「俺はこれ、合格点出しますよ。大将は……っと、もうオッケー出してんだな、俺に食わせるってことは」
 ハボックは味見と称して皿の中身をぺろりと平らげた。
 気まずい空気の中、全く気にしない様子で振舞うハボックの存在はありがたい。昨日の約束通り青年の料理をメニューに加えるべく、ランチタイム後のまかないの時間についでにハボックに試食をさせたが、この一週間何の気負いもなく青年と交わせた会話がとてもぎこちなくなってしまって、間にハボックを挟んでようやく人心地ついたのだ。
 青年は空になった皿をすべて持って厨房へ下がり、後には二人が残された。
「さてと、話聞きましょうか」
 夜の開店まではまだ間がある。立ち上がって二人分のコーヒーを淹れなおしたハボックは、再び向かいの椅子にどっかりと腰を下ろした。
「話って……」
「あるんでしょ?アルと何かあったんだって、さっきの空気で嫌でもわかるよ。夜にアルと狭い厨房に閉じ込められるのは俺ですよ、理由くらい聞かせてくれてもいいんじゃありませんか」
 相談、というほどのものでもないが、あの気まずさを吐き出したいのは事実だった。ハボックのいいところはこういう風に、話したいなら聞いてやる、と言うのではなく、自分には聞く権利があるのだから話せ、と要求してくれるところだと思う。
「昨日、アルフォンスと大学に行った」
「一緒に発表見に行ったんすか」
「発表見た後、どうしてもある教授に会いたいんだって言うから案内したら、それがマスタングだった」
「あの人、有能っちゃ有能ですもんね。つーかそれって合格したってこと?おめでとうございます」
「オレに言ってもしょうがないだろ」
「そりゃそうですが。こっちからは聞きにくいし、アルも何も言わないから。……で?続きをどうぞ」
「……アルフォンスをゼミに入れたきゃ、出入り禁止令を解けって」
「それで解いたんですか。でもあの人、本気でそんなこと言ったんじゃないでしょう。あんまり脅すようなタイプには思えないし」
「甘いな、ハボック。あいつはやると言ったらやるぞ。抗議したってたいした理由もないのに舌先三寸で丸め込む奴だ」
 ハボックは疑わしそうな目でため息をついた。
「……本気でそう思ってんの?」
「……」
 即答は出来なかった。
 本当のことをいえば、よくわからないのだ。マスタングがどこまで本気でどこから冗談なのか。つきあいがあった頃も、その境界を見極められなかった。ただ一つだけいえるとすれば、それは彼が嘘つきで不誠実だということだ。
 黙っていると、ハボックの方が先を続けた。
「百歩譲って大将の言うことが当たってるとして、それでなんでアルと気まずくなんだ?そのマスタングさんの脅しがアルにばれて、それでもめたとか」
「いや、そういうことじゃないんだ。研究室であいつが変なこというからその後なんとなく流れであいつとつきあってたって話したあとかな」
「じゃあ、ゲイやバイが苦手とか」
「それは無いと思う。アルフォンスがすごい演技達者だってんならともかく、嫌われたり嫌がられたりしては無いから。つーか、ホントに嫌だったら触れても来ないだろ。だけど昨日、オレら手をつないで帰ってきたんだぜ」
「大将から?」
「アルフォンスから。大の大人が大学からここまでずっと、お手手つないでランランラン」
「あんまり見たくない光景だなあ……まあ大将なら見ようによっちゃ、微笑ましいかもしれないけど」
「言われたぞ、道行くご婦人方から。『あらあら、可愛らしいこと』って」
「へ、へえ……それはともかく、手までつないで帰ってきたんなら何も問題ないでしょーが。それともなに?芽生えちゃったとか?」
「馬鹿言うな。どっちのこと言ってるのか知らねえけど、どっちにしろそんなはずないだろ」
「すんません」
 からかうにも程があると軽く睨み付けてやるとハボックは肩をすくめて笑う。
「手をつなぐ前の話に戻しますよ、マスタングさんとつきあってたことばらしたときに他にも何かあったんじゃないですか?」
「学食で飯食ってさ、口の端にくっついてたから取ってやろうとしたら避けられた」
「まあ、理解は示しても咄嗟のことだとどうしようもないっすね」
「うん。その後すっげー慌ててたもんな」
 じゃあ、とハボックは一番信憑性のありそうな理由を挙げた。
「嫌じゃない、気にしないっていうアピールでしょう。アルは真面目だなー」
「それはオレも考えたんだけど、なんかしっくり来ないっていうか……」
 帰り道は恥ずかしいことこの上なかった。どちらかが小さいこどもならともかく、片方は成人前とはいえ背の高い青年で、もう片方は――認めるには非常に癪だが平均身長に対して若干控えめな数値をはじき出す小柄とはいえ成人男性で、並んで手をつないで道を歩くにはどう見ても目を引く二人組だった。そもそもこれで相手が女性でも恥ずかしかったと思う。マスタングのように往来で女性と腕を組むのも遠慮したい性質だ。
 そういえばマスタングとは手をつないだことは無かった。お互いいい年なので人目のつかないところで仲良く手をつなぐなんて選択肢があるはずもない。拳と拳で殴りあい、というのならしたこともあるが。
