エドったら、何やってんのよ」
  涙がようやくおさまった頃、やってきたウィンリィは片手に鶏肉を刺したフォーク、もう一方には酒瓶を持って仁王立ちした。
「……行儀悪いぞ」
 シグさん的に言うなら「はしたない」だ。と思って彼の人を見上げれば、優しくもいかめしい顔の主はウィンリィの手からそっと酒瓶を取り上げた。フォークのほうはどうでもいいらしい。
「ごめんなさい、シグさん。これがすごくおいしくて、残り一個になったのを慌てて取って来ちゃったの……」
 ウィンリィは恥らったが、彼が気になったのはおそらく酒のほうであってフォークではない。
「エド。これ、あとで作り方教えてね」
「オッケー。で、何やってんのよ、って何だよ」
「あ、そうそう。そろそろ彼、救出しなくていいのかなって思ってさ」
 あれ、とウィンリィの指す先を見れば、パーティーが始まってからほんの三十分の間にすっかり顔を赤くした青年がへらへらと笑っている。出会って一週間経つがあんな風になっているのを目にするのは初めてだ。
「相当飲まされてるんじゃないの?」
「……ったくあいつら、あんなに呑ませてどうすんだ」
 舌打ちして立ち上がると、ご機嫌に出来上がっている群れをかきわけ、青年の肩に手をかけた。
「おい、アルフォンス」
「エドワードさんだー、これおいしいですねえ」
 えへら、と眦を下げきって振り返った青年は周りと一緒で非常にご機嫌だ。
「はいはい、おいしいおいしい。つーかお前、呑み過ぎ。もうやめとけ」
「えー?いやですよーだ。なんかすっごく楽しいんですよー、体がふわふわする感じで」
「それが呑み過ぎって言ってんだよ。おいこら、そこ!もうこいつに酒勧めんじゃねえ!」
 なおかつ青年のグラスに酒を注ごうとする手をやんわりと払い、輪の中から彼を連れ出す。とりあえず酔い覚ましに水を飲ませて休ませ、その辺から料理を適当に見繕って皿に乗せると青年を引っ張って師匠夫婦のテーブルに着かせた。
「すみません師匠、シグさん。こんなんなっちゃってますが、アルフォンス・ハイデリヒです。アルフォンス、こちらがカーティスさん。この店のオーナーがイズミさん、シグさんは肉屋さんだ」
 酔いでとろんとした瞳はようやく焦点を結び、冷たい水で頭も多少すっきりしたのか、青年は緩慢ながらもあたふたとした様子を見せ、頭を下げた。
「アルフォンス・ハイデリヒです。こ、こんなお見苦しいところをお目にかけて申し訳ありません」
 あっはっは、と豪快に笑ったのはイズミではなく、珍しいことにシグだった。つられてイズミもにやにやと笑う。
「なかなか面白いやつだな。旦那も気に入ったようだよ」
「本当にすみません。少々飲みすぎてしまったようで……」
「これからは、うまく断る術を身につけることだね」
「はい……精進します」
「よろしい。ところでこの店には慣れたかい?」
 しかつめらしく頷いた青年の緊張を解きほぐすように、イズミは普段のてきぱきはっきりした口調もなりをひそめている。
「ええ、だいぶ」
「こき使われてんじゃないか?」
「いいえ!エドワードさんにもハボックさんにもよくしてくださいます。僕がお役に立ってるかどうかはわかりませんが……」
「それは何の問題もないようだよ。そうだな……あそこの花は君が生けたものだろう?」
 イズミの示した先――入り口の脇、扉の開閉の邪魔にならない位置にあるサイドボードの上には、白と黄色でまとめられた花が飾られている。
 朝市に行った際、売れ残りだからと花屋の店主が青年に少額のコイン一枚で白の花束を売ったのが始まりだった。花束を抱えた青年は最初、二階の共有スペースに飾ろうとしたのだが、ふと思い直したように聞いてきた。
『これ、お店に飾ってもいいでしょうか?』
