まったく嫌になるが、何たら同盟のたてこもり事件などしょっちゅうあるので、基本的に彼らはなれっこだった。
 現場に着いて、肉屋とその住居の見取り図を参考にロイが役割をふると、皆あっというまに持ち場へ走った。ごねたのは鋼の錬金術師くらいのものだ。曰く、
「つーか、俺が忍び込んで壁ぶち破って出てくればいいだけのことじゃん」
 排気口か何かからこっそりと忍び込んで。
 人質の位置と犯人の人数と配置を確認して。
 それだけならまだしも、人質を奪還して壁に穴開けて出てくると。
「それが一番早いのは確かだが、一つ忘れていないかね?あの肉屋は火薬の倉庫だ」
「あ……」
 慣れた類の事件ではあるが、一つ問題があるとすれば件の肉屋だった。なんでも主が花火が好きだとかで何度も作ってはそのたびに警察に注意を受けているという。
 その花火が、家のみならず、店先にまで置いてあるのだそうだ。
 だから下手をして火花が発生すれば――ドーンッ。爆発となる。
 こんな肉屋が近所にいて住民は不安がったり文句を言ったりしないものかと思えば、年に二度ほど綺麗な花火を見られるから目をつぶっているのだそうだ。ここに肉屋が店を構えて主が花火にはまってからおよそ十年。一度も事故は起きなかったという実績が、住民の信用を得ている。
 しかし今回のようなことがあれば、もうこの地区で年に二回の花火は楽しめなくなるだろう。この辺りの建物は白の石壁で覆われたものが多い。夜空に咲いた花の光が、一瞬だけ白壁を照らす様は綺麗だった。ハボックは当時、近所の子ども達が目を輝かせて見ていたのを思い出したが、その子ども達の顔が、いつの間にか頭の中でエドワードの姿に重なった。あんな風に無邪気に、綺麗なものだけを見ていた頃が彼にもあったはずなのに。
 一足飛びに大人の世界へ足を踏み入れざるをえなかったのだ、エドワードは。本人の罪であっても。
 些細なことでこどもだと感じ、ふとした折に、彼はやはりこどもではないのだと突きつけられる。
 ハボックは錬金術に関しては門外漢で、一体何がエドワードやアルフォンスの身体を奪ったのかは知らない。けれど、幼い子の純粋な想いが手ひどいしっぺ返しを食らうというそのシステムには納得出来ない。人体錬成を試みてはいけないことはなんとなくわかる。人の生き死にを神のように扱うことになるのだから。
 ただ、それがいけないことならば、単に、出来ないという結果だけを提示してくれればいいと思うのだ。その領域に近寄るな、とはじいてくれるだけでいい。それが、その何かは身体の一部若しくは全部を奪い、時には魂までも奪っていく。
 奪うものがどういう存在なのか。ハボックには想像もつかない。出来ることは、今のエドワードを支えてやることだけ。それすらも覚束ない傾向があるけれど。
 汚いものをいくつも見た上で、それでも綺麗なものを探して己の目で見ようとするエドワードを、大切に思う気持ちだけは本物だ。
 そんなハボックの心の動きには関係なく、事態は進行していく。
「今すぐ人質を解放して投降せよ」
 堂々とした声が響き渡る。上司は声も顔も若いが、こんなふうによく通る声には威厳すら漂う。29歳で大佐の地位までのぼりつめたのだから当然だ。
 しかし犯人たちがその威厳に感じ入ることなどあろうはずもなく、案の定、肉屋の店先からは「こちらの要求をのまない限りは人質は解放しない!」と怒鳴り声が返って来た。
 膠着状態、という言葉がまさにふさわしい。
 軍人も憲兵も耐え忍ぶことには慣れているが、はたしてエドワードはどうだろうか、と横の金色を見下ろすと、エドワードはじっと店を見据えていた。愚問だった。本を読むときの集中力、それ以前に、大人でも悲鳴をあげる機械鎧に耐え、12歳で国家錬金術師の資格を取得したその努力を考えれば、普段どれだけ反射的に感情を露わにしても忍耐はあるに決まっている。