 出来るだけ人通りの無い道を選んだものの、それでも通行人はいる。知人ともすれ違った。店の前ではなじみの店主に「悪さでもしたのかい」とからかわれ、「迷子にならないようにしてるのよ」と囁く声が聞こえた。いくら偏見が薄いといっても誰もが受け入れてくれるわけではない。街中で生きていく分には支障がなくても、地方からの受験者が多い大学で生活する青年にとってなんらかの妨げになる可能性がある。昼日中に男同士で手をつないで歩いているというのは、ある意味で異質なことだ。
 青年の手はじっとりと汗ばんでいる。けれど、不快ではなかった。
 まずいと思うのなら振り払えばよかった。
「でもさ……もしこれがアル――弟だったら、って思っちゃったんだ」
「根深いなあ」
 恥ずかしさと気まずさの間に、弟と過ごした幼い頃の記憶がすべりこんだ。もう、十年も前の話だ。
「俺は大将の考えすぎだと思いますけどね。アルを弟さんと重ねちゃったからちょっとひけ目みたいなのを感じてるんじゃないですか」
「そうかなあ……」
「あんまり深く考えないほうがいいっすよ。その様子じゃ昨日の夜はろくに祝ってもやれなかったんでしょ?今夜は早めに切り上げて合格祝いっていうのはどうですか」
「そうだなあ……」
 昨夜は、昼間のことを引きずっていて空気がぎくしゃくしていた。いつもより少しいい肉を奮発してシャンパンも開けてみたけれど、手放しで祝うという雰囲気ではなく、いつものように夕食を食べた後は一緒に片付けをしてそのあと色々話したりもしたけれど何かが違った。少し息苦しかった。
 今朝になってもその息苦しさは続いていて、いつもは痛まない左足の機械鎧の接続部が疼くのは多分そのせいだ。
「痛むんですか?」
「ちょっとだけな」
 無意識にさすっていたのか、ハボックが気遣わしげに見ている。
「そろそろメンテナンスの時期でしょう。サボらないでちゃんと見てもらってくださいよ、大将」
「めんどくせえ」
「この街に大将の御眼鏡にかなうだけの技師がいないってのは不便だなあ」
「……オレの眼鏡じゃなくてあいつの眼鏡だよ」
 幼馴染の顔を思い出すとき、最近はいつもスパナを振りかぶった姿で浮かんでくる。質の高い機械鎧は初期費用だけでも金額が嵩むうえに定期的なメンテナンスを、となると一庶民では維持するのに負担が大きすぎるが、彼女は「身内だから」といって破格の値段で機械鎧を付けてくれて、数ヶ月に一度のメンテナンス費用も実費のみにしてくれる。はっきり言って彼女には頭が上がらなかった。
 だからこの街の技師に見てもらったと伝えたとき、わざわざやってきた彼女は会うなり左足をがばっとひん剥いてつらつらと状態を確かめた。ランチタイムも終わりに差し掛かって店内に客は少なかったが、それでもいたことはいた。その客たちの前で、いくら足とはいえ男の服をめくる女性というのはどうかと思ったが、彼女は一向に気にしないらしい。機械鎧だけに意識を集中していた彼女はあちこちを触ったうえでこう言った。
『悪くはないけど、これじゃ半月もしないうちに部品がずれてくるよ』
 仕様が一般に流通するものとは違って職人オリジナルのものなので、余程腕が良くない限り他の職人が完璧に保守することは難しいのだそうだ。結局、幼馴染の好意に甘えるしかない状態が続いている。
「連絡取らないと押しかけてくるからなあ、ウィンリィは」
「わかってんならとっとと連絡しろって。あ、そろそろ買出し行かなきゃ。足りないのがあるんだよ。今日はいつもよりちょっと早めに閉めて、お祝いはここで、ってことでいいっすか?」
「ああ。……買出し、オレも行こっかな」
「……大将、あんたはここで、アルフォンスと準備。大将があんまり気にしすぎなきゃ、元に戻るんじゃないですか?」
 ね?と念を押したハボックは、全くこちらが口をはさむ隙のない動きで店を出て行った。こういうところを見ると、ハボックが元軍人だったことを思い出す。ほんの数年であったというが、一度で身についた動きは簡単には抜けないものなのだろう。
 扉についた鈴の残響が止んでも、まだ外を眺めていると、カウンターの奥から青年が出てきた。
「ハボックさんは?」
「買出し。足りないものがあるからって」
「声をかけてくれれば僕が買いにいったのに」
 青年はそのまま、厨房へ戻ろうとした。
「アルフォンス」
 気にしすぎているだけ。何でもないと思えば何でもなくなる。ハボックの言った通りになることを願って、青年を呼び止めた。
 青年の顔は、おとといの――昨日の昼までと変わらない。訝しげに首を傾げているのだって、単にハボックが新米に任せず出かけてしまったのを気にしているだけだろう。ほら、何も変わらない。
 気にしすぎだっただけ。
「今日、早めに店閉めるからな」
「何かあるんですか?」
「お前の合格祝い。もう一回やろう。店の常連残してさ、みんなでお祝いやるんだ」
 でも、と青年は言った。
「昨日エドワードさんにしてもらいましたから」
「いいんだよ、こういうのは何度やったって。それに、みんなで騒いで羽目はずすのも楽しいぞ」
 青年は一瞬考えるように目を伏せ、少しして微笑んだ。
「ありがとうございます。いつもはそうじゃないけど……閉店が待ち遠しくなりました」
「よし、決まり。じゃあオレも仕込み手伝うわ」
 勢いよく立ち上がっても左足の痛みは感じなかった。

(07.04)

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