『匂いが強くないんなら構わないよ。あーでも花瓶無いかも』
 五分ほど探しても花瓶は見当たらない。青年は『それなら小さめのバケツか大きな瓶はありますか?それと薄手の紙を』と言う。『バケツなら裏口に。紙ってどういうの?包装紙ならこんなのがあるけど』と答えると青年は早速裏口に取りに行き、『お借りしますね』とほくほく顔で戻ってきた。
 どうするんだろう、と見守っていると青年は、淡いオレンジの包装紙でバケツを包み、花束を留めていた同系色のリボンを巻いた。次に、買ってきた花の茎を別のバケツに溜めた水の中で手際よく切り、さっさかバケツに差し込んでいく。小さめといってもバケツは口が広いのでさぞかし安定感が悪かろうと思ったら、意外にも花々は好き勝手な方向を見ることもなく、バケツで作ったお手製花瓶の中に納まっている。
『すごいな。その辺の店先で売ってそう』
 なかなかに見栄えが良いので素直に賞賛の声をあげると、『お昼の時間帯にはこういうのもいいと思ったんです』と青年は言った。事実、その日来店したご婦人方は「素敵ね。季節を感じさせるわ」と何かしら、花について一言二言、口にした。
 そういえば師匠がいた頃は花を飾っていたのだが、ハボックと二人になるとついめんどくさがったり、二人ともその手のセンスというものが皆無でとんでもない色の組み合わせをしたりしたこともあって、いつの日か花とは縁遠い店になった。久しぶりに華のある店内になり、ああいいもんだなあ、と思い始めたところである。
 さすがに師匠だ。入ったときにはすでに気づいていて、飾ったのがハボックでも自分でもないこともわかったに違いない。
「エドワードもハボックもこの手のことにはてんで苦手でね、センスというものがからきし駄目なんだ。花が嫌いな人は滅多にいないし、手入れをしていつも綺麗にしておけばお客も喜ぶ。君の気遣いはこの店には必要なものだよ」
 師匠がベタ誉めだ。
 出会いは偶然だったけれど、いい人間にめぐり会ったなあと、青年や師匠夫婦を眺めて幸せな気分に浸っていると、喧騒に紛れ、カララランと扉につけたベルが揺れる。
「すいませーん、今日は貸切で……」
 大声は途中で途切れた。てめえ、何しに来やがった、と言いかけたがかろうじて飲み込んだ。
 座っている青年の目が、酔いでも風邪でもない熱にうるんでいる。
「マスタング先生!」
「師匠!ウィンリィ!ストップ!」
 前者はグラス、後者はフォークを持つ手に力がこもったのを見て、すかさず制止する。
 二人とも物騒だ。
 その二人を苛立たせている原因は、きらめく凶器も殺気のこもった視線もどこ吹く風といった様子で周囲を見回した。そして首を傾げる。
「エドワード、君のお許しが出たから早速来たんだが……貸切ならば出直したほうがいいかな」
 イズミとウィンリィがあまりに怒るので逆に可哀想になってきたのが原因で何らかのフィルターがかかったのか、それとも酔って判断力が鈍ったのか、この男に憧れる青年の感情に引きずられてか、不覚にも――夜の灯りのもとに立つその姿を、ほんの一瞬、一秒の何千分の一、一ミリグラムくらいだけ、格好いいと思ってしまった。
 しかし「アルフォンスの合格祝いやってんだ。よかったら一緒に祝ってやってくれ」などと言ったのは、マスタングにときめいたからではなく、もう完全に熱に浮かされてしまっている青年のためだ。昨日は多少のわだかまりが残ったようだがアルコールが吹き飛ばしたのだろう。元々彼があの大学を志望した理由でもある。
 あくまでも青年のためなのだ。
 だからあんまり睨まないでほしい……。と、背後から感じる非難の視線に心の中で訴えた。

(10.10)

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