「人質を今すぐ解放すれば、自首したとみなしてもいい。そうすれば罪はいささかなりとも軽くなるぞ」
 ロイが言う。
「ふざけたこと言ってんじゃねー!いいから早くボスを解放しろ!」
 犯人が言う。
「人質は無事だろうな?」
 ロイは取り合わない。
「無事だよ、ああ、無事さ。でもお前らの対応次第では、いつどてっぱらに風穴が空くかわかんねえぜ!」
 うわ、古ーい。アルフォンスが呆れたように呟いた。
「人質はせいぜい丁重に扱うことだな。もし傷を負っていたら、貴様らを全員消し炭にしてやろう」
 ロイは宣言すると、数メートル後退して見守る体勢に入った。こういう場合に人質を犠牲にしたときの市民の反応は凄まじいものだから、ロイとしてはぜひ人質を無傷で救出したい。もし人質がいなければ、花火があろうとなかろうと、派手な爆発を起こして一網打尽にする手がつかえるのに、とでも思っていそうだ。その証拠にハボックは上司が発火布を取り出したのを目撃した。
 まだ早いんじゃありませんか、それ。

 しかし。

 事件は思ってもみないきっかけで収束に向かった。
 突然の爆発。ロイの手に発火布はあるが、まだはめられてはいない。
 瓦礫は店の内側ではなく外側に崩れている。中からの爆発だった。
 犯人の仕業か誤爆か。
 中の状況がわからない今、ロイもうかつに突入の命令を下せない。
 飛び込もうとする部下を制して中の様子を見守る。
 と、煙の中に人影が見えた。犯人か。ロイは片手を挙げ、部下たちはその手が振り下ろされるのを待って身構えた。
 走り出てきたのは、後ろ手に縄で縛られた男だった。
 腰から膝までの丈のエプロンをつけた男は、店から数メートルのところでバランスを崩して転ぶ。
 煙の向こうでは「人質が逃げたぞ!」「捕まえろ!」との声とともに、ガタガタと幾人もが走り回る足音、そして何かにぶつかって割れる音がしている。
「確保しろ!」
 ロイの鋭い声に呼応し、ハボックの隣でエドワードが手を合わせた。青白い光の後に、店と人質の間に地面から壁が生えた。間髪いれず、アルフォンスが飛び出して、男を抱える。店の中から飛んできた銃弾は、エドワードの壁とアルフォンスの体にはじかれた。見事としか言いようのない、息の合いようだ。
 その男はハボックの見慣れた肉屋の主人に間違いなかった。
 肉屋のななめ向かいの窓から誰かを呼ぶ喜びの声が聞こえて、男がほっとしたようにそれに応えた。ロイがハボックを見、彼がその視線に応えるとロイは強く頷いた。
 あとに残るのは犯人のみ。人質の安否を気遣う必要はない。
 アルフォンスに支えられて地面に腰を下ろした店主に、近づいてきたロイが片膝をついて視線を合わせて尋ねた。
「今の爆発はあなたが?」
 店主は答えようとしたが何かが喉につっかえたようにかすれた声しか出ない。
 ハボックはロイの目配せに頷いて、さっき店主を呼んだななめ向かいの家に行って窓からコップ一杯の水を求めた。
 ハボックの持って来たコップをつかむと、店主は一気に飲み干す。さきほどよりは滑らかに声が出た。
「やつらは店に飾っておいた花火の玉を一箇所に集めたんですが、やつらの一人がその近くで煙草を吸い始ましてね。馬鹿なことに吸殻をそのまま捨てたんですよ。それが引火して爆発した隙に」
 逃げ出してきたと告げる店主の顔は、気丈な声とはうらはらに青ざめている。無理もない。半日近く動けず、緊張を強いられていたのだから。
「残された花火の数はわかりますか?」
