?」
「へーい」
 ハボックは地図を覗き込むと、「三ヶ月で変わってるかもしれませんが」と前置きしていくつかの塀と資材置き場を書き加えた。
「ここはフェンスに穴が空いてました。今も空いてるかどうかは現場で確認したほうがいいっすね。ああ、あと一つ重要なことがありますよ、大佐。ここの親父、花火が趣味で自分んちで作ってるんです」
「花火だと?」
「そ。つまりここは爆発物のかたまりなわけです」
「もう少し詳しく――」
 説明しろ、というロイの言葉をドアを開く大きな音がさえぎった。
「大佐!」
 失礼しますと駆け込んできた通信係が、たった今受け取ったばかりだという電報をロイに見せた。
 文面を見たロイの顔がゆがみ、口の端がひくひくと震えた。
「なんて書いてあったんだ?」
 なんの気負いもなくエドワードが尋ねると、困ったようにホークアイが上司の手から電報をするりと抜き取りエドワードに見せた。
 少年は弟と一緒にそれを見て、ためらいなく読み上げる。
「要求を一つ追加する。マスタング自ら出向いて来い。もし来なかったら街中にマスタングは×××と言いふらずぞ。……×××ってなんだ?」
 不思議そうに見上げる兄に、弟も同じように首を傾げた。
「なんだろうね。黒塗りになってる」
 その部分だけ太いペンで二重線が引いてあるが、通信係の配慮もむなしく、隙間から単語がなんとなく読み取れる。こどもにはわからなくても、この場にいるほとんどの軍人はすぐに思い当たる単語。
 男――特にロイのような人間にとっては不名誉なことだ。「無能」よりずっと。
「よくわかりませんけど、そんなにショックなことなんですか?」
 首を傾げるアルフォンスとエドワードにハボックは教えていいものかと一瞬迷った挙句、「男の名誉にかかわることだ」とだけ言った。なんかもう、それで察してほしい。
 そんな小さなことであらためて、エドワードもアルフォンスもまだこどもなんだなあと実感する。15歳と14歳。知っていてもおかしくないが、知らなくてもおかしくない年頃だ。そんな少年を自分は本気で好きなのだから、もうどうしようもない。お手上げだ。
 幸いなことに兄弟はそれ以上は聞いてこなかったが、二人の会話に耳を傾けると微笑ましいというか不穏というか、判断に困るような内容が繰り広げられていた。
「これ、大佐の弱み握んのに使えると思わねえ?」
「どうだろう。でも透かしても見えないよ」
「なんとなく見える気はするんだけどなあ」
「みんな、教えてくれなさそうだよね」
「せっかく大佐をへこませられると思ったのになあ」
「現場に行ったら立てこもってる人に聞けばいいんじゃない?」
「そっか。頭いいなー、さすが俺の弟だ、アルフォンスよ」
 誇らしげなエドワードの顔に、ハボックは頭を抱えたくなった。……本当に、お手上げだ。

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