「店に残っているのは大きさからすると中身のないただの飾り物だけです。あとは家の方にありますが、倉庫に仕舞って鍵をかけてます」
 ロイは見取り図を主人に見せ、倉庫の場所の確認を取った。取り次第、店主を家族のもとに送り届けるよう指示し、部下を的確に割り振る。
 人質さえいなければ、もはや構うことはなかった。自分たちの身だけを気にすればいい。
 爆発が起きてから十二分後。犯人はすべて、捕縛された。


 犯人たちを道の真ん中に集め、それぞれ後ろでに縛って座らせ、周りを軍人たちが取り囲んだ。
 こちら側には軽傷者が数名いるだけで、たいした損害はない。人質も無事で、建物には一回の爆発で壁が崩れた以外は特に壊れた箇所もなさそうだ。この手の事件では、かなり上等の部類に入る結果だろう。だからこそ、「完璧な計画だったものを……!」などと呟く犯人たちを、苦笑交じりで眺められるのだ。まったく、どこが完璧なのやら。
 案の定、エドワードとアルフォンスが「穴だらけのくせによくあんなこと言えるな」「言うだけはタダだから」などと呆れている。
「二人ともお疲れさん」
 結局、突入のときにはロイにその場に留まるように言われた兄弟である。アルフォンスはともかく、エドワードの方は、一度振り上げた拳を落とす場所をさらわれたような気分らしく、なんだか面白くなさそうだ。
「疲れてなんかないよ。少尉こそ大丈夫なのか?」
 ハボックもハボックで、ロイに待機命令を出され、やったことはといえば建物から這う這うの体で逃げてくる輩を縛り上げることだけだった。
「なんともないって。思ったより早く終わったから、このあと、家に招待するよ」
 本のお引越し。エドワードとの約束だ。
「いいの?時間ないんじゃない?」
「車出せば、二時間くらいで終わるだろ。この感じだと大佐から使用許可が出そうだ」
「許可?あの大佐が?本の引越しごときに?」
 もちろん、と頷いたが、エドワードは不審そうな表情を浮かべた。不審というか不満というか。
 大佐はエドワードに相当の便宜を図っているし、ある程度はエドワードもそのことを知っているはずだ。それなのにエドワードにこんなふうに疑われるあたり、上司も浮かばれない。大佐だけじゃない。東方司令部の面々は、それこそ下級兵士にいたるまで、基本的にエルリック兄弟には優しい。豆、とからかったり、ちっちゃくて見えないとからかったり、こんな兄さんをもって大変だね、と弟をねぎらったり。
 それは特に、叩き上げの、もうすぐ孫が出来るような年齢の軍人に顕著にあらわれている。たった十二歳の少年が、軍の狗と呼ばれてまでこの組織に身を置く理由、そして彼の弟がどんなときでも兄とともにいる理由を、なんとはなしに感じ取っているからだろう。ある種の悲しみと、ある種の畏敬の念と。ハボックも例外ではない。
 だからこそ――
「少尉?」
 ぼーっとしているハボックに、兄弟が気を取られた瞬間だった。青白い光が、彼らの背後、二箇所からのぼって、辺りの白い石壁に反射する。それでエドワードは目測を誤った。アルフォンスが手を伸ばして防げたのはエドワードの背後だけ。左横はがら空きだった。そこに突っ込んでくるのは、後ろ手にかけられた縄を打ち捨てた男だった。手にはナイフ。その光景は、前に駅であったことと似ていた。ものすごい勢いで、ナイフを手に向かってくる敵。あのときはエドワードは身を反転させて、間にいた女性を救った。けれど今度は。
 間に合わない。
 金の眼が、このうえなく大きく見開かれる。
「兄さん……っ!」
 アルフォンスが悲痛な叫びを上げる。
 大丈夫。
 お前の大切な兄さんは、俺が守るから